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放送大学大学院博士後期課程:1期生の立場から(新連載)

放送大学大学院に博士後期課程が設置され、学生受け入れが始まったのは、2014年10月のことです。定員10人。受験者数260人。合格者12人。3年後の修了者は4人。私はそのなかの1人でした。

4人の内訳は、元文部科学省官僚の国立大学理事と、やはり元文部科学省官僚の私立大学客員教授、元国立大学助手の歯科医師、そして公立高等学校教諭の私です。ハーバード大学で修士号をすでに取得していたり、英国で日本大使館勤務をしていたことがあったりと、全く違った背景を持つ4人なので、それぞれが経験した大学院の3年間も、同じ体験でありながら、実際には同じ体験ではなかったと思われます。

放送大学大学院は文化科学研究科という1つの科のなかに、6つの専攻プログラムがあるのですが、人文学プログラムでは、私が最初の学位取得者です。ちなみに、人文学プログラムの1期生入学者は、私のほかは、ふたりの私立大学教授でした。

学位取得後の2019年1月、放送大学特別番組「私の博士論文:大学院を目目指すあなたへ」(2019年3月初放送)の取材で長いインタビューを受けました。番組に採用された談話は僅かでしたが、さまざまな資料を提供しつつ、修士課程、博士後期課程の5年間を振り返り、自らの歩みを客観視する良い機会でした。放送大学大学院の博士後期課程に関心を持つ方は少なくないと思います。そこで、ひとつのケーススタディとして、自分の体験をnoteに書くことにしました。

放送大学については、工藤庸子客員教授が『大人のための「学問のススメ」』(講談社現代新書、2007)を、また石弘光元学長が『新・学問のススメ:生涯学習のこれから』(講談社現代新書、2012)を著しています。どちらも啓発される著作で、放送大学に関心を持つ方にはお勧めの本ですが、私はそこで実際に学んだ立場から書いてみたいと思うのです。

私の経歴、学歴、業績については、リサーチマップ(研究者総覧)でインターネット上に公開されておりますので、この連載では、公的な履歴からは窺い知ることができない具体的な世界について書こうと思います。
 
書き方としては、統計的な資料などを用いて客観的に記述するというよりは、自分の個人的な体験に即して書くことにします。生涯学習機関たる放送大学の、大学院博士後期課程についてだけは、先行者の経験は多種多様で、個別の再現性は高くないように思います。ですから、私は放送大学大学院で博士号を取得するための万人向けのノウハウを書くつもりはないのです。

多忙な高等学校の教員が大学院で学ぶとは、どういうことなのでしょうか。最初にそのことについて考えることにしましょう。私は神奈川県立高等学校の現場しか知らないのですが、もともと、修士号を持つ教員がかなりおります。アメリカ合衆国のアリゾナ大学で修士号を取得した国語の先生や、英国のエセックス大学で修士号を取得した社会科の先生を知っています。

博士号を持つ人は、私はかつて出会ったことはありません。教員をしながら、横浜国立大学大学院、上越教育大学大学院、鳴門教育大学大学院に研修派遣される制度もあるので、学部を卒業して教員になり、その後に教育学の修士号を取得する教員もおります。

公立中学校時代に教わった社会科の先生は、早稲田大学のご出身でしたが、鶴見俊輔さんの「思想の科学」に論文を書くような方でした。高校時代に私が古典を教わった先生は、広島大学教育学部のご出身で、早稲田大学大学院修士課程修了後に教員になった方でしたが、その後、関西の短期大学教授を経て県立大学教授になり、早稲田大学で博士号を取得されました。

また、同僚だった理科の先生は、筑波大学を卒業した方でしたが、1990年代に、現場からおおらかさが急激に失われた時機に退職され、京都大学で博士号を取得されました。また、慶應義塾大学大学院で修士号を得て教員になった社会科の同僚は、都立大学と私立女子大学で非常勤講師をしていました。時間割の最終のコマや土曜の講義ならば、兼職が可能なわけです。このような次第で、数は多くはないものの、高校教師をしながら大学院で学んだり、論文を書いたりしている人は一定数いるのです。

大学は研究教育機関であり、小中高は教育機関ですから、高等学校教諭の仕事は教育であり、研究ではありません。当然、研究費もありません。しかし、教育を職務とする以上、絶えざる自己研鑽、自己研修が求められるのは当然のことですから、勉強家の先生は多く、知的な刺激を与え合う環境にあるといってよいでしょう。国語、社会、英語、数学、理科、芸術といった専門を持っておりながら、同じ職員室に机を並べているので、他教科の方から知的に啓発されることが少なくありません。

高等学校の現場が、勤労の場として、多くの問題を抱えていることは事実です。教員は多忙であり、強いストレスにさらされることもあります。体を壊したり、離職したりする人は身近にもおりましたし、私自身も、40代後半に体を壊して数年間苦しんだ経験があります。ツイッターなどには、現職の先生方の悲鳴が溢れています。

私がツイッターでそうした事柄について語らないのは、苛酷な現実から解放されているからではなく、仕事にまつわる歎きや怨嗟をインターネット上で公開することは慎みに欠ける行為だと、自分に禁じているからだけなのです。

高等学校の教員が、自身の知的向上への努力を止めてしまったら、エデュケーターとしておしまいです。現場の先生方の悲鳴は、よりよい授業をするためにじっくり落ち着いて教材研究をする時間がない、教員として研鑽する時間がないという点にあります。それは、知的に堕落した結果、自分が教育者の名に値しない存在へと転落することへの恐れだと私は思います。
(続く) 

*写真は博士論文『ポストコロニアリズム的視座から見た遠藤周作文学の研究』(関西学院大学出版会、2017年)です。

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