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【還暦のメロス】⑥

私の母は宮城県古川町(現在の大崎市)に生まれた。
兄弟姉妹は6人だったと思う。
母は大正14年生まれ。父より3歳若い。
母が生まれた頃、母の父、つまり私の祖父は、最中の皮製造の仕事に
失敗して、再起を期すために、ある計画を立てた。
もともと吉田家は、日本列島の南、山口県を淵源とする。
祖父母夫婦は、南から日本列島を北へ北へのぼって古川に住んでいたが
事業の再起を期すために、今度は津軽海峡を越えて北海道に希望の道を
探しに行った。

家族は子供たちも含めて、多い。特に生まれて間もない私の母は北海道に連れて行くのは厳しいと考えた祖父は、母にとって叔母さんに当たる古川の
家に養子に出されて、その母だけ古川において、家族は北海道へ新路を探しに行ったのだった。

やがて祖父は事業の成功を見ずに、北海道にて行方不明になった。
そのあたりの経過は、私はよくわからない。
結局吉田家は、祖父を探すのを諦めて宮城県の古川に戻ってくる。

そんな事情を知らず、母は叔母さんを実の母だと思いつつ、裕福な家庭の
お嬢様として育った。しかし13歳になった時に、叔母さんより、真実を告げられる。「貴女は吉田家の中で一人だけこの古川の地に養子縁組されて、
我が家に来たのよ。実際の両親のうち、父は北海道で行方不明になり、実母をはじめとするあなたの家族は古川の別の地で生活している」

わが母は、その叔母の話を聞いて、自分は捨てられたんだ,と想い。それ以来明るかった性格も影を潜めて、暗い少女時代を過ごしていく。

以前私は母の少女時代の写真を見せてもらったことがあるが、わが母は暗い顔をしている写真ばかりだった。

https://www.youtube.com/watch?v=38oBEEcw_cE


今私は振り返る。母は自分だけおいて行かれたことに心の傷を持ったまま
やがて女学校を卒業すると、古川市の市役所に就職する。
心は常に捨てられた子と言う自分を悲しむ想い出生きてきたのだろう。

そんな母も、太平洋戦争後、しばらくして、お見合いの話が来る。
自暴自棄になっていた母は、そのお見合いの話をぶち壊そうと思いつつ、
お見合い相手の農家出身の男が働いている石巻市へ向かったのっだった。



         ~~⑦へ続く~~

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