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【還暦のメロス】㉒両親の三つの風景 ❹三つ目はかなり後の話なんだけど。

概して私の父も母も穏やかな性格だったと思う。真面目にコツコツ仕事一筋でこども6人を育てるために働き続けていた父。父をいつも支えて、子供たちにはいつも笑顔で、ほとんど怒ったことのない母。

子供の知らないところで様々な苦労を乗り越えながら、夫婦で子供全員を平等に扱い、公平に愛情を注いでいただいた両親に感謝は尽きない。
そんな親の恩を報じていくために、庶民の1人として自分は決して偉ぶらず、驕らず生きていこうと今は思っている。

そんな自分も高校時代には、いっぱしの反抗期を理由に父を馬鹿にした時期があった。今振り返っても愚かな子供だったなと反省するのだが。

高校生になって結構読書をするようになって、少し頭でっ勝ちな生意気な年代になった頃、父と変な質問をしたことがあった。
自分はいろんな本を読み始めて頭でっかちな高校生になっていたと思う。
父と母がいた居間で、話の勢いで、「お父さんはなんで本を読まないの」と質問したことがあった。
一生懸命働いて夜遅く帰ってきていた父の姿を見ていたはずなのに、なんとなく「学び」という姿勢の無い(そう自分はそのころ思っていた)父を半ばバカにしつつの思い上がった問いかけをした。父の横でお茶を飲んでいた母の顔が少し曇ったのが分かった。

父は私の質問に対して、少し考えた後、かのまたや製麺で丁稚奉公をし始めた頃に、仕事が終わった後、一人自室で、ろうそくの灯を明りにして掛け布団を頭からかぶりながら、高等小学校時代の本の復習をしていた昔の経験を話した。父も中学校とかに行きたかったのだった。しかし8人兄弟(全部男)の三男坊としての役割は早く社会人になって給料をもらって、実家に仕送りをする、という役目の方が大きかった。そんな時代で青春を始めていた父の時代のことなど知りもせずに私は生意気な質問をしていたのだった。

しかし自分のむかしの事を一生懸命息子に理解させようとして身振り手振りを交えて話している父の横で、母はお茶を飲むのをやめて、私を厳しい目で見ていた。それは私が生意気で傲慢な命になっていたことを見抜いていた母親の目であった。

父の話が一通り終わった後で母は私の名前を呼んで静かに言った。
「OOOO勉強をして頭でっかちになってはだめよ。勉強とは人生を正しく生きていくための羅針盤を創ることなの。つまりどうやって生きていけば人の幸せに尽くせるかを測る尺度を身に着ける作業なんだよ。学問とは目の前の1人を幸せにするためにどうしたらいいかを学ぶことなのよ。それ以外の知識は枝葉にすぎません。だからお父ちゃんは、その尺度を立派に学んだ人なんだよ。それも苦労して、戦争に行ったりして学んだんだと思うよ」
そう言って命がおごり高ぶっている息子を諭したのであった。
母は、一人だけ裕福な叔母の家に養女にいったこともあって、当時はほとんど行けなかった女学校を卒業して公務員になった経歴を持っていた。
はっきり言って青春時代に想いッきり学び時期を過ごした女学生時代を経験していた。
そもそも出自は、山口県の吉田家という士族である。結婚前は秀麗な淑女といわれていたようでもあった。

母のその言葉に私は少し反発しそうになったが、ふうん、と半ば不満げな表情をしながらその話を受け流した。まだまだ幼い心の息子であった。

そんな大きな心の両親に育てられて、今の自分がある。

今思い出しても、まじめ一徹の父を支え続けた母の懐の深さがあって、我が家は幸せな家庭を貧乏なりにもつくれていたのではないか、と今は思い返すのである。

            ~~㉓へ続く~~

      

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