見出し画像

【還暦のメロス】⑯ 小学校時代は宿題したことない。

小学校の授業を終えると、鉄棒で遊ばない日はいったん家に帰る。
カバンを置くと、たいてい日和山に上り、公園で走り回っていた。
春は桜の木々が一面の山懐に、桜色の風が毎日流れる。
そのあとは躑躅が咲き乱れる。
躑躅の花は、美味しいのはご存じだろうか?私は躑躅の花をひとつ取ると
根元に口をつけて蜜を吸う。数十分もすると、私の周りの地面に花の山が
無惨に散らばっている。野蛮な少年であった私は、躑躅を鑑賞に来る大人たちには、迷惑至極の少年でしかなかっただろう。
しかし少年にとって、躑躅の蜜の糖分は、大切な栄養源?でもあった。
そもそも当時の我が家にとって白砂糖は値段が高い高級品だった。

糖分を吸収した少年はますます元気になってそこらじゅうを走り回る。
そして疲れたら、丘の端っこから、太平洋の広がりを眺めて飽きなかった。
河口から海へ広がる夕方の風景は、私という人間を創った原風景のひとつでもあった。左手の遠くに、牡鹿半島がいつも霞んで見えた。右手には少しオレンジ色に変わり始めた太陽が、水平線近くに沈む準備をしていた。

少年は毎日自然と戯れていた。夏は虫取り網を持って蝉取りに夢中になった。
日和山から繋がっている羽黒山の懐の神社の墓場によく行った。そこは杉並木が広がって、そこら中にセミの合唱が聴こえた。
1mほどの捕虫網の根元に長い竹を繋いで数メートルの捕虫網にして
高いところで鳴いているアブラゼミやミンミンゼミやヒグラシやにぃにぃぜみをわけもなく捕まえていた。
そして虫取りかごに入れたまま家に帰って、翌朝までそのままにしていたものだった。命というものの尊さを思い知ることのなかった残酷な少年だった。

そんな夏には、けっこう分厚い夏休みの宿題ノートが渡されたが、ほぼ白紙のまま二学期の始業式に提出して、怒られていた。




そんな少年時代は小学校で終わる。12歳になって中学生に進学したころには
また生き方が変わっていった。

        ~~⑰へ続く~~

この記事が参加している募集

#ふるさとを語ろう

13,619件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?