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『LION/ライオン〜25年目のただいま〜』

映画『LION/ライオン〜25年目のただいま〜』(2016)について。

東京は、朝から雪です。
家に閉じこもりが決定したので
noteを書いています。


ちょっと前にDVDで観賞したのですが、
なんとなくずっともやもやしているので
ここに感想を書いてみます。

まだ観賞されていない方は、
以下、一切読まずに観ることを
強くお勧めします。


公式HPはこちら

まずは、こちらを読んでみてください。
↓↓

2012年、驚愕のニュースが世界を駆け廻った。5歳の時にインドで迷子になり、養子としてオーストラリアで育った青年サルーが、Google Earthと出会い、25年ぶりに家を見つけ出したというのだ。このまさかの実話を元に、『英国王のスピーチ』の製作陣が描き出すのは、一人の男が辿ったあまりに数奇な人生の物語。 自らのルーツを探すように、サルーが20年以上前のおぼろげな記憶とGoogle Earthをつき合わせていく中で、次第に明かされていく、彼の巻き込まれた運命の数奇さ、スラム街で幾多の危険をくぐり抜けてきた少年の知恵と生命力、そして深い愛に包まれていた彼の本当の人生―。

以上が、公式HPのイントロダクションです。
(本当は、まだ続きます)

これ読んでしまうと、
もうお腹いっぱいになりませんか?
イントロダクションというには、
情報過多な気がします。

実際に映画を観ても、あらすじを知ってるだけに、
"そっか、
この子がこうして迷子になっちゃうのか。。"
って、次の展開を欲してしまう自分がいて
映画の世界に入り込めなくなってしまいました。

さらにいえば、このタイトル
『LION/ライオン〜25年目のただいま〜』
も長すぎませんか?
説明しすぎじゃないですか?
(原題は『Lion』)

疑問符が多くてすみません。。

でも、このタイトルだけで
25年ぶりに"ただいま"するラストがほぼ予想できちゃいます。

よね?


というのが、もやもやのすべての原因でした。



ただ、それを差し引いても素晴らしい作品であることは、断言しておきます。

主人公サルーが迷子になって、
オーストラリアに行くまでの過程で、
インドの抱える様々な問題を浮き彫りにする流れは自然で教示的な感じもない。
識字率の低さなどから新聞の情報すら
国内全土に行き渡らず、
迷子になった子どもが家に辿り着けなくなっているインドの現実と、
Google Earthを使って家を探しだす
青年になったサルーが住むオーストラリアでの生活の対比が世界の格差の縮図として見えるのも興味深いです。

また、
主人公サルーを演じたデブ・パテルと、
養母のスー・ブライアリーを演じたニコール・キッドマン、それぞれの演技も素晴らしく、
2人はアカデミー賞で、助演男優賞と助演女優賞にそれぞれノミネートされました。
2人とも助演なんですね。
そういうこともあるのか。
まぁ、そこはどうでもよくて。。

他にも、いろいろと語りたいところはありますが、
今回語りたいこととずれるのでひとつだけ。

スーの生き方についてです。
なぜ、サルーとマントッシュの2人を
養子として迎えたのか、という問いに、
自分の子どもを持つことも叶う彼女が、
"世界には人が溢れているから、
自分たちは養子を育てる選択をした"
と答えた意志の強さに衝撃を受けました。

犬を飼いたい人がペットショップではなく、
施設に保護された犬を飼うくらいまでは、
なんとなく想像ができます。
(自分がペットを飼ったことないから
尚更かも知れませんが)

現代は、
人とシェアすることや、
自分だけのためのものを欲しがらないことが
より求められてきています。
(環境保全などの視点から)
でも、自分の子どもについて
"世界には人が溢れているから"という理由で
ブライアリー夫妻のような選択ができる
崇高な精神性には、
なかなか到達できないと思う一方、
その必要性についても考えさせられました。


で、本題に戻ります。

映画の宣伝の難しさについて
ただの素人が語るのがおこがましいことは
重々承知の上で、言いたいことを言ってみます。

映画の予告映像を観ると、
説明しすぎじゃないかと思うことが多々あります。
監督、俳優、原作、海外での評価、
あらすじ、時代背景、撮影秘話などなど。。
更には、公開前の特別番組すらあったりします。

