よく偏食と言われる人の食のこだわりについて①

私はよく偏食と言われる。自分的には偏食とは思ってないので、絶対それ見た目に引っ張られて言ってるやろと思っている。なんか細身でサブカル臭のする女の子って偏食そうだし。でも第三者から見ると偏食らしい。
今の私はだいぶ昔に比べて食べれるものの種類が大幅に増えた。1が100になったぐらい増えたと言っても過言ではない。ので、過去の私は確かに偏食であった。しかし、今の自分はだいぶ好き嫌いは克服できたと自負しているので、自分が偏食であるという指摘を受け入れられないのかもしれない。そこで幼少期から今に至るまでの食べれないものや食べれるようになったものを書き出して見ようと思いついた。

幼少期〜学童期
ハンバーガー、ホットドック、サンドイッチ、おにぎり、丼もの、パフェ、ケーキ、具材入りパン、お寿司、納豆かけご飯、ピザ、カレー、ドリア、、、(書き出したらキリがないのでここで割愛させてもらう)

読者の方はこの食べ物らに共通点を見出せるだろうか。
結論からいうと、これらの食べ物は食べ物と食べ物の集合体なのだ。例えば、ハンバーガーならば、パン、ハンバーグ、サラダと分けられるように既に一品の料理として完結しているのに関わらず、何をどうトチ狂ったのかそれらを全て混ぜ合わせて合体させたものを一品の料理として提供しているのである。調理者の都合で勝手に既に出来上がった食べ物と食べ物を無理やり混ぜ合わせた食べ物(なのか?と当時の私は思っていた)であり、見るからに混沌(カオス)とした容貌である。(申し訳ないが今でも若干そう思っている)当時の私はこの混沌とした食べ物を一つの食べ物として見ること、食すことがすごく嫌だった。ご飯は、ひとつのものを食べた後にまた別のもうひとつのものを食べたい。口の中でそれらが一緒になることでさえかなり嫌だったのに皿に盛っている段階から既に食べ物同士が合体している。このような料理が皿に盛られて食卓に運ばれてきた瞬間、あぁもう私には逃げ道がないのだという気持ちになる。いうなれば絶望という感情が適当なのではないか。食すのは私なのに、何故食べ物側に食べ方を指定されなければいけないのか。おにぎりも何故米と一緒にシャケと海苔を食さなければいけないのか。元から米、シャケ、海苔で分けておいて、全てを同時に食したい人だけが勝手にそういう食べ方をすればいいのに、食べ物側が人間に食べ方の強要をしないでほしいものだと当時の私は思っていた。(今もまあまあ思っている)
なので、わたしが幼少期食べれたものはわりと少なかったのではないかと思う。家族でマックに言っても私は絶対にポテト以外は食べなかった。芋を揚げて塩を振っただけのシンプルな味だが、私にはこのぐらいシンプルな食べ物が合っていた。複数の味が口の中で主張し合われるとどの味から堪能していいかわからないし、だからといって全ての味を同時に堪能してと言われても胃の中で最終的に混じるのに何故食べる前から混じったものを食べなきゃいけないんだろうという味の捉え方であった。
せっかく一つ一つが美味しいんだから余計なことをする必要はない。

