#47 コリント人への手紙第一

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レジュメ

※「※」や「⇒」で書いてる記述は、このNoteを書いてる者のメモです。他はレジュメのコピペです。

1.はじめに

(1)コリント人への手紙第一の位置づけ
①エペソ書は、普遍的教会に関する教えが書かれた書簡である。
※ペンテコステの日にできた、まことの信仰者の集まりのこと。こちらについては、何も問題はない。
②1コリは、地域教会が直面する課題について書かれた書簡である。
※まだ救われて無い人も居るし、救われていても、よちよち歩きの人も居る。教会に行ったら、全部問題が無くなるわけではない。
※コリントの教会:問題のデパート。

(2)著者は使徒パウロ。
①彼は2度、自己紹介をしている(1:1、16:21)。
②4回自分のことを「使徒」と呼んでいる(1:1、4:9、9:1、15:9)。

(3)宛先はコリントの教会。
①コリントは、アカヤ州の首都で、東西に移動するための要衝の地である。
②ローマ帝国内で4番目に大きな町。
*商業都市、文化都市、堕落した都市、偶像礼拝の都市
*「korinthiazomai」とい動詞が生まれたほどである(堕落した生活)。
③この教会の土台を築いたのはパウロであるが、多くの問題があった。

(4)執筆年代
①パウロは、紀元55年頃に、エペソにあってこの手紙を書いた。

(5)執筆目的
①パウロは、位置的聖化を、実際的聖化に高めようと努力した。
②1コリ1:1~3
1Co 1:1 神のみこころによりキリスト・イエスの使徒として召されたパウロと、兄弟ソステネから、
1Co 1:2
コリントにある神の教会へ。すなわち、いたるところで私たちの主イエス・キリストの名を呼び求めているすべての人とともに、キリスト・イエスにあって聖なる者とされ、聖徒として召された方々へ。主はそのすべての人の主であり、私たちの主です。
1Co 1:3 私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安があなたがたにありますように。
*彼らは、数々の問題を抱えながらも、「聖徒」と呼ばれている。

2.アウトライン:

イントロダクション(1:1~9)
Ⅰ.罪の叱責
1.教会の中にある分裂(1:10~4:21)
2.罪に対する懲戒(5:1~13)
3.裁判の問題(6:1~8)
4.性的放縦の問題(6:9~20)
Ⅱ.質問に対する回答
5.結婚(7:1~40)
6.偶像に捧げた肉(8:1~11:1)
7.礼拝における秩序(11:2~34)
8.聖霊の賜物(12:1~14:40)
9.復活(15:1~58)
10.献金(16:1~12)
最後のあいさつ(16:13~24)

コリント人への手紙第一について学ぶ。

Ⅰ.罪の叱責

1.教会の中にある分裂(1:10~4:21)
(1)1コリ1:11~12
1Co 1:11 私の兄弟たち。実は、あなたがたの間に争いがあると、クロエの家の者から知らされました。
1Co 1:12 あなたがたはそれぞれ、「私はパウロにつく」「私はアポロに」「私はケファに」「私はキリストに」と言っているとのことです。
①教会の中は、4派に分裂していた。
*パウロ派(異邦人伝道派)
*アポロ派(雄弁に惹かれる人たち)
*ペテロ派(ユダヤ人伝道派)
*キリスト派(優越感を覚える人たち)

(2)1コリ1:18
1Co 1:18 十字架のことばは、滅びる者たちには愚かであっても、救われる私たちには神の力です。
①神が愚かな者、弱い者を選ばれたのは、知恵ある者、強い者をはずかしめるため。
②分派があるのは、「肉に属する人」が多くいるからである。
※自己中心的ってこと。。
③キリストという土台の上に自分の人生を建てるべきである。
④また、使徒たちの謙遜な姿勢から学ぶべきである。
⑤パウロは、「一致して、同じ心、同じ判断」を保つように勧める。

2.罪に対する懲戒(5:1~13)
(1)義理の母を妻にしている者がいる(異邦人が聞いても驚くような罪)。
①レビ記18:8、申命記22:30などは、これを禁止している。
②パウロは、霊においては、主イエスの御名によってその人をすでに裁いた。
*主イエスの権能によって、その人をサタンに引き渡した。
*その人が悔い改めに至ることを願って、これを行なっている。

(2)罪の処理をしないのは、高慢になっているからである。
①高慢というパン種がわずかでもあれば、教会全体に影響を与える。
②過越の祭りでは、小羊をほふった後、種の入っていないパンを食べる。
※種:罪の象徴
※種の入っていないパン:罪の無いパン
③すでに過越の小羊であるキリストがほふられた。
④新約時代の信者も、パン種のない状態で、神を礼拝すべきである。
※教会もパン種の無い状態にならなければいけない。

