いつでも評論家じゃなくて、挑戦者側にいたい

気付いたら、「だって」とか「でも」とか言っていないだろうか。

わたしは最近、気付いたらこれを言っていました。

言っているとはいっても、本人としては本当に無理だと思うからだったり、正当な理由があるから否定しているつもりなのですよね。

ただ、ある日ふと、目を覚めて思ったのは、「できないからじゃなくて、できるけれどそれに伴う努力をしたくないからだ」ということに気付いたんです。

本当は将来につながることの行動を起こさなきゃいけないのに、仕事で疲れているからという理由で先延ばしにしてみたり。

試してみないと上手くいくかなんてわからないのに、最初から「わたしには無理だ」と決めつけて挑戦をしなくなってしまったり。

そうゆう時期があって、それで驚いたことに、そんな時には「だって、仕事で忙しいから仕方ないじゃないか」とか、自分の行動を肯定し出すのです。

そして、本当は欲しいものなのに、理由をつけていらないみたいな振る舞いをしてしまうようになる。

そうなると、今度はそれを持っている人をうらやましくなったりするようになってくるんです。

「羨ましい」と思うということは、本当は自分はそれが欲しいんだ。

欲しいけれど、それまでの努力を鑑みて目をそらしているだけなんだ、と気づければ良いです。

しかしながら、場合によってはそんな自分の気持ちに蓋をしたまま、誰かを批判するようになったり、足を引っ張りたくなってしまうこともありえるかもしれません。

実際、批判したくなる時というのは、ただたんに「自分の人生で何も挑戦していないので暇な時期」なのです。

だからこそ、どんなに微々たる進歩でも、はたからみたらつまらないことでも、「挑戦している」人でいたいと思うのです。

それは批判するよりも目をそらすよりもとても難しいことだし、何度も自分の力不足を知ることになる。

だけれども、一生懸命挑戦者として戦っている人を見て、「自分もそうゆう人になりたいな」と思ったので、それを忘れないようにしたいのです。

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