しかし、言うまでもなくこのような考えであった当時の私は給食にだいぶ苦労した。担任がゆるければガンガン事前に減らすのだが、担任ガチャでハズレを引いて厳しい担任にあたった場合、事前に減らすことも残すことも許されない。なんなら勝手に給食完食スローガンというものまでかかげて、全員分配膳し終わって残ったものはおかわりしたい人が勝手に食べればいいのに、担任が何故か私の席までわざわざを料理の入った大釜とおたまを毎回持って来て、プラスアルファとして大釜に残った食事を超笑顔でよそってくるのだ。心の中で必死にやめろ!!よそうな!!と訴えても、その訴えは届くことなくよそられてしまうのだ。何故なんだ。私は欲しいですなんて一言も言ってないのに勝手に追加物が盛り付けられていく。担任に私はそんなに食い意地張ってるように見えていたのだろうか。担任は私以外にも、いつもおかわりしている元気なお調子者の男子にも、明るくいクラスのまとめ役の女子一部にも勝手に配っていた。そいつらに配るのはまあ理解できる。そして、文化系の男の子や大人しくて穏やかな女の子には配っていなかった。これもなんとなく理解できる。けど、クラスの中でカーストの三角の一番下の一番角の部分の身分で、昼休みは本を読んでいるか寝たふりしているかしかしていなかった私に何故毎回配ってきたのか。答えは簡単だ。私はパーソナリティを考慮することすらもどうでもいい存在、または考慮する必要がないとベロンベロンに舐められている存在なので、とりあえずスローガンを達成するための具減らし要員の役割をコミュニティの支配者という権限を利用して強制的に課しているのだ。姑息過ぎる。30半ばぐらいのいい大人が小学生相手に恥ずかしくないのだろうか。いつもは私になんて絶対笑顔で関わってこないくせに、そもそも普段は眼中にすらないくせに、さらにいえば私が失敗してる時だけめざとく私をマークするかのように発見して30人近いクラス全員の前で見せしめ要員として教卓のドセンで、机を蹴ったり大声で威圧して口汚い言葉で私を罵りまくるくせに。何かをしたことの注意や叱責というよりかは、ほぼ罵りである。見せしめのための罵りプレイである。クラスというコミュニティ限定で力を持つ担任の決めた謎ルール(例:「冬の体育の時間は半袖短パンのみで防寒具を着てはいけない」学校全体のおたよりで冬場は寒いので防寒具が着用可になったため持ってくることを推奨するという趣旨の手紙が全クラスに配られていても、私の所属する6年4組以外の全クラスが羽織を着ている状況でも、理由は特にわからないが絶対着てはいけない。考えるに、担任は「子どもは寒さに負けずに元気でいるべき」という理想郷を作りたかったのではないか。クラスをあくまで教育者として受け持つだけの立場のくせに、30人近くの人間の頂点に君臨し、支配して、特には異端者を排除し、N島帝国(N島は当時の担任の苗字である)を構築して気持ちよくなった上に、その独自の教育方針という名の絶対王政で、親御さんからも「なんていい先生なの!」と株が上がり、あえて体育朝会などでも他のクラスとの教育方針の差をアピールしていくことで教育者内のコミニティでも優位になれるのだ。何でおまえの自己満のために私が寒い思いをしなければいけないんだ。私が歯をガチガチならし、鳥肌を立て、手がかじかんで指がうまく動かず、凍え死にそうな思いをしている中、担任様はというとスポーツ選手が着るような厚手で足首まで裾のある裏起毛の保温効果・防寒効果抜群のコートをしっかりと首までチャックを閉めて着用しているのだ。高みの見物をしながら下々の民を手の上で転がすのはさぞ気持ちいいだろう。他には、シャーペン使用禁止などがあった。勿論、他のクラスの子たちは普通にシャーペンを使っていた。やはり理由は謎である。ちなみに私は授業中に鉛筆型シャーペンという一見鉛筆のシルエットをしているがよく見るとシャーペンであるという巧妙なシャーペンを授業中に使用していたところ、目ざとく発見し、没収されたのだ。結局卒業式が終わった後もシャーペンは帰ってこなかった。夏休みに遠方に住むおばあちゃんがオリンピアで買ってくれた大切な鉛筆型シャーペン。本当に許さない。このような実に無意味かつ生徒側に不利である多くのルールが存在した。)を多少でも破るとこんな風になるんだというお手本役を毎回させられていた。(一般的に考えれば、理不尽なルールでも守った方が楽ではあるのだが、私は守る意味がわからなかったので守らなかったのだ。一応言っておくが、私は何でも禁止されたものは破りたくなるという人間ではない。人の自由行動を制限したり強いるならば、それにはちゃんと正当な理由がなければ納得できないのだ。謎ルールを守りたくなさ過ぎるマインドはは高校時代まで続き学校創設初の生徒として3面で生徒指導室に呼び出された話ものちにするかもしれないし、しないかもしれない。)話を戻すと、お気に入りの一軍のあの子が私と同じことをやらかしても「も〜次はちゃんとしなさいよ!」と笑顔で言うだけなのだ。わたしの経験からいうと、教師というものは天真爛漫な子どもらしい子ども(愛嬌もあるし大人側からしたら一番扱いやすいのではないだろうか)やクラスをまとめるのを手伝ってくれるリーダーシップのとれる教師側の都合に協力的な子どもが大好きだ。そして、それらに該当しないモブにもある程度自分が受け持つ生徒としての好意はもっている。子どもたち自身も自身がモブであることを自覚してるのか長いものに任せる主義である。ので、基本的には受け身であるためクラスには積極的には協力姿勢を見せないが、協力することを素直に受け入れてくれるのだ。彼らは受動的な協力者なのである。そのモブの中でもクラスというコミュニティに馴染んでいないものや外れているものはコミュニティの形成において非協力的であると判断される。そもそもクラスというコミュニティの秩序を守り形成するのは教師の勤めであるのだが、それでも自分側に協力してくれないやつには特に愛情を感じることはない。ゆえに、彼らに教師側は基本的に興味がないので(気まぐれや一応の気遣いとしてごくたまに興味があるフリをしてくる。)必要最低限しか関わらない。眼中なしといってもいい。そしてさらにその中でも愛想のないものには非常に厳しい視線を向けられる。大人にとって一番扱い辛い子どもは、こちら側に非協力的であって、かつ愛想のない、いわば感情の読めない子どもではないだろうか。(私だってできることなら愛想を振り撒きたい。だって生きやすくなるではないか。楽して生きられるのなら私だってグウタラして生きたい。しかし私の能力があまりに壊滅的すぎてそれを世間が、社会が、世界、そして何より私自身が許してくれないのだ。だから私は楽して生きることは許されないのだ。頑張らなくてはいけないのだ。話を戻すが、私は人見知りでコミュ症なので愛想を振りまくことができないのである。やらないんじゃなくてできないだけなのに、冷たい対応を取られるのは非常に悲しい。)まだ、眼中にない方が喜べる。私はこの4層の中の下から3層目と4層目をウロウロしていた。

