#39 マラキ書

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レジュメ

※「※」や「⇒」で書いてる記述は、このNoteを書いてる者のメモです。他はレジュメのコピペです。

※思った通りにうまくいかない時に考えること。
※みんなが開き直り信仰(これでええやんか)の時どうするか。

1.はじめに

(1)マラキ書の位置づけ
①大預言書(the Major Prophets)
*イザヤ書、エレミヤ書、哀歌、エゼキエル書、ダニエル書
②小預言書(the Minor Prophets)
*ホセア書からマラキ書までの12書。
③マラキ書は、捕囚期後預言書(3)のひとつである。
*この預言書は、イスラエルに与えられた最後の呼びかけである。
*これ以降、バプテスマのヨハネの登場まで、預言者は登場しなかった。
*マラキ書は、旧約聖書の締めくくり、新約聖書への橋渡しの書である。

(2)預言者マラキ
①「マラキ」とは、「私の天使」、「私の使者」という意味である。
*これ以上の情報はない。
②マラキは、捕囚期以降にユダヤ(特にエルサレム)で活動した。
*彼が活動した時代は、ペルシヤ時代であった。
*さらに、第2神殿完成以降の時代であった(前515年以降)。

(3)マラキ書のテーマ
Mal 1:1 宣告。マラキを通してイスラエルにあった【主】のことば。
①これが、この預言書のイントロダクションであり、要約である。
②「宣告」はヘブル語で「マッサー」で、「重荷」とも訳せる言葉である。
③この言葉は、極めて重い内容(警告と裁き)の預言を示唆している。
④彼が取り上げた問題は、ネヘミヤ記で問題とされている内容と合致する。
*祭司の腐敗
*異邦人との雑婚
*社会的弱者への抑圧
*ささげ物の軽視
⑤マラキは、対話形式でこの預言書を書いている。

2.アウトライン

Ⅰ.イスラエルに対する神の愛( 1:1~6)
Ⅱ.祭司たちの冒涜の罪(1:6~2:9)
Ⅲ.民の社会的罪(2:10~16)
Ⅳ.ふたりの「使者」の到来(2:17~3:6)
Ⅴ.民の宗教的罪(3:7~4:3)
まとめ(4:4~6)

マラキ書の預言について学ぶ。

Ⅰ.イスラエルに対する神の愛( 1:1 ~ 5 )

1.【主】が語られる。
Mal 1:2a 「わたしはあなたがたを愛している」と【主】は仰せられる。
(1)「愛している」はヘブル語で「アハブ」という動詞である。
①旧約聖書では、神の愛に関して32回使用されている。
②そのうち23回までが、イスラエルに対する神の愛を示すものである。
③この愛は、「契約に基づく愛」である。

2.それに対して民が疑問を呈する。
Mal 1:2 b「どのように、あなたが私たちを愛されたのですか」と。
(1)神殿が再建されてから数10年が経過していた。
①しかし、ハガイやゼカリヤが預言していた「御国」は、成就していない。
②イスラエルは、相変わらず大国ペルシヤの支配下にあった。
③民の感謝の思いは徐々に冷め、形式的な礼拝と律法軽視が蔓延していた。
※これが開き直り信者。

3.民の疑問に、【主】がお答えになる。
(1)神は、ヤコブとエサウを比較された。
Mal 1:2 c「エサウはヤコブの兄ではなかったか。/──【主】の御告げ──/わたしはヤコブを愛した。
Mal 1:3 わたしはエサウを憎み、/彼の山を荒れ果てた地とし、/彼の継いだ地を荒野のジャッカルのものとした。」
①双子の兄弟のうち、長子の権利を継承したのは、ヤコブであった。
②「愛した」と「憎む」という2つの動詞は、選びを示す言葉である。
③イスラエルと同じように、エドムもまたバビロンによって滅ぼされた。
④エドムは、国の再建を試みたが、廃墟から立ち直ることはなかった。
⑤イスラエルとエドムを対比するなら、神の愛と栄光をたたえるはずである。

Ⅱ.祭司たちの冒涜の罪( 1 : 6 ~ 2 : 9 )

1.イスラエル(神の子)は、父である神を敬わない。
Mal 1:6a 「子は父を敬い、しもべはその主人を敬う。/もし、わたしが父であるなら、/どこに、わたしへの尊敬があるのか。/もし、わたしが主人であるなら、/どこに、わたしへの恐れがあるのか。