(3)不品行の罪の処理に関するパウロの教え
①教会外の人たちのことは、神が裁かれるので神に委ねておけばよい。
②教会内の罪の問題に関しては、そのまま放置しておいてはならない。
③悔い改めを迫り、もし悔い改めないなら、その人を教会から取り除く
必要がある。

※みかんの箱の底にカビてるみかんがあれば、交換してくれる話。

3.裁判の問題(6:1~8)
(1)コリント教会の中には、同信の兄弟たちを裁判所に訴える者たちがいた。
①刑事事件の場合は、ローマの法律で裁かれるのが妥当である(ローマ13章)。
②民事事件では、ユダヤ人にはユダヤ法による裁判が認められていた。
③ラビの教えでは、ユダヤ人の訴訟を異邦人の裁判所に持ち込むのは罪。

(2)しかし、クリスチャン同士の訴訟は、教会内で解決すべきである。
①聖徒は、再臨の時には世界を裁く地位に就く(ローマ8:17、黙示20:4参照)。
②それなのに、ごく小さな事件さえ裁く力がないというのはおかしなことである。
③神を知らない人たちを、自らの裁判官に選ぶのはおかしなことである。
④訴え合うよりは、むしろ不正を甘んじて受けた方がよい。
※キリストの御名が辱められるよりはマシ。神にゆだねる。

(3)不信者との争いに関しては、この世の法廷に持ち込むべきである。
①その方が、不信者である相手にとってより公正な方法となるからである。

4.性的放縦の問題(6:9~20)
(1)クリスチャンの自由を誤解している人たちがいた。
「食物や体はやがて消え去るものであるから、それらに関しては何をしても
構わない。それが、魂や霊に影響を与えることはない」
※ギリシャ哲学の影響。

(2)パウロの反論
①クリスチャンの体はキリストのからだの一部である。
②その体を取って、遊女と交わるなら、その人は遊女と一心同体となる。
③人が犯す罪はすべて体の外のものだが、不品行は自分の体に対する罪である。
④信者の体は、聖霊の宮である。その宮を遊女の体とすることは重大な罪である。

※傾いてて、階段が宙に浮いてる建物だけど、建築工学の基準から何も外れてないという話。教会も変わっていくかもしれないが、その原理原則は変わらない。

Ⅱ.質問に対する回答

5.結婚(7:1~40)
(1)信者の結婚関係
①結婚した者は、互いに相手に対して果たすべき義務がある。
②祈りのために合意の上でしばらく肉体関係を控えるのは構わない。

(2)独身男性とやもめの女
①自分のように独身で生活できるなら、それが良い(神への献身)。
②もし自制することができないなら、結婚したほうがよい。
※パウロは独身。

(3)離婚
①原則は、離婚はいけないということである。
②すでに離婚しているなら、結婚せずにいるか、それとも夫と和解するか。
③結婚後、片方が信者になった場合は、どうするか。
*不信者の相手がそれを承知している場合は、離婚してはならない。
*もし不信者の相手が離れていく場合は、そのままにしておいてよい。

(4)処女
①今は「危急のとき」であるから、今の状態を変えないで生活するほうがよい。
②「危急のとき」とは、伝道できる時間が少ししか残されていないという意味。
③男であれ女であれ、独身の時のほうが、神に対して関心を集中しやすい。

(5)配偶者と死別した人
①相手が死ねば、生きている方はその結婚から解かれる。
②再婚の自由を行使することは罪ではないが、再婚しない方がもっと幸いである。

6.偶像に捧げた肉(8:1~11:1)
(1)偶像に捧げた肉を食べてもよいのかどうか。
①市場では偶像に捧げられた肉が売られており、普通の肉と区別がつかない。
②パウロは、知識と愛を対比させて論じる。
*偶像なるものは実際には存在しないので、肉が霊的に汚れるわけではない。
*しかし、知識は、愛の衣をまとっていなければ、有害なものとなる。
③偶像神は存在しないが、人々を偶像礼拝に導く悪霊は存在する。

(2)「弱い人々」への配慮が必要である。
①配慮のないままで食べるなら、信仰の弱い人をつまずかせることになる。
②その兄弟のために死んでくださったキリストに対して罪を犯すことになる。
③「愛による自由の制限」
*クリスチャンには自由があるが、すべてのことが有益とは限らない。
*また、すべてのことが人の徳を高めるとは限らない。
*究極の原則は、自分の利益ではなく、他人の利益を求めることである。