このようなカースト底辺の人間にはNoを伝える権利はない。ゆえに私は1年間具減らし要員としての義務を全うしていた。だがしかし、いくら私がパーソナリティを気を使わなていい人権剥奪者だとしても、もっと食べたい子なんて多分他にいるだろうし、絶対他に適当な人間がいると思う。そんなことを頭の中では思っていても言い出せる勇気もなければ立場もないので、そんなの言うぐらいなら私が我慢すればいいのだと、1年間我慢して食べ続けた。たった今、もしかして謎の担任の配膳行為は偏食で自分の気持ちを言うことができない内向的な気質であることを見抜いた上での地味な嫌がらせだったのではないだろうという説が浮かんできたが、大人という立場の人間が小学生相手にそこまで卑劣な嫌がらせをしていたとは思いたくないので、この説は採用しない。

結論として、上記で書いた通り私は偏食であったことで給食にはわりと苦労した。(給食以外の時間もまあまあ苦労しているのでは?とお気づきになられた読者の発見は一旦置いておく。)特に給食は日常的に家庭の食卓には並ばないであろう謎料理(フルーツサラダ等)なども出るので偏食じゃない人でも戸惑う料理はそこそこ出てきたのではないか。いうなればメニューが勝手に決められたレストランであるのだから、給食とはだいぶ押しが強いものである。

※散々色々と綴ってきましたが、勿論給食は栄養士さんが成長期の子供にとって重要な栄養バランスと健康を考えて作っていること、またそれが子供たちにとっては最善であることは承知しています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?