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【いつか来る春のために】㉙ 加奈子の想い出編❾  黒田 勇吾

 その次の日の朝は驚いた。夜中に降った雪が一メートルくらい積もって、一面の銀世界。雪は朝になっても降りやまず、その日行くはずだった鬼首への道が通行止めになって、結局どこにも行けずにホテルで二人ゆっくりと過ごすことになった。その時ひとつ約束したの覚えてる、隆ちゃん。
 隆ちゃん、あなたから言ったのよ、子供は三人作ろうねって。僕は一人っ子だから正直とても寂しいことがいっぱいあった。おまけに母子家庭でお母さんが仕事で居ないことが多くてどんなにさびしかったことか。これはお母さんには言ったことがない。母が悲しい思いをするのが分かっていたから。だから子供は少なくても三人は欲しいんだ。兄弟姉妹がいれば親が不在の時も子供にはさびしい思いをさせなくていいからって。
 隆ちゃん、あなたから言ったのよ、
 隆ちゃん、あなたがそう言いだしたんだから。その約束を破ったことだけは、私怒ってる、今でも、今でも・・・。
 だけどそれに負けないほど、感謝したいことはいっぱいあるわ、数えきれないくらい沢山。何といっても一番は光太郎を授けてくれたこと。あなたに対する最大の感謝です。私もお母さんも独りぼっちにならずに済んだんだもの。光太郎がいなかったら、たぶん私は一人になってどこかに住み、お母さんも一人ぼっちでどこかに住み、別れていただろうな。その私たちの絆になったのが光太郎なの。私もお母さんも光太郎が生まれてくるという希望で繋がったんだもの。大きな大きな希望になったのよ。ありがとう、隆ちゃん。幸せを残してくれて。

 結婚式の2011年3月5日はいろんな意味で思い出の日ね。私はすでにお腹の中に光太郎がいて、体調が一週間ほど前から悪くってほんとに皆さんにご迷惑をおかけした。披露宴の途中から私が具合悪くして退席してしまったのは隆ちゃんにもお祝いしてくれた皆さんにもほんとうに申し訳なかったと思っています。おかげで披露宴の後半の写真はほとんど残っていません。何より隆ちゃんのお母さんにご迷惑をおかけしたこと、今でも時々謝っています。せっかくのお母さんのご挨拶があまり盛り上がらないで終わったことをあとで病院のベットで父から聞いて本当に悲しかったわ。でもお腹の子に何の異常もなかったのがせめてもの救いかな。
 結局、式のあとの新婚旅行も私のせいで延期になって隆ちゃんとの大切な思い出をつくれないまま別れなければならなかったこと、本当にごめんね。振り返ると隆ちゃんに謝らなければならないことが多いみたいだわ。でも二年のお付き合い(正確には一年六か月だけど)で大切な思い出もいっぱい作れたし、隆ちゃん、私幸せです。本当にありがとうね。隆ちゃんも幸せだったよね。悔いはないよね。隆ちゃんに確かめるすべはもうないのだけれど・・・。

 隆ちゃん、この手紙で震災のあの日からのことを書くのは正直言ってつらいです。何もかもを流していった津波が今も憎いです。3・11からの何日間かを今も思い出すたびに哀しみがあふれ出して仕方ありません。でもここに書き留めて隆ちゃんに伝えるのが私のするべきことだし、心の整理をこの手紙を書くことで一区切りしたいと思っています。そしてあなたの行ったあの日の勇気と決死の行動を書き記すことが、なにかとても大切な私の使命だと思っています。この手紙は書き終えたらひとつはコピーして大切に保管します。光太郎にいつか読んでもらうために。そしてこの原本は灯篭に入れてあなたがいる海に流して、あなたにお届けしたいと思います。
 あなたは静かに眠っているでしょうか。いえ、隆ちゃん、あなたは心安らかに眠っていることでしょう。大切な教え子を救おうとして命をささげたのだから。

             ~~㉚へつづく~~

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