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ほぼボッチの窓辺@序章
嫌われ者は真(まこと)を求める
コロナ禍二年目の今日は、今年の折り返しになるんだそうだ
わたしこと黄色い帽子はセラピストでカウンセラー
こんな肩書を見ると、いかにも「良い人」そうだな
ところが帽子の人生史の大半には、それとは真逆の物語が綿々と綴られている
これを世間では『黒歴史』と呼ぶらしい
しかし、どうだろう?
「『黒歴史』がある!」というのは、実は幸せなことなんだろうね
今が、過去よりも幾分か白くなってこそ、そう言えるんだろうから
帽子はきっと幼少期から、良い子でいたかったし、良い子と思われていたかったんだろう
なのに、ある出来事から、まるで真逆になってしまった
でも、深い闇にとり憑かれたからといって、心根はそうそう変わるものではないようだね
良い人でいたい、良い人と思われたいという願望は消え去ることはなく、むしろ、その心根が闇に覆い閉ざされるほど、無意識の領域では、更にそれを強く切望するようになっていったように思う
たぶん、自分は間違っていないのに深く傷つけられたから、間違っていない自分が傷つかない世界を作りたいって思ったんだろうね
「自分が傷つかない世界は、誰もが傷つかない世界でもあるはずだ!」なんて酷い自意識を正義と勘違いして突き進んだおぞましい物体が、10年にも満たない前の帽子の姿だったんだろうと思う
今だって、本質はまるで変わらない
それらを理解し、古い先生方から学び、何年もの時を使って訓練の日々を送る今でも、滅多と帽子に深入りする人はいない
きっと、帽子に凶器が埋め込まれていることに、誰もが本能的あるいは洞察的に気が付いているんだろう
だけど、この帽子の凶器を大切な知識(考え方のひとつ)として受け入れてくれる人たちもいる
帽子は心がへこたれそうになると、彼らにしばしば頼ってしまう
多くの人たちに愛される彼らが、帽子のように嫌われ者になってしまわないかと心配だけど、その思いは彼らに失礼なことでもあると考えると同時に、いやいや、それは自分に都合良く考えていないか?と悩んでしまったりする
まもなく50を迎えようとするおっさんが、やけに、可愛らしくも見える(笑)
帽子は嫌われることを恐れるのをやめようと思う
多くの人に好かれたいという気持ちに「もう充分だろ?」と囁き続けようと思う
帽子の真に触れて撫でてくれる人がいることを全力で味わう訓練を積んでいこうと決めた
その一端として、これからこの「嫌われ者の窓辺」に、帽子の嫌われの素(もと)を書いていこうと思う
嫌われ者の言葉や想いに興味がある人だけ、こっそり覗いてもらおうと思う
まぁ、あれだ、うんこが落ちてると汚いと思いつつ、ついクンクンしたくなってしまうような、変った人専用かもしれない(笑)
でもあれだね、嫌われるってのは、まだ、存在を認められてる分マシかもね
帽子はむしろ、ほぼほぼ全てからスルーされる、ほぼボッチ者かもね(笑)
だけど、帽子の本質に触れたくない人とまで、深い付き合いを望むことをやめる訓練をする
嫌われ者は真(まこと)を求める
カウンセラーのくせにほぼボッチ。。。
痛すぎて笑える(笑)
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