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「マイペースな私」というしつこいアイデンティティーよ、さようなら

アバターコース、そして、続くマスターコース受講中、自分の中のマイペースさと向き合ってきた。

コースでは毎朝、モーニングプログラムとして落胆処理を行い、自分にだけ向いていた注意関心のベクトルを外に向ける演習があった。

そんな中、どうしても私の気に障る受講生が一人だけいた。

彼女はマイペースにしていて、とても幸せそうで楽しそうなのだ。

父のマイペースさに対する母の愚痴を幼い頃から聞かされて育った私の中には、「マイペース=人に迷惑をかける、人を不幸にする」という信念ができあがっていた。

マイペースさを思いっきり否定する信念を持ちながら、自他共に認めるマイペースな私は、自分の中のマイペースさを抑圧していた。

だからこそ、マイペースで思いっきり触りつつも幸せそうに楽しそうにしている人を見ると怒りがこみ上げてきたのだ。

頭では、マイペースは悪いものではない、とわかっているのに、どうしても治らない怒りに私自身がへとへとに疲れはてていた。

そんな私の中で渦巻いているマイペースへの否定・非難の嵐は、コース終盤のワークで解決の糸口を見出すことになる。

マイペースをテーマにしたワークによって、マイペースに対する憧れと反発が私の中で拮抗していることが明白に見えてきた。

マイペースに対する憧れの方は、自分がすでに筋金入りのガチのマイペースなのに、母のマイペースな父に対する愚痴によって染み付いた「マイペースは人に迷惑をかける、大切な人を不幸にする」という信念があったから、自分のマイペースさを抑圧していたことから生まれていた。

一方、マイペースに対する反発は、母のマイペースな父に対する愚痴から植え付けられた「マイペースは人に迷惑をかける、大切な人を不幸にする」という信念からだった。

この憧れと反発が私の中で衝突し、戦争を起こしていたのだ。

マイペースで幸せで楽しそうにしている人を見ると、憧れと反発が同時に起こり、自分の中で処理し切れなくなって、距離を置いていた理由が見えてきた。

救いなのは、マイペースに対する憧れも反発も、両方とも私ではなく、創造主である私が創り出したものであると言うことだ。

私が創造主なのだから、私が消すこともできる。

しかも、一瞬で。

これ、本当に楽。

「私はマイペースである」と言う信念でさえも、私が創り出し、私が選んで使ってきたもの。

そして、それに対する反発や憧れも、私が創り出し、私が選んで使ってきたもの。

だから、私さえやめると決めれば、やめられるし、消そうと思えば消せるのだ。

私は、「私はマイペースである」というしつこいアイデンティティーを消滅させることにした。

何のアイデンティティーにも染まらない、純粋意識として在ると決めたからだ。

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