子どもたちに伝えたい!最悪が最高になったピアニストのお話
私が今、音楽の先生をしていたら、絶対に授業で子どもたちに紹介していると思う!ピアノ演奏を交えながらこの方をこんなふうに・・・
西川悟平さんという奇跡のピアニスト知ってる?パラリンピックの閉会式で「この素晴らしき世界」という曲を弾いた人・・・
思わず「嘘でしょ?!」と叫びたくなるような、この人の凄いエピソードを6つ紹介します。特に最後のエピソードが私は大好き!
「これ話盛ってるでしょ?って言われるけど、盛るどころか削ってますから・・・」
1 ピアノをはじめたその日に
15歳の時、大好きだった憧れの先生に「ピアノ教えて!」と言ってピアノをはじめたその日、先生の演奏を聴いて電撃が走った!
〜そのときの先生との会話〜
「先生、ぼく音大のピアノ科に行く!」
「悟平くん、音大のピアノ科っていうのはね、3歳位から英才教育を受けて、毎日5〜6時間練習して、それでもなかなか受からないの。あなた今日ピアノ始めたところでしょ?絶対無理だから!」
しかし・・・猛練習の末、現役で音大に入りました!
2 饅頭屋からピアニストへ
音大卒業後バブル崩壊!就職難!ピアノじゃ食べていけない!
・・・というわけで、デパートの饅頭屋に就職。
ある日、10分だけ出させてもらったコンサートで、ニューヨークから来た著名なピアニストから「ニューヨークへ来ないか?」と誘われた。
〜そのときのピアニストとの会話〜
「君、何の仕事してるの?」
「お饅頭売ってます。」
「それは本当にやりたいことなの?」
「今、仕事があるだけで幸せです。」
「将来本当にやっていたい仕事はなんなの?」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「もっとピアノがうまくなりたい!世界中を演奏してまわりたい!世界中に音楽を通じて友だちをつくってみたい!」
汗だらだら(゚o゚;;
「なにぐずぐずしてるの?!すぐニューヨークに来なさい!」
そして・・・ニューヨークへ!!
3 一瞬のアメリカンドリーム
2ヶ月が過ぎ、「日本へ帰る前に公共の場で弾きなさい。」と言われたのだが・・・用意されたホールが由緒正しい歴史的大コンサートホールだった!
〜そのときの師匠との会話〜
「え〜?ここでやるんですか?!無理です!コンサートキャンセルしてください!」
(詳細は省きますが、この間お師匠さんのすばらしい説得あり)
「たとえ準備ができてなくても目の前にチャンスがきたら掴んでみなよ!」
「でも、もし演奏がボロボロになったらどうするんですか?」
「大丈夫!ボロボロになりそうになったら気絶しなさい!」
結果・・・大成功!ピアニストとしてデビュー決定!!!
シンデレラボーイと言われ、2000万の奨学金、300坪の一軒家、家政婦さんや白いベンツと運転手も用意され、一瞬のアメリカンドリームを見た!
ところが・・・
4 絶頂からどん底へ
そこで勝ち残るためのプレッシャーとストレスを抱えながら、ひたすら練習する日々・・・そのうちに指が動かなくなってしまった。
ジストニアという脳の病気で5人の医者から
「あなたは2度とピアノが弾けません」
と言われ、絶望の淵を彷徨う。
一時は命を絶とうとさえ思った。
5 奇跡の7本指のピアニストへ
そんなある日、友だちが勤めていた幼稚園に誘ってくれた。
そこで子どもたちに「なんか弾いて!」と言われた。
指を見られるのがカッコ悪いし嫌で弾きたくなかった。
でも、なんとか動いた右手の3本と左の2本のひん曲がった指で「きらきら星」を弾いた。
そしたら子どもたちはそんな指のことには目もくれず、純粋に聴こえてくる音だけに反応して、大喜びで
「トウィンクル トウィンクル リトルスター 」と歌ったり踊ったりしてくれた。
ここでまた「ドーン!」と雷に打たれた!!
子どもたちのおかげで、
「5本しか動かない!」が「5本も動く!」という感謝の気持ちに変化!
それから7年ほどかけて、少しずつ弾ける曲が増えていった。
そして・・・
「ジストニアさんありがとう!」と病気に感謝したとたん、ヨーロッパからオファーが来た!
