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10年後の君へ③

その男は五十嵐という。
この組の中でも一風変わった男で、敷地の中には、めったに顔を表さない。一見するとごく普通のサラリーマンのように見えるため、取り立てに行っても恫喝されてしまうような風体をしている。しかし、持ち前の頭の切れ味を活かした頭脳プレイで普段なら俺たちに媚びへつらってくるような客からも驚くような方法で金を回収してくる。

喧嘩などは得意ではないと本人は語るものの、常に相手の出方を先に読むため、五十嵐の顔を拝む前に海の藻屑かカラスの餌になっていることも多い。俺が異動する前、つまり君が昔住んでいた町で現在は働いている。
その五十嵐が早朝、珍しくも我が家にやってきたのだった。無論呼び出したのは俺の方で、銀縁眼鏡のその男は恭しく頭を下げた。

「お世話になっております、この度はお呼び立ていただきまして光栄でございます」
「調子の狂う挨拶だな。お疲れさん、前回の件は申し訳なかった。手間を取らせちまってるか」
「例の件に関しましては現在も調査中でございますが、相変わらずといった感じでございまして、親父殿にもお待ちいただいている状態です。あの女性の行方ですが、把握できておらず、大変申し訳なく思っております」
「その件なんだが、その女のガキが今ここで預かっている。俺の管轄地域で捨てられていた」

ここまで言われて驚く組員は少なからずいる。現在俺が管轄している地域は五十嵐が今いる地域から県境を越え、10キロ以上も離れている。到底子供が1人で来たのでは?と思うような場所とは言えないだろう。しかし、さすがながら五十嵐は冷静さを欠かない。

「昨日の話だ。捨てられて3日経っていた。俺の地域にいる可能性もあるんじゃないか」
「つまり私共の管轄する地域には既にいない可能性も高くなりますね。他のシマに流れている可能性も…」
「あるだろうな。ちなみにその女の関係者についての情報は?」
「現段階では何もありません。かなり難しい状況ではないでしょうか」

ため息とともに静かな沈黙が続き、その後五十嵐が口を開く。

「ところで兄さん、本日のご用件はこの内容でしょうか」
「いや、こっちはついでだな。捨てられた子供を人質になんてとれないだろうさ。その子の実父を探せないかと思ってな」

もしかしたらという淡い期待に近かった。再婚相手ではなく、実の父親なら同じ街にとどまっているという可能性が高かった。俺たちに追われることなく静かに今でもあの町で暮らしているかもしれない。
君の母親は君の父親を保証人にはしなかった。その真意もなんなのか、知りたい気持ちもあった。

「連れ帰って欲しいと?」
「ゆすれるかもしれない。少なくとも今、母親のもとに子供は今いない」

なんと陳腐な理由だろうか。こんなことで父親が果たして見つかり、君が元の世界で普通の小学生として幸せな生活を送れる保証はない。そもそもそんなことずいぶん前にやっておくべき内容でもあるのに。五十嵐だって、そんなことはずいぶん前からやっていたはずで、俺たちもやっていなかったわけではない。結論だけ言えば、見つからなかったのだ。最初に取り立てたのは君の両親が離婚してから既に5年が経過していた。5年もすれば人の流れは丸ごとといっていいほど変わっていく。少しずつ人の記憶は薄れていき、元々人とのかかわりが希薄だった君の父親はあっという間に誰の記憶からも風化していった。

「情報がとにかく乏しいというのがネックでしょうか。何か手掛かりがあればいいのですが」

五十嵐が悩んでいた最中だった。ふすまが開いて香也子と君が入ってきた。

「逃げなかったのか」
「おはようございます」
「ずっと話をしていたのよ。やっぱり気になるんだって」
「何が?」
「おじさん、昨日はありがとう。私ここに居ようと思う」

おじさんなんて言われたこともないし、子供に礼を言われることも普段ない。そこにくすぐったさも覚えたが、ここに居ると昨日の今日で決めた決断力にも驚かされた。

「ずいぶん早い決断じゃねえか」
「お母さんは私が家にいて迷惑だから捨てた。でもおじさんはここに居ていいって言ってくれた。迷惑ってお母さんが感じてるなら、ここに居ていいって言ってるおじさんのとこにいるよ」
「そうか」

