人の目を見て話す行為=正しいみたいな一般常識やめてほしい
人の目を見て会話することが、私は凄く苦手だ。人の目はとてつとなく恐ろしい。めちゃくちゃ怖い。恐怖で慄いてしまいそうな気持ちをいつも押さえ込み、平然を保った表情を貼り付け、今にも耐えられず伏してしまいそうな自分の目の焦点を、必死に相手の目に当てながらもどうにかやり過ごしている。一般常識が許すなら、今にでも視線を下に落としたい。でも世間の一般常識がそれを許さない。特に、公的な場や目上な人や立場が上の人と対話する場合は目を見ることが強要される。本当に嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ!!!!!!!!!!
なので、場が許す限り基本的に私は人の目を見ない。常に伏し目で対話する。怖いんだから仕方なくね?なのに、目を見ないのは常識がないみたいな、アレ、何?目が合ってるかどうかぐらいでしか推し測れないような相手の常識(笑)を求めるよりも、そんなに相手に常識を持って真面目に話を聞いてもらいたいお前が、相手にお前の求める常識を捨て去ってしまうほどの恐怖を与えてるのは本末転倒なんじゃないんですかね?と思う気持ちを自分の内にある海底の奥底に沈め、今日も私は他人の目の恐怖に耐えて生きるのである。
けれども、人の目を見ろというのも一理ある。だいたい弱肉強食世界で生きる野生動物達のバトルにおいて、まず睨み合いから始まり、先に目をそらした方が格下であることを意味する。人間という種でもそれは変わらず、目を先にそらした方が大体そらされた側から舐められる。なので、私のように目を合わせるどころか最初から伏し目の人間はチュッパチャプス並みにベロンベロンに舐められることは自明なのである。なので、自衛のために、対等に扱ってもらうために、相手と同じ立場に立つために、目を合わせるということは非常に重要なのはよくわかる。
しかし、怖い。その一言に尽きる。怖いけれどもずっと見ていなければならないというジレンマ的な脅迫概念に囚われて、相手の目を見るタイミングなんか気にする余裕のない永遠に相手の目にガン見し続けるヤク中(あくまで私のイメージである)的なヤバイ人になるか、一切相手の目を見ない安堵の代償にチュッパチャプスに成り下がるかぐらいしか、選択肢は残されていない。結果、私は冒頭部の如く、出来る限り応えなければならない恐怖には真っ向から向かい、精神をすり減らす方法でこの世界をどうにかやり過ごすことにしたのである。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?