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【還暦のメロス】⑪ 初めての記憶

私の初めての記憶は2歳の時の特異な経験だと思う。確定して書けないのはやはり記憶というのは、小さい時のものは、確認のしようがないからである。それが客観的に正しい記憶だったのか、もうはるか以前の事であり、もはや確認のしようがないのだ。

例えば1週間前にどこそこのお店で、Aという友人と1時間、食事をしたというつい最近の過去の出来事は、客観的な正しい記憶として証明することは容易い。
誰かから、それは本当に1週間前にあった「事実」なのかと問われたら、
もちろんそれが過去の事実として証明することは可能である。
自分の記憶違いでないことを、その1週間前に会って食事をしたAさんに記憶違いでないことを確認することで証明できるし、何だったらそのお店に確かめに行けば、ほぼ間違いなく私がそこで食事をしたという事実は、お店の
記録に残っているだろう。
そもそも私は食事などをした時の決済に必ず領収書を残しておくことをする。自分の事務机の書類箱の中に、その領収書を見つけ出す事は簡単である。
そうして近い過去の出来事などを間違いない過去の事実として証明することは、何度も言うようであるが容易い。

しかしである。
もう自分自身が2歳の頃に、こういうことがあったのだということを数十年も経った現在に、証明してごらん、と言われたら、はっきり言って、それは無理だと私は言うだろう。

だから私が2歳の時に初めて思い出せる記憶を持ったということも今となっては危なっかしいのである。

その記憶は具体的に言うとこんな些細な記憶である。
。。。。。。。。。。。。。。。。

僕は誰かの背中におぶさって、どこかに移動していた。僕はその方の肩越しに目の前の光景をじっと見つめている。茶色く濁った水がそのあたり一帯に溢れている。水かさがどれくらいかはわからないが、間違いなく泥水の中を僕をおんぶしたその人はどこかに向かって歩いていた。目の前の泥水はざわざわと揺れている。僕はなぜかその泥水の中を歩きながら誰かがどこかに向かっていることに、その背中越しに見ながら興奮していた。おそらく初めての特異な経験だったから、記憶として今も残っているのだということだけは言えるかもしれない。
しかしそれが本当に2歳の時の僕の出来事だったのか確信は正直持てないのだ。

僕が2歳の時に、あった歴史を紐解くと、もしかすると関連するかもしれない出来事がひとつだけある。
日本列島を襲った伊勢湾台風である。日本列島の中部地域に大災害をもたらした歴史的な巨大台風であるが、それは東北地方の田舎の僕の街にも大きな被害をもたらしたという。これは故郷の両親やその当時、石巻駅周辺に住んでいた方々にも伺ったことがある。近くを流れている北上川が台風のために溢れて、かなり広範囲まで水害をもたらしたということだった。その水かさは数十センチほどで、石巻駅周辺も冠水して、一部は人が通れないほどに水があふれていたそうである。

その時に石巻駅近くの我が家も冠水被害を受けた事実はあった。だから一時的にどこか安全な地域に避難するときに、その当時2歳だった僕を誰かがおんぶして安全な場所まで連れて行ったということは充分にありえたことである。その時におんぶしていた誰かの背中から、僕はその避難時の景色を強烈な印象として、記憶にとどめたのかもしれない。
というかそう考えると、すべてに辻褄が合うように思えるのだ。


しかしながら、それが「真実」であったかは、もはや確かめようがないことだ。
ただ一つ言えることは、「誰かにおんぶされて泥水の中を移動していた僕の記憶だけは、間違いなくあった」ということ。
それが伊勢湾台風時だったのか、はたまたそれが2歳の時の事だったのかは、もうわからない、としか今は言えないのだった。

災害という出来事は小さな子供にも強烈なインパクトを与える。
後年、東日本大震災が起きたときには大人でさえ、深い心と身体に傷を負った。それを考えれば、今現在北陸の石川県を中心とした能登半島地震で被災している子供たちのことを想うと、ただただ心が痛むのである。

           ~~⑫へ続く~~


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