7.礼拝における秩序(11:2~34)
(1)婦人のかぶり物が、礼拝の秩序を壊していた。
①「かぶり物」なしに出歩くのは、道徳的に問題のある女性のすることだった。
②ギリシア人の婦人たちは、「かぶり物」をつけない習慣があった。
③キリスト者の自由を盾に、ギリシア風の習慣を教会に持ち込む婦人たちがいた。
④「婦人のかぶり物」の問題は、結局は礼拝の秩序の問題である。
⑤字義通りに実行すべしという意見と、文化的な命令であるという意見がある。
⑥キリスト者の自由は、人の徳を高め、教会を建て上げるために用いるべきである。

(2)主の晩餐における混乱があった。
①当時は、聖餐式の前に食事会があった。ギリシア語で「アガペ(愛餐)」と言う。
②裕福な者たちは、豪華な料理を持ってきて、全員が揃う前に勝手に食べていた。
③これは、貧者への侮辱であり、教会内に分派を作り出す原因となっていた。
④パウロは、以下のように提案した。
*主イエスのことばを思い出すこと。
*主の晩餐にあずかるために、十分な準備をすること。
*全員が集まるまで待つこと。空腹な場合は、家で食べること。
8.聖霊の賜物(12:1~14:40)
(1)聖霊の導きがなければ、「イエスは主なり」と言えない。
(2)コリントの教会にあったのは、異言の賜物の強調から来る混乱であった。
※礼拝中に異言(外国語)で語ったりして、新しく来た人はびっくりすることがあった。
①それを矯正するために、パウロは次の3点を明らかにする。
*教会には多様な賜物、奉仕、働きがある。
*賜物を分け与える方は、同じ御霊であり、同じ主である
(多様性の中の一致)。
*これらの賜物は、教会全体の益となるために各人に与えられている。
※単独のクリスチャン生活はありえない。
②愛がなければ、すべては空しい(13章は愛の章である)。

9.復活(15:1~58)
(1)パウロが宣べ伝えた福音
①キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれた。
②またキリストは、墓に葬られた。
③そして、3日目に死者の中から甦られた。

(2)復活の目撃者
①復活のキリストは、まずケパ(ペテロ)に、それから十二弟子に現れた。
②次に、500人以上の兄弟たちに現れた。大多数の者はまだ生き残っていた。
※彼らに聞いてみたらよい。
③さらに、ヤコブ(キリストの弟)に現れ、それから使徒たち全部に現れた。
④最後に、教会を迫害していた自分(パウロ)にも現れてくださった。

(3)キリストは、「眠った者(信者で死んだ者)の初穂として死者の中からよみがえった」。
①キリストの復活に続く信者の復活は、キリストの再臨の時に起こる。
②それに続いて、キリストの支配が実現する(地上における千年王国の実現)。
③千年王国の終わりに、死も滅ぼされ、キリストは御国を父なる神にお渡しになる。

10.献金(16:1~12)
(1)パウロは、エルサレム教会への支援を深く心に留めていた。
①エルサレムの聖徒たちを支援する3つの理由
*貧しい兄弟たちを支えるのは、兄弟愛の実践である。
*この献金は、両者がキリストにあって一つであることを示す行為である。
*異邦人信者がユダヤ人信者を支援するのは当然の義務である。
②ロマ15:27
Rom 15:27
彼らは喜んでそうすることにしたのですが、聖徒たちに対してそうする義務もあります。異邦人は彼らの霊的なものにあずかったのですから、物質的なもので彼らに奉仕すべきです。

まとめ
パウロは、一致と調和を求め、情熱を燃やし、愛を抱きつつ、この手紙を書いた。
「一致と調和」、「情熱」、そして「愛」を抱きつつ、地上生涯を歩ませていただこう。

感想

コリント人への手紙第一で聖餐式の前の食事会で、金持ちの人たちは豪華なメシを先に食べ始めてたって話。これをやってしまうと、みんなでシェアするというか、それぞれが持ってきた分をそれぞれが別々に食べる流れとなってしまい、金持ちの人は豪華な食事、貧乏な人は貧乏な食事を食べる結果になります。

で、これは、貧乏な人たちには、結構、屈辱ですよってことで。。私も高校時代、そこは基本的に地域の裕福な人たちが通う高校だったので、食堂では、みんな普通に500円の定食とか食べてるわけなんですけど、うちは貧乏だったんで、毎日200円の素うどんとか食べてるわけです。その時のことを思い出しました。

自分が人と食事するのが苦痛になったのは、その当たりからな気がします。結局、食べてるもので、人の価値が測られてるみたいな気がしてて。。そういう意味で、小学校の給食っていう、みんなで同じものを食べるっていう仕組みは良かったな、とは思います。

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