起業の決意、そして高校生社長に。
久しぶりにnoteを再開し、予想以上の反応をいただきました。
いいね、フォローありがとうございます。
前回の投稿では、生い立ちから起業までのお話をしました。
今回は、起業の決意と高校生社長になるところまでを、
少しお話しできればと思います。
ある日の帰りのホームルームで
学生時代の帰りのホームルーム(帰りの会とも言いますね)。
配布物が前から回ってきます。
いつものように何気なく、
「これはいらないな」
「これは親に見せなくては」
なんて配布物を眺めてきた時です。
一枚のパンフレットと出会ったのです。
「とちぎアントレプレナーコンテスト」
あ、応募してみよう。
そう思ったのです。
「社長」になる、というよりも
両親も普通のサラリーマン。
身近に社長がいることもなく、憧れたこともありませんでした。
裕福な家庭ではなかったですが、お金持ちに対する憧れもありませんでした。
「社長」のイメージは、高級車に乗って毎晩豪勢な食事をしている。
自分がなるなんて思ってもいませんでした。
当時の私は、「社長になりたい!」なんて微塵も思ってはいなく、
応募動機は、「自分のアイデアがビジネスになるのか」
ということでした。
ちょうど高2の終わり頃だったので、周りの友人は受験勉強の真っ最中。
ある友人には、「レク一人でいけるんじゃない?」と言われました。
一人で応募することを決意しました。
まずは、アイデアベースでの応募。
周りの人たちにアドバイスをもらいながら・・・
以下、応募した文です。
「那須を思いっきり満喫することで、那須があなたの第二の故郷になる」をテーマに地元行政と連携した地域密着型の新たな旅行代理店を目指します。インバウンドを掲げ国内旅行者だけでなく、外国人旅行者もターゲットにしていきます。
事業の柱は3つ。1つは宣伝活動。既存の媒体のほかにSNSを駆使して話題性を高め、動画を発信することで那須に興味を持ってもらいます。2つ目は受け入れ側のサポート。外国人への対応マニュアルを作成して宿泊・観光施設に提供。また、SNSなどを使えない高齢の経営者をお手伝いします。3つ目が那須人とのふれあいです。
2019年ラグビーワールドカップ、20年東京オリンピック・パラリンピック、22年にはとちぎ国体が開催されます。これは大きなチャンス。那須地域を世界1サービスのいい地域として日本、世界へ発信していきたい。私の夢は那須地域を復興し、盛り上げることです。
当時の活動を振り返る・・・
当時私は、高校の仲間たちをつれてあらゆる地域の活動に参加しました。
実際の応募面接の時には、名刺ファイルを持っていき(約1,000人)、
必死にアピールしたのを覚えています(笑)
二次審査で立ちはだかった「事業化」という壁
「君の行動力は素晴らしいけど、これってビジネスにならないよね」
そう審査員に言われたことがショックで、
どうすればいいかわからずに周りの大人たちに助けを求めたのを今でも鮮明に覚えています。
事業計画書をしっかりと書き上げなくてはいけなかった。
これが私にとっての一番の壁でした。
ただ、当時の私は、
「儲かるかではない。必要とされる仕事かだ。」
「最終的には思いだ!熱量だ!」
とひねくれていましたが、、(笑)
今でもお金に関することは弱いままです、、汗
最終審査、そして最優秀賞受賞へ
いやー、今振り返るとありがたいんですが、
なんと最終審査の模様がYouTubeに残ってるんです、、!
今見ると、これで優勝できたのか、、と
突っ込みたくなるところ満載ですが、、汗
↓プレゼン中で使った自作の動画。
冬の塩原を外国の方に初体験してもらうという趣旨です。
1ヶ月後に結果発表。
正直、自信はありませんでした。
大学生、大学院生がいましたし、みんな細かい収支計画。
ただ、情熱は誰にも負けてなかったな!というものだけはありました。
親や親戚、応援してくれた周りの人に早速連絡。
親の「え?あ、そうなの?すごいねー。」
の反応が一番正直で、自分でもよくわかりませんでした。
翌日、地元紙に掲載され、学校で表彰され、だんだんと実感してきました。
高校生で起業することへの周りの反応
少し経った後、コンテストの実行委員の方に自宅にお越しいただき、
今後のお話をしました。
「もう高3なので、今すぐにでも起業したいです。」
バカヤロー!なんの準備もしてねえだろー!
と、今の私なら突っ込みたくなるところですが、
まあ、これもいい判断だったと思いたいですね(笑)
でも当時は高校生社長なんて、いたのかいなかったのか、、
周りの大人たちは慎重な意見。
そりゃそうですよね。そもそも社会を知らなすぎる。
会社の仕組みもわかっていませんでしたね。
ある日、校長室に呼び出されました。
「君は学業を疎かにするのかね。まずは受験だろ。
学業を疎かにして起業するなんて学校の恥だ。」
(後に和解しましたよ(笑))
自分の中には、突き進むしかありませんでした。
何より、両親は「やりたいことをやりなさい」という主義で、
父親には「犯罪と死ぬこと以外は何をやってもいい」
と言われてましたね。
(これで両親に迷惑かけまくっているので、大感謝です)
起業、そしてメディア出演で話題に
こうして2017年6月1日。
当時高校3年生、17歳で起業ということに至ったわけです。
「高校生社長」という話題性に、目立つことが好きな私。
高校生のうちにできることは、自分を売ることでした。
このNHKでも話しているように、学業との両立が地獄でした。
当時の平日のスケジュールはこうです。
6:00 起床
6:45 最寄駅発の電車に
7:10 学校到着、学校で自習
〜休み時間や昼休みに作業、トイレで電話〜
16:00 授業終了後、生徒会の仕事(3年間副会長でした)
生徒会終了後、自習。
19:00 軽食を挟んで地域の会議へ
21:30 終電に乗る
22:00 自宅着、夕食、学校の課題と仕事
2:00 もろもろやることを終え、就寝
今こんな生活をしろと言われたら、無理ですね(笑)
起業の決意と高校生社長としての活動を少しご紹介させていただきました。
もちろん苦労したのは、起業してからであって、
当時できたことはほとんどありませんでした。
ぜんぜん利益も出せていなかったですし、、汗
自分を売ったことはよかったのかな〜と思いますが、、
また気軽に投稿していこうと思います。
読んでいただき、ありがとうございました。
では、また〜
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