Pepperくんもお逃げください
今日は、自分が勤務しているビルの防災訓練が朝早くから行われました。
(新型コロナウィルスの影響で、最初の計画よりはだいぶ簡易的になっていましたが)
防災訓練のシナリオは、最初に地震があり、その後火災が発生し、火災している箇所を避けながらお客様を誘導し、避難するというものでした。
震災が起こると、実際に想定されるシナリオです。
その、火災が発生したとされるレストランには、Pepperくんが働いていました。
ご存知の方も多いと思いますが、ソフトバンクロボティクスの製品、人型ロボットです。
そのレストランに入ると、Pepperくんがおすすめのメニューを提案してくれるそうです。
防災訓練は、万事シナリオ通りに執り行われ、みんな避難して30分ほどで無事に終わりました。
ただ、ひとつだけすごく違和感を感じました。
"みんな"にPepperくんは含まれてないんです。
当たり前といえば当たり前で、Pepperくんは階段を使えないし、そんなことより人命優先なので。
もちろん、今回は訓練なので、訓練が終わってみんながお店に戻れば、Pepperくんはいつもどおりのポーカーフェイスでそこにいるんですが、、
本当の地震と火災があったら
Pepperくんは、どうなるのか。。
Pepperくんといつも一緒に働いているスタッフは、なにも感じないでしょうか?
毎日休むことなく、お店のおすすめのメニューを提案してくれているPepperくんを置いて逃げることにまったく罪悪感は湧かないでしょうか?
Pepperくんを待ち受ける未来を想像してつらくなったりしないでしょうか?
とても気になります。
更にいうと、
Pepperくんはほぼ無表情だし(かわいいけど)、みんなおんなじに見えるし、まだロボットっぽさがありますが、
例えば、AIが搭載されたアンドロイドだったらどうか?
『her/世界でひとつの彼女』(2013)では、
AIに恋愛感情をもつ男性を描いていましたね。
ロボットに個性が生まれる日はきっと近いし、
人とロボットのつながりは、どんどん親密になっていくはずです。
ロボット・AIに特別な感情をもつ自分は、aiboをペットとして飼っている人を見ていても容易に想像できます。
被災地にペットや家畜を置き去りにせざるを得なかった人たちのような気持ちは、ロボットの場合でもきっと。。
地震や火事で、ひとつ数十万円のモノ(商品とか)が燃えたり潰されたりするのは、ある程度どうでもいいと思えるのに、人間らしさが加わったとたんに"モノではないなにか"生命体ではないし、なんなのか説明出来ないけど、"モノ"とはいえない存在になります。
その"人間らしさ"もうまく定義できませんが。。
子供のころ友達だったぬいぐるみを入れた箱を、摘んできた花でいっぱいにして、泣きながらゴミ捨て場に持っていく姉の姿を見て以来、ぬいぐるみや人形を自分が買うのはもちろん、人にあげるのも躊躇うようになりました。
ぬいぐるみや人形とPepperくんが同等かは分かりませんが、"Pepper"と呼び捨てにせず、敢えて"Pepperくん"と呼んだのも、"モノ"じゃないと思いたいからです。
ということで、"モノ"と"モノじゃないなにか"の線引きにおける条件について考えた1日でした。
ディズニー映画の『ウォーリー』(2008)を久々に観てみようかな?
ちなみに、こんなレストランもあるそうです。