2.祭司たちは、それを認めない。
Mal 1:6b ──万軍の【主】は、あなたがたに仰せられる──/わたしの名をさげすむ祭司たち。/あなたがたは言う。/『どのようにして、/私たちがあなたの名をさげすみましたか』と。

3.祭司たちの罪の糾弾
(1)祭司たちは、祭壇の上に汚れたいけにえを捧げていた。
①「汚れた」とは、儀式的な汚れを指す。それは心の問題の現れである。
*盲目の獣
*足のなえたものや病気のもの
※七面鳥の販売会社に10年前の冷凍モノでも食べられるか電話。食べられるなら、教会に捧げものに出す、という話。
②「さあ、あなたの総督のところにそれを差し出してみよ。彼はあなたをよみし、あなたを受け入れるだろうか」(8節)
*「総督」は、異邦人の支配者である。
*人間でも受け取らないようなものを、神にささげてよいのか。

(2)汚れたいけにえをささげるよりも、神殿の扉を閉めたほうがましである。
①しかし、無意味な礼拝を(戒め)止める者は誰もいない。

4.神の御名の冒涜の罪
(1)将来、異邦人たちが【主】を王として礼拝し、その御名をあがめる時が来る。
①メシアの死と復活のメッセージが全世界に伝えられる時に、起こる。
②イスラエル人たちは、今、主の御名を冒涜している。
③祭司たちは、祭儀制度そのものを煩わずらわしく思い、それを軽蔑している。
*恵みの手段である制度を軽蔑するのは、神の御名を軽蔑するのと同じ。
④祭司たちは、律法と契約に不真実である。
⑤もし彼らが、同じ罪を犯し続けるなら、さらに深刻なのろいが送られる。
⑥祭司たちは、祭司職の源であるレビの信仰に立ち返る必要があった。

Ⅲ.民の社会的罪( 2 : 10 ~ 16 )

1.民の不真実な態度の糾弾
(1)互いに対する裏切り
Mal 2:10 私たちはみな、/ただひとりの父を持っているではないか。/ただひとりの神が、私たちを創造したではないか。/なぜ私たちは、互いに裏切り合い、/私たちの先祖の契約を汚すのか。
①イスラエル人全員が同じ神によって創造されている。
②兄弟愛に基づく誠実さを示すべきなのに、裏切り、先祖の契約を汚した。
*「先祖の契約」とはアブラハム契約のことである。

(2)不信者との結婚
①マラキの時代のユダヤ人たちは、偶像礼拝者の異邦人女性と結婚していた。
②不信者との雑婚は、禁止されていた(出34:15〜16、申7:3参照)。
③このような結婚をしている者に、神のさばきが下る。

(3)離婚の問題
①神が民のささげ物を喜ばない理由は、離婚にあった。
②結婚は、神によって造られた制度である。
③イスラエルの民は、イスラエル人の妻との離婚まで実行していた。

Ⅳ.ふたりの「使者」の預言(2:17~3:6)

1.契約の使者(メシア)の到来の預言
(1)「あなたがたは、あなたがたのことばで【主】を煩わした」
(2)「どのようにして、私たちは煩わしたのか」
①「悪を行う者もみな【主】の心にかなっている。主は彼らを喜ばれる」
②「さばきの神はどこにいるのか」
※これが開き直り信仰。

(3)この挑戦的な発言に対する神からの回答が、3:1〜6である。
①裁きの時が来る。
②その前に、恵みの時が来る。

(4)3:1はメシアの初臨の預言である。
Mal 3:1 「見よ。わたしは、わたしの使者を遣わす。/彼はわたしの前に道を整える。/あなたがたが尋ね求めている主が、/突然、その神殿に来る。/あなたがたが望んでいる契約の使者が、/見よ、来ている」と万軍の【主】は仰せられる。
①「わたしの使者」というのは、メシアの先駆者バプテスマのヨハネである。
②「あなたがたが尋ね求めている主」とはメシアである。
③裁きの前に「恵みの時代」が与えられることに注目しよう。

(5)3:2〜6はメシアの再臨の預言である。
①再臨のメシアは、罪を裁き、神の計画を成就するお方として来られる。
②祭司たちはきよめられ、再び神殿でいけにえをささげるようになる。
*このいけにえは、メシアの死を記念するためのものである。
③その日、レビ族だけでなく、民全体が裁かれる。
*マラキは、社会的正義が行われることに強い関心を示している。
④再臨のメシアによる裁きの預言の最後に、神の守りの約束が書かれている。
⑤不真実なイスラエルが滅ぼし尽くされない理由は、神の契約の愛にある。
⑥異邦人の私たちも、キリストにあって神の契約の愛の中に置かれている。

