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その場は免れても…

不穏な世界情勢や政治の現場、
身近なところだと芸能界やら…
様々な現場で見られること…

こんな事があっていいのか…
という事やそれら残念な現状が、
日々のニュースや各メディアで
絶え間なく報道されている。

その中で、自ら犯した罪や
不道徳な行いによる顚末が、
公のもと明るみになっても、
圧倒的な権力を揮ったり、
法の網の目を掻い潜ったりして、
何とか免れようとする人々…

法を犯すまでには至らずとも、
私たちの周辺などでも、
モラルや良識が問われる諸行を
図らずも、
時に目撃してしまう時もあり…

でも、いつも思うことは、
その場は幾ら免れたとしても、

すぐにではなくても、
必ず、何かのタイミングで、
何かの形で、
その諸行が正義の光に曝され、
審判が下される…

いつか必ず…
悔い改めなくてはならない時が
来るということ。

因果応報という言葉では、
とても収まりきれないものでは
ないかとも思う。

その場は巧く、免れたとしても、
罪の意識に苛まれる日々を
送らなければ成らなくなるし、
もし本人が、
その諸行や罪の重さなどを
例え、全く自覚していなくても、

その人の中に、
深い闇として刻まれ、
覆われていくようにも思う。

だけど、たぶん、
そんな人たちにも平等に、
見えざる光や無言の力が働いて、
やがては、
正しい道へと導かれていくんだと
信じたい…

そうでなければ、辛すぎるし、
悲しすぎることばかり…
そんな事ばかりになってしまう…

誰も見てないよね…

いいえ、
誰も見てない訳ではない…

お天道様は見ているんだよ…
なんて、古い事は言わないよ。

確かに、
誰も見てない訳ではない…

今、自分で自分を見つめている。

自分がいちばん、
よく分かっているはずだと、
そう信じたい…

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