子供の回復は早い。擦り傷や切り傷だけではない、心の回復の早さもそうなのかと驚くが、それでも初めて会った荒んだ部屋の中を思い出して、そうではないのかもしれないとも思った。それでも子供は親を愛している。どれだけいたぶられ罵倒され邪険にされても君は君の母親を愛していた。だから、ここに居ることを決めた。

「それにね」
「なんだ」
「おじさんはどこかに私をやっちゃうってことはないでしょ?」
「どういうことだ」
「学校で男子が言ってた。ヤクザは誰かをさらって臓器を密輸するって」
「なんかの映画の影響か」
「わかんない。でもそんなことするって言ってた。でもさ、体を切っちゃうならお風呂に入れる必要ってないと思わない?」
「どうだろうな、人っていうのは臓器以外でもいろいろと役に立つもんだからな」
「でもおじさんはしないよ」
「どうしてそう思うんだ」
「わかんない」

なんだそりゃ、といいながら君の頭を乱暴に撫でる。これから香也子に連れられてあれこれと買い出しに行くらしい。学校や転居など、あれこれと手続きもしないといけないと、香也子も心なしか張り切っていた。
2人が部屋を出ると、静寂が戻る。昨日とは打って変わったような小春日和となっているが、着実に冬が近づいている肌寒さも感じられる。五十嵐は君の父親の行方についても再び探し始めると伝えると

「にぎやかになりそうですね」
とやや口角を上げる。

「どうなるかはわからんな。香也子といった先でいきなり逃げ出すかもしれない」
「でも、あの子に行き場はないんでしょう」
「そりゃそうだがな」
「人は一旦ぬるま湯にいれればそこから落ちるのは簡単ですよ」
「失礼だな」
「はい?」
「昨日は温かい風呂に入れたんだ。初めて入ったんだと」
「なら、真っ逆さまに落ちてるはずですよ」

夕方になり、さっぱりとした表情の君とやや疲れ気味の香也子が帰宅してきた。

「逃げなかったな」
「だから逃げないって」

出かける前よりもこの家に溶け込んだ君は満面の笑みを俺に見せてきた。
美容室で切ったらしい肩までの髪がさらさらと揺れる。

「若いっていいわね」
と香也子が笑顔になる。どうやら途中で君の気分が上がったらしい。
2人を連れて行った崎本が言うには、大型のショッピングセンターで香也子の方が振り回される格好となった。荷物持ち担当にさせられた崎本は、口をへの字に曲げて大きな袋を抱えていた。昨日もこの姿を見た気がする。

「香也子さん!あそこまた行こうね!」

はじけた君に声に香也子うなずく。崎本にお礼を言って袋を受け取った君はあっという間に部屋にこもって出なくなった。軽やかな声だけが聞こえてて来る。
娘。きっと俺にもいたらこんな感じなんだろうか。自分の運命を今までよりもずっと呪いたくなった。あっという間に溶け込んだ君と対照的に俺自身はこの空間から浮き出ているような感覚に、軽いめまいを感じていた。

崎本が言う。
「あの母親、見つかりましたか?」
「いや、正直、ずっと見つからないかもしれない。実父の方が先に見つかりそうだけどな。五十嵐がまた調べてくれるらしい」
「実質的にはあの子こしらえただけみたいな立場ですもんね」

話を聞きながら煙草に火をつけると「そこまで極端ではないがな」と煙とともに吐き出す。
「被害をさらに背負ってしまうような形になっているのは申し訳ないとも思う。ある意味では作った責任と逃げっぱなしの結果ともいえる」
「逃げっぱなし」
「法律じゃ母親の方の親権の方が強いなんて言われている。だけどな、父子家庭だってごまんといるだろう。そいつらはなんで父子家庭になれたんだ?当然、嫁が死んじまったなんてこともあるだろうが、だらしない母親から親権をもぎ取れなかった理由はなんだ」
「俺ら実父にあったことないですよね」
「俺もない。だからこそ、五十嵐の調査は興味深いんだ」

雨が降り出す。例年になく降る氷雨は否応なしに俺たちの体を冷えさせることになった。

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