ビニプ問題に端を発する、隣家との付き合い方(つきあわない)
今年の夏も暑い。
住宅街に住んでいると、特に小さい子どもがいると、庭や駐車場でビニールプール(通称ビニプ)で遊ぶかどうするか、と考える方もいらっしゃるだろう。僕の実家のように隣家との距離が相当離れているような田舎や、広い庭なら、神経質にならなくてもいいのだけれど、都心部の住宅密集地だと周りの家庭にも気を使わないといけないことも多いかもしれない。
僕の住んでいるところは、いわゆる都心の郊外(ベッドタウン的な場所で、東京への通勤圏の場所だ)で、住宅密集地だ。びっちりと建っているわけではないけれど、敷地も120平方メートルくらいの、このあたりではスタンダードな一戸建てだと思う。
前にも話したことがあったと思うけれど、この近所には少しにぎやかな家庭が何軒かある。
そのなかでも、ビニールプールを出している家庭は3家族ある。少しそのエピソードをお話しよう。
プール遊びをやめてくれ、とまでは言わないが、僅かな配慮がほしい
プール遊びが楽しいのだろう、度を超えてにぎやかなことがあるので、少し、僅かばかりでも配慮があればいいのにな、と正直思うことがある。
(色眼鏡のついた僕の見え方を差し引いても)
夏の時期は、憂鬱で、雨や気温が低ければいいのにと願うことも少なくない。
近所のそれらの家族の子どもたちは遊び盛りだろうし、僕も同じくらいの子どもがいるからわかる部分もある。夏の暑い時期は、幼稚園などが休みの時期もあるだろうし、親がお休みで保育園に行かない日もあるだろうから。それでも、この住宅密集地では、屋外のプール施設のようなはしゃぎっぷりを、親子でするなんてことはないだろう。
ここでは、親子でにぎやかになる瞬間が存在している。
子どもだけでなく、大人もはしゃぐ
僕の家の近所で、ビニプでおおらかに遊んでいるのは、隣家のA家族と、道路を挟んだB家族、集合住宅に住むC家族だ。3家族それぞれは、この近所に住む者であれば、プールに入っている姿を見たことがあると言うだろう。だれからでも見えるように、賑やかに遊んでいる姿を見ることができる。
この時期、夏の暑い今はプールを出して、いつも賑やかに遊んでいることが多いものだ。
その中でも、A家族は隣家でもあり、もっとも目にする機会が多いビニールプールである。
(僕の家の玄関と、隣家の庭先が面しているので、意識しなくても目に入ってしまうのだけれど)
隣に住むA家族は、小さい子どもがいる家族だ。
プールに入るときは、大人も水着に着替えて、プールに入っている。この数年は、子ども用のビニールプールを使っていたようだったけれど、今年に入って2.5畳ほどの大型で、すべり台がついた大型のプールを新調したようだった。かと言って、大型プールだけを使って遊ぶわけでもなくて、小型のプールも併用して遊んでいるようだった。確かに、大きなプールは準備にも時間がかかるだろうし、すぐに入りたいと思うこともあるのだろう。
この夏も暑いからだろう。
小さいプールでも大きいプールでも、大人は一緒に入っていることが多い。
夫婦は同時に休みではないことが多いようで、父親の場合と母親の場合とで、入り方が違っていた。
父親はワイルドで、アクロバティックな入り方が特徴だ。
上半身は裸だし、掃き出し窓の下においてあるプールに向かって飛び降りたり、大きな声で子どもと遊んでいる。余談だが、子どもがいない日には、庭先で上半身裸で、重りを持ち上げたりするようにトレーニングも欠かさない姿を見かけることがある。
母親は、庭先をリゾートの雰囲気にしたいようだった。
パラソルと、チェアを用意して、ビーチサイドでケータイ電話をいじりながら缶ビールを飲んだり、暑くなってきたら子どもとプールに入って涼を取ったりしているようだった。ときに、甲高い声で子どもと遊んだりしていた。
どちらも、休日(僕にとっては休日のときもあるし、平日なときもあるんだけれど)の使い方としては、間違っていないだろうし優雅で良い時間の使い方なのだろう。羽目を外した声や賑やかさを除いては。童心に帰るという言葉が適切なのか、大人げないという言葉があっているのかは、わからない。大人げないなんて言葉も、基準が"一般的に見て"なもんだから、適切か、わからない。
隣家問題は、いつだって、どこでも起こっている
ここまでのことは、玄関を開けると見えてしまうので記憶に残ってしまうし、「開けてみるまでわからない」玉手箱的立地条件もあるかもしれない。いずれにせよ、僕の家の玄関と隣家の庭とは、隣り合わせにあるので、裸を(男性の上半身だけとはいえ)目の当たりにすることは、家族にとって隣家問題は精神衛生上、いい状態とは言えない、ものである。
こういう問題は、よく発言小町(読売新聞)やYahoo!知恵袋にも近しい話題が出てくる。回答としては、五分五分になりがちだ。
僕らと同じように精神衛生上や、大人げないなんて理由から、「一般的に非常識」と捉える人もいる。逆に、捉え方の問題で自意識過剰だし、自分の敷地なのだから気にするほうがどうなのか、と捉える回答もある。
おそらく五分五分の意見がぶつかる部分は、「プールを出している側」と「プールを出していない側」であって、持っている意見やポリシーが異なっているから、相容れることは難しいものだと思う。
このコロナ禍の時代においては、自宅や在宅を楽しむという選択肢が増えてきた時代であることを考えると、「気になる側」派の人は、我慢をすることが多くなってきているように思える。自衛する手段が少ないからだ。
自分なりの意見を持つことと、寛容な気持ち、それでも配慮というものを大切にする
警察への通報や、苦情の陳情など、「気になる側」派が打てる手段もある。
しかしながら、これで静かになるなんてことは一時的なものだろう(実際「少し静かにしてほしい」を申し伝えたこともあるが、本質的な解決にはならなかった)。
人が変わる・人を変えるということは相当に難しいものだ、ということを誰しもが過去の体験から感じているはずだ。
そうとは言っても、我慢するということも、とても苦しい。
だからこそ、いつか誰かにこの事情を問うことが出たときに、意見を話せるようにしておきたいと思っている。
「うるさい!」の感情も理論的でありたいと思った。
愚痴を憎悪として記事にする事もできるけれど、なぜ自分は我慢しているのか。過去のどのような経緯から、その意見を考え始めたか。今後、どうありたいのか。自分の気持ちに素直になって回答を考えておこうと思った。
配慮という点においても、自分の意見を持ち、大切にしていくといいだろう。
感情を抑えるというものでもなく、信じている考え方がいつか報われるときが訪れることを、信じている。
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