Ⅴ.民の宗教的罪( 3 : 7 ~ 4 : 3 )

1.「わたしのところに帰れ。そうすれば、わたしもあなたがたのところに帰ろう」
(1)神は常に、民が悔い改めてご自身のもとに帰って来るのを待っておられる。
(2)「どのようにして、私たちは帰ろうか」
①彼らには、罪の認識がない。
②神はこの問いに対して回答せずに、次の質問に移る。
※開き直りに神はあきれている。

2.「人は神のものを盗むことができようか。ところが、あなたがたはわたしのものを盗んでいる」
(1)「盗んでいる」という動詞は分詞形で、継続した動作を表している。
①「どのようにして、私たちはあなたのものを盗んだでしょうか」
②「それは、十分の一と奉納物によってである」

(2)民の2つの質問への答えは、同じである。
①真実なささげ物をささげることが、神に立ち返ることであり、神のものを神にお返しする、ということである。
②「十分の一」とは、すべての収穫の十分の一のことである。
③「奉納物」とは、いけにえの動物の中の祭司の取り分のことである。
④この2種類のささげ物がないと、祭司は生活することができなくなる。

(3)神から民への招きのことばが語られる。
Mal 3:10 十分の一をことごとく、宝物倉に携えて来て、/わたしの家の食物とせよ。/こうしてわたしをためしてみよ。/──万軍の【主】は仰せられる──/わたしがあなたがたのために、天の窓を開き、/あふれるばかりの祝福を/あなたがたに注ぐかどうかをためしてみよ。
①誠実なささげ物に対して、祝福が約束される。
②これらの命令は、モーセの律法の時代に適用される原則である。
③新約時代の献金の原則は、2コリント9:6〜15に記されている。
*喜んでささげる人は祝福される。
*献金は礼拝でもある。

(4)不信者の応答
①神に仕えても、なんの益もない。それはむなしいことだ。
②十分の一や奉納物をささげても、また、断食や悔い改めをしても、なんの益もない。それもまた、むなしいことである。
③神を神とも思わずに生きている者たちは、大いに栄えている。

(5)信者の応答
①【主】を恐れる者たち」は、互いに【主】を恐れることを戒め合う。
②【主】は、彼らの祈りに耳を傾けてくださる。
③「主の前で、記憶の書が」しるされた。
④イスラエルの残れる者たちは、【主】の宝となり、【主】のものとなる。
⑤イスラエルの残れる者たちは、大患難時代において【主】の守りを体験する。
⑥神は「正しい人(神に仕える者)」と「悪者(仕えない者)」を区別される。
⑦これは、義なる生活をするための動機である。
⑧神の招きにどう応答するかによって、私たちの将来が決定される。

(6)【主】の日の預言(4:1〜3)
①「その日」とは、大患難時代のことである。
②大患難時代の目的は、地上から悪を取り除くことにある。

まとめ( 4 : 4 〜 6 )

(1)モーセの律法を忠実に守るようにとの勧告がなされる(4節)。
①期間は、2人の使者(バプテスマのヨハネとメシア)の到来までである。
②この期間を「中間時代」と呼ぶ。
③その間、モーセの律法は、口伝律法によって破壊された状態になる。

(2)預言者エリヤの到来
Mal 4:5 見よ。わたしは、/【主】の大いなる恐ろしい日が来る前に、/預言者エリヤをあなたがたに遣わす。
Mal 4:6 彼は、父の心を子に向けさせ、/子の心をその父に向けさせる。/それは、わたしが来て、/のろいでこの地を打ち滅ぼさないためだ。」
①バプテスマのヨハネは、エリヤの型であるが、エリヤではない。
②大患難時代の前に、エリヤが【主】から遣わされて来る。
※文字通り、本物のエリヤが来る。
③彼の使命は、家族の一致をもたらすことにある。
④ユダヤ人の家庭では、イエスをメシアと信じると分裂が起こる。
⑤マラキ書の最後は、もし神の招きに応答しないなら、「のろいでこの地を打ち滅ぼす」という警告で終わる。
⑥メシアの再臨までの期間は、神の忍耐と憐みの時である。
⑦この期間に、【主】に立ち返る人は幸いである。

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