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【いつか来る春のために】❽ 三人の家族編 ⑦ 黒田 勇吾

 康夫おじさんは八時過ぎに帰っていった。これから鈴ちゃんが来るからゆっくりしていってと引き留めたのだが、いやぁ、今日はもう出来上がっちまったぁ、と赤ら顔で笑って、ごちそうさんと言って帰っていってしまった。美知恵はそれでもおじさんが満足そうに悪酔いもせずに牡蠣鍋を愉しんでいったことにほっとした。昔、酒を飲んで悪態をよくついていた面影はもうなかった。
 九時ごろには来る予定の鈴ちゃんの分の鍋の準備を終えると、美知恵は酔い醒ましにちょっと外へ出てみることにした。そして誰もいない駐車場の真ん中に立って空を見上げた。三月の夜はまだ冬の冷たさが残っていて寒かった。いくつか星が見えたので明日も雪にならずに晴れてくれるといいな、とぼんやりと思った。美知恵はあの日以来雪が嫌いになった。雪が降ると、震災の日の夕方に降り始めた吹雪のような冷たい情景と、そして何もできなかった自分の無力さと悲しみが思い出されるのだった。
 暖かい春が待ち遠しかった。
 するとそこに人影が近づいてきた。鈴ちゃんだった。
「みっちゃん、こんばんは。星を見て、たそがれでいだのがな」鈴ちゃんはそう言って笑った。
「あら鈴ちゃん、塾早く終わったのすか。今酔い醒ましに外に出てたんでがす」とちょっと恥ずかしそうに言って笑った。
 一緒に仮設に戻って鈴ちゃんを中に入れて玄関を閉めると、あれ、康夫さんもう帰ったのすか、と鈴ちゃんが尋ねながら居間に入った。美知恵はその背中に向かって、
「引き留めたんだけど帰っちゃいました。おんちゃん、ずいぶん酒弱くなったようで結構酔っぱらったみたいだったの」と返答しながら台所から牡蠣鍋を持ってきた。蓋を開けると炬燵台の真ん中に鍋の湯気が上がった。
「まず鈴ちゃん、今日はゆっくりしていってください。お仕事お疲れ様でした」と美知恵は座って頭を下げた。
「三人ほど子供たちが風邪で休んで、今日は7人だけで授業だったのさ。それに皆が部活で疲れているようだったので、三十分早く切り上げました。風邪ひきが多くて、まだ冬も終わってないなと思いましたよ」と言って赤いバンダナをぎゅっと結び直してから頭を下げた。
「季節の変わり目だから風邪もひきますよねぇ」と加奈子も話を受けながらお料理をテーブルに並べ始めた。
「鈴ちゃん、熱燗でいいかしら」と美知恵は立ち上がって聞いた。
「みっちゃん、すまないねぇ。はい、それでお願いします。そのかわりおちょこでね。私は酒そんなに強くないから、軽めにいただきます」とすまなさそうに笑った。

          ~~❾へつづく~~

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