動くようになった7本の指でピアニストとして再デビュー!
「ブラボー!ブラボー!」となって、以来「奇跡の7本指のピアニスト」として世界中を演奏してまわることに!
全てを奪った病気が感謝したとたん一転して翼になった!
<特別編> 泥棒をご招待?!
ニューヨークでの出来事。
ある夜、玄関の鍵をかけ忘れたままくつろいでいると、二人組の強盗が現れた。
手にしているのは注射器!(ナイフとか銃とかでなく注射器?!)
部屋からいろんな物を盗み出した。
両手を上げて見ているうち、恐怖心が好奇心へと変化した。
〜そのときの泥棒との会話〜
「ちょっと聞いていいですか?」
「うるさい!黙れ!」
「いや、どんな幼少期を過ごしたのか気になったものですから・・・」
すると一人の強盗の動きがピタッと止まった。
「お前にあの痛みがわかるもんか?!」
「あの痛み?それはなんの痛みですか?」
「俺は4歳の頃から父親に虐待された。母親はアル中だった。最終的には両親に捨てられてホームレスになったんだ・・・」
そんな話を聞くうち涙が止まらなくなり
「本当に大変な思いをしてきたんだね。大した物はないけど、何でも盗っていっていいよ。」と言った。
そしたら強盗は本当に何でも盗み出して、大型テレビまで外そうとした。
その哀愁漂う背中をつい抱きしめたくなり近づくと
「近づくな!あっちへ行け!」と怒られた。
するともう一人の強盗が
「おまえは日本人か。日本人は優しいから好きだ!」と言い始めた。
褒められたからにはお茶のひとつでもと思って
「日本のグリーンティー飲んでみます?」と聞いたら
二人とも「飲みたい!」と言うので、そこで初めて解放されてお茶をお出しした。
そこから8時間に及ぶお喋りが始まった。
そのうちに部屋にあったカーネギーホール(小ホール)でピアノを弾いたときのポスターを見た泥棒が「おまえすごいな!」と言った。
一人の泥棒が「おれ実は今日誕生日なんだ」と言うから「ハッピーバースディー」を弾いてあげると泥棒は泣き出した。
それから朝方まで何曲か弾いたり話したり・・・
「こいつらいつ帰るんだ?」と思いながら、外はマイナス17℃の寒さだったので、泥棒たちをお風呂に案内した。
すると泥棒はバスルームの壊れた暖房機を直してくれ、ガタついていた窓まで「これじゃ外から泥棒入るぞ!」と言って直してくれた。
泥棒たちがあまりによくしてくれたので、もしもカーネギーホールの大ホールでコンサートをやることになった暁には招待する約束をして、電話番号まで交換した。
そして泥棒二人組は最後に、盗った物を全部返してくれて、帰り際にハグをしてくれた。そして、
「おい!鍵かけとけよ!」と言って帰っていった。
約一年の月日が流れたある日、突然携帯が鳴り、見ると「DOROBOU」からだった。(゚o゚;;
カーネギーホール(大)でのコンサートが決まり、テレビで放送されたドキュメンタリーを見て連絡して来たとのこと。
正直怖くなったので困って主催者に連絡した。すると、
「泥棒との約束は守った方がいい。」と言われ、特別席に招待することになった。
コンサート当日、泥棒たちはスーツを着て来て、VIP席でコンサートを鑑賞した。
「これ話盛ってるでしょ?って言われるけど、盛るどころか削ってます!」(再)
<追記>
先日、知り合いの方から西川悟平さん出演のコンサートの招待状をいただいた。地元飯田市出身の二人の演奏家と、閉館を迎える飯田市のホールで共演する予定だった。あいにく悟平さんはコロナにかかってしまい来れず、当日はメッセージが読み上げられた。
「パラリンピック閉会式での演奏が決まった知らせを受けたのが、ちょうど飯田にいるときだった。飯田は僕のパワースポット!」といった内容に加え、共演者や観客への想いの込もったあったかいメッセージだった。悟平さんの生の演奏が聴けず残念だったが、代わりにいくつかの動画を観た。演奏が素敵なのはもちろん、お話があまりに面白かったので、子どもたちに伝えたくなって記事にさせていただきました!