差別

「平等」である事がマストである現代社会で《差別》という概念は絶対悪になってしまった。だけど、差別は世界を円滑に回していくという観点において、とても有意義だ。

例えば、部活動においてベンチ入りメンバーとそうでない者を決める時、能力が高い者と低い者を差別化する事はごく普通に行われている。

例えば、サラリーマンでも、能力や経験に応じて任せられる仕事は違う。これも差別だ。

差別する事自体は、悪い事ではなく、それなりの根拠がある差別は寧ろ必要な事だ。問題なのは根拠なき差別だ。

例えば、人種差別にしても、どんな人種の中にも、能力が優れている人もいれば、イマイチな人もいる。白人だから優秀で、アジア人は劣っているなんてのは何の根拠もない愚考だ。

命は、人間の意思で生み、育むことはできない。だからこそ全ての命は尊い。黒人である事がその命を軽んじられる事の根拠にはなり得ない。

例えば、男女差別にしても、性別が能力の優劣に及ぼす影響は皆無だ。得意、不得意はあると思うけど、それは性別に関係なく誰にでもある事で、世界はそういう部分を補い合えるようになっている。能力の優劣とはまた違う問題だ。

差別が起こる原因は二種類あると思う。一つは、周りの人たちの偏見によるもの。もう一つは自分でその偏見を創り出している場合だ。そして何より当事者たちが差別をされているという認識がないとこういう問題は起きない。

例えばよくニュースになっている黒人犯罪者に対する白人警察官の職務執行においての過剰な対応にしても、その警察官が相手が黒人だからやったのか、それとも相手が白人でもそういう対応をするのかはその事象からだけでは分からない。人種関係なく犯罪者全員に対してそういう対応を日頃からしていて、その日はたまたま相手が黒人だったから大きなニュースになったという可能性は無きにしも非ずだ。

どちらにせよ、この場合問題なのは、過剰な対応であるのに、ニュースで問題として挙げられるのはもっぱら相手が黒人だったという事だけだ。これは黒人たちが差別されているという意識が強い事が原因であると思う。

例えば、女性だから出世できない。認めてもらえないという話にしても、ただ能力が足りないから認めてもらえない場合は、たぶん意外に多い。

社会で、会社で、全ての人が出世できるわけじゃない。出世できる人の方が圧倒的に少数だと思う。それに新人の時から第一線でバリバリやってる人は先ずいない。誰しも最初は雑用からだ。雑用が能力が無くてもできる比較的簡単な仕事だからだ。

その中で、周りとは違う仕事っぷりを提示できた者だけが認められ、次のステップに進める。女性と男性でフラれる雑用の種類が違うだけで、それは差別ではなく、区別だ。

確かに女性を蔑むような言動をする男性はいる。ただ、そういう輩は喩え相手が同性であっても自分より下だと認識した者を蔑むような言動をとるものだ。そう認識した者がたまたま女性であったという場合が殆どだろう。この場合、問題なのはその男性の人間性や人格であるのだけれど、相手が女性というだけで、男女差別の問題になり、故に根本的な解決にならないケースはそう少なくは無いと思う。

現代社会はとかく、平等である事を求めるけど、この世界に完全な平等なんてものはない。人間誰しも生き方や経験、思想が違うのだからどこかで差が生まれるのは至極当然の事だと思う。それが人間というものであると思うし、その差を補い合う生き方が僕たちの目指すべきところだと思う。

自分が差別されているという意識が差別を更に助長していく。

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