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【製本記】 小川未明童話集 05 | 石と鱗粉

本をつくってばっかの日々。編集者として本を編みながら、時間を見つけては製本家として本をこしらえている。編集した本は世にでて光を浴びるが、製本した本は暗所に埋蔵するだけの習作も多く、せめてここに記録する。

本文が仕上がったところで、表紙に取りかかる。『小川未明童話集』の表紙は、布貼りにしようと決めていた。とはいえ、どのような布にしたものか。無地では未明の物語には味気ないし、さりとて市販のテキスタイルでこれと思う色柄も見つからない。あぁ、染めができたらなぁ……。


昨年末、編集者として『柚木沙弥郎 — おじいちゃんと私』という本に携わった。2022年に100歳を迎えた現役染色家、柚木沙弥郎さんの人生を辿る記録の書だ。書き手は柚木さんの孫であり、柚木さんの活動をサポートしている丸山祐子さん。彼女の視点から紐解かれてゆく100年は、稀有な才人の歴史であると同時に、人生のできごとはすべてつながっており、やがて一本の糸になるということを裏づけるノンフィクションでもある。

柚木さんは、柳宗悦とともにかの民藝運動を率いた芹沢銈介の愛弟子だ。日本民藝館に行列をつくる工芸界の星であり、国内外で活躍するアーティストでもある。その作品は、伝統と洗練、大胆と繊細、静謐と諧謔といった相反する要素を併せもち、それらは混在しているというのでもなく、互いに浸潤しているように見える。だからだろうか、柚木さんの染布を前にすると、射すくめられるような迫力と頰を寄せたくなるような親しみの両方を覚える。

奥深き染布の世界に手をつけるなんて……と、少し前のわたしなら足がすくんでいた。だけど、柚木さんの作品に触れ、そうやって怯むほうがむしろ不遜だと気づいた。素人だからこそ、のびのび楽しめばいい。


というわけで、型染めでブッククロスに模様をほどこすことにした。布地を草木で染めるところからやってみたい気持ちもあるが、まずは自分がもっている道具を使って最短距離でできることを、と思って。早速、厚紙をカッターで繰り抜いて型紙をつくろう。さあ、何を繰り抜こうか。

モチーフを求めて、いま一度『小川未明童話集』をパラパラとめくる。「月夜と眼鏡」の胡蝶、「兄弟のやまばと」の鳩など、未明童話は絵になるモチーフに事欠かない。しかしながら、どれも微妙だ。何が微妙かって、わたしに描けるかどうかが微妙だ……。そうこうするうちに、見つけた。「石」というモチーフを。これなら描けそうだ。


モチーフ選びの動機は不純だが、石が登場する「ちょうと三つの石」は、以前から好きな物語の一つだ。主人公は、若く、美しく、そして「まことにやさしい女」である。

年頃になった女は、水車屋の男と結婚する。「地主さまのように金持ちにならなければだめだ」という夫に促され、朝から晩まで粉まみれで働くが、やがて夫が病に倒れる。女は泣きながら「あの世へゆくには、山を上るといいますから、峠のところで、わたしのゆくのを待っていてください」といい、夫は頷いてこの世を去る。

未亡人となった女は次第に心細くなり、機織りと再婚した。今度も働きづめの日々を送り、二人目の夫も病に倒れる。死にゆく夫に、女は「峠のところで待っていてください」といった。そして女は、鳥屋の男と三度目の結婚をする。鳥の世話に勤しむも、またしても夫が病に倒れ、女は「どうか峠でわたしを待っていてください」といい、夫は息を引き取った。

月日は流れ、女もこの世を去るときがきた。仏さまに案内されてあの世へ向かうと、峠で三人の夫が待っていた。仏さまに「いちばんどの人を愛しているか?」と問われた女は、答えられない。そのときどきを必死に生きてきた女は、そんなこと、考えたこともなかったのだ。それに、夫が死ぬたび流した涙にも嘘はなかった。しかし仏さまは、惑いを払って一人に決めねばあの世には逝けないといい、女を蝶にして下界に戻す。

それから十年、百年、幾百年が経ち、待ちつづけた三人の夫は三つの石になってしまった。それでもなお、下界の蝶はまだ悟りがつかないとみえて、花から花へと飛びまわっている……。


わたしはこの結末にぎょっとした。同時に、明治生まれの男性がこんな結末を用意したことに驚いた。女性が一人で生きることが困難だった時代に、そして女性が自分の夢ではなく夫の夢のために生きねばならなかった時代に、こんな痛快な終わり方をするなんて。しかも、童話というジャンルで。

未明がどんな思いでこの物語を書いたのか、本当のところはわからない。しかし、岩波文庫には未明と交流のあった画家、初山滋の挿絵がある。挿絵の中で、背中に蝶の羽根をもつ女は三つの石の間をひらひらと舞っている。その美しい顔には、自由を謳歌する愉悦の表情が浮かんでいる。

さて、おぼつかない手つきで三つの石を描き、型紙をつくり、それをブッククロスにおいて絵具をのせた。白や黒や灰をちょこちょことのせていたら、斑らな石のようになった。最後に金をわずかにのせる。峠を照らす日の光を表現しようと思ってのことだったが、やってみて、そうじゃないと気がついた。これは、蝶が残した鱗粉に違いない。


●『柚木沙弥郎 — おじいちゃんと私』柚木沙弥郎、丸山祐子(ブルーシープ)


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