実際に映画を観ると、殆どが番宣で観たシーンのように感じることも。。

その一方、殆ど内容を見せないことで、
興味を持たせるという手法もたまにあります。

ただ、その宣伝方法が有効なのは
ほとんどがホラー映画じゃないかと思います。

自分がホラー映画をあまり観ないので、
偏見があるのかも知れませんが、
ホラー映画が好きな人は、
ある程度の設定(時代・場所・キャラクター)さえ分かれば楽しめるのかなと思うのです。
(求めるものが恐怖だけという人なら、
ある程度恐怖の種類が分かれば
観たいか観たくないかのジャッジが
しやすいかなとも思うので。。)

(そういえば、『Morgan』(2016)の予告をAIが作ったというニュースも話題になりましたが、『Morgan』もホラーでしたね。
ホラー映画の予告は比較的学習しやすいという
ことなのかも知れません。)

ただ、ほとんどの映画
(恐らくホラー映画の一部も)は、
そこまで単純ではなくて、
ただ"感動作"といっても、どういう感動なのかが分からなければ、"観たい"につながらない。

自分が求めているものにピタッとハマる作品というのは、観る人自身もいま何を求めているのか分からない状態だから、ジャッジしづらい。
たまたまタイミングが合って、
その時の心理状態に合ったからその映画が人生を変える一本になることもあれば、全く響かないこともある、そういうものじゃないかと思います。
これは、本当に個人の主観ですが。。

そうではなくて、いつ観てもその映画の良さが実感できるのなら、本当にその映画の価値が理解できたのかなと思うのですが、なかなかそういう作品には巡り合えないものです。


話がちょっとずれました。
で、何が言いたいかというと、、

人は常に想像力を求められています。
想像力というと、空想とか、クリエイティブなことをイメージしてしまいますが、そうではなくて、
次に何が起こるか、何が必要となるか、とかもっと現実的な"予想力"という感じのことです。
仕事上でも、家庭内でも、人付き合いの上でも、この予想力はスムーズに事を運ぶのに必須です。

でも、次々に予測できないトラブルに見舞われる。
そして、人はそれに疲れてきてるのじゃないかと思うのです。

だからこそ、どんどん慎重になります。
モノを選ぶときには、情報を最大限に取り入れて、ベストな選択をしたいと思う。

映画も商品説明と同等の情報を欲する人が増えているのかもと思うのです。

でも、その一方でそこまで説明を必要としない人のための宣伝方法も考えていただきたいと思います。自分と同じような思いを持つ人たちのために。
(きっといるんじゃないかと思うんですが。。 どうでしょう?)

例えば、
情報を必要とする人とそうでない人のための2パターンで予告を作るとか。
コストと労力がかかることこの上ないですが。。

ぎりぎりネタバレを含まない程度の情報いっぱいな予告は、デートの下調べとかで使いたい人のために、
まったくの予備知識無しに観たい人には、
ポスターしか観ないような仕組みにするとか。
(因みに、ネタバレってどこまでがネタバレなのか、よく分かってないんですけどね。。)

最低限の情報だけで、適度に興味を煽って興行成績が見込める予告って、ないものでしょうか?
純粋に作品を堪能したい人は、予告は観たくないんじゃないのかなとずっと思っているんですが。。

というようなことを、うだうだ考えさせられる作品でもありました。


まったくの余談ですが、
自粛要請が出て、スーパーに買い出しに行く人が増えましたが、何をストックするかは人それぞれで見ていてとても興味深いです。
(人の買い物かごを見るのは失礼だとわかりつつも、やってしまいます。。)

冷凍餃子を大量に買うとか、
同じ味のカップラーメンを大量に買うとか、
いろんな味の冷凍パスタを買うとか、
ちゃんと野菜と肉と米を買うとか。。

で、この数日でひとつ分かったことは、
自分がいつ何を食べたいと思うかは、
自分でも予測できないものだということです。
テレビCMなどで目に飛び込んできたものを突然欲することも多々あります。

これは、映画も同じかも知れません。
という、無理やりなまとめ方でした。。

そんな、グダグタな今日の一枚