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故郷は遠くにありて…

今年は冷夏の影響で凶作ですが、黄金色の田圃の周りを彼岸花が縁取るといよいよ秋が来たという感じがします。

彼岸花という名前とその毒々しい赤い色が子供の頃はなんだか気味悪く感じたものでしたが、最近ではその黄金色と赤色のコントラストの美しさにハッとします。それにしても、今月号がお手元に届く頃には、稲刈りもすっかり済んでいることでしょうから、かなり間の抜けた話になりましたね。
でも、私にとっては幼い頃、稲刈りの終わった田圃で遊んだ時に嗅いだ藁の匂いはとても懐かしい思い出です。

食べ物のそれは別として、匂いに対する記憶ってありますよね。
たとえば街中を歩いている時に『この匂いはどこかで…』と感じることはありませんか?
大抵の場合それは、かくれんぼして遊んだ納屋の匂いや探検ごっこした洞窟の匂いだったりと遊びに関わるものも多いのですが、すぐには思い出せずイライラする場合がほとんどです。

家の匂いというのもありますね。
一種『縄張り意識』なのかもしれませんが、出張や旅行から返ってきた時の『帰ってきたなあ。やっぱり家が一番だ』という安堵感は、家の持つ匂いが少なからず影響しているのかもしれません。

私が九州で学生生活を送っていた頃、それなりに忙しかったので、そうたびたび帰省できませんでした。それでも半年に数日、実家に帰る途中、列車が関門トンネルを抜けて、下関側に出ただけで『帰ってきたなあ』と感じましたし、その見慣れた風景が目にしみてくるようでした。

ひょっとすると私達人間も鮭と同じように無意識に生まれた場所の匂いを覚えているのかもしれません。
私達がこの世に生まれた時の最初の一呼吸がいつまでも肺の奥底に残っていて、その匂いが故郷の記憶とつながっているとしても、変じゃないと思っています。

『故郷は遠くにありて想うもの』というのも、遠く離れた場所でふと香ってきた何かの匂いから自分の故郷を連想した時に出た言葉かもしれませんね。

話は変わりますが、先日ガラス展に行ってきました。
100点くらいの作品が展示してあったのですが、その色彩の美しさにため息が出てしまいました。磨き上げられ、館内の照明を抱き込んで光る作品は『透明』という色があることを改めて感じさせてくれました。
価格は表示してありませんでしたが、買えるお金と飾れる場所さえあれば、ぜひ欲しいと思うものばかりでした。

それにしても、つい値段のことを考えてしまう芸術の秋とは無縁の自分に
少しばかり呆れて、ため息がもう一つ出てしまいました。

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