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ジーサンズ はじめての強盗

アマゾンプライムで無料公開中の映画「ジーサンズ はじめての強盗」についてレビューしていきたいと思います。
ネタばれを含む内容ですので、ご理解のほどよろしくお願いします。

point1:ジーサンというキャラクターをうまく生かした映像作品

ジーサンズというタイトルの通り、3人のお年寄りのキャラクター性をうまく生かしていると感じます。
映画の冒頭、ジョーが銀行のロビーの椅子にどすんっと座ったとたんに番号札が鳴る。ジョーは椅子から立つのにも一苦労です。単に不親切な銀行のシステムを揶揄しているのではなくて、立ったり座ったり移動するのにも時間を要するお年寄り像を序盤で強く印象付けています。
「電話をとれ」→「誰が死んだ?」
お決まりのブラックジョークですよね、ただこの世代では実感もこもっています。ウィリーの腎不全の他にも痛風や関節炎、処方箋書いてもらおう等と会話の中心は体調についての話題が尽きません。
走り方でバレるアルバート
3人の足が着くきっかけとなったアルバートの走り方です。まさかそんなことでバレるとは!お年寄りならではのキャラクター性だと思います。
ドアを塞ぐのが杖
銀行のドアを塞いだのは松葉杖でした。お年寄りに襲われる銀行という構図を印象付けるためのアイテムなのかもしれません。

point2:アメリカの医療保険制度はお約束

アメリカと言えば医療保険の話題はお約束です。先進国で唯一国民皆保険制度が無い国と言われるように、自由の国は自己責任と背中合わせの状態にあります。
腎不全ですぐにでも腎臓移植が必要なウィリーですが、医師から保険の問題と高齢なためにドナーとマッチングする優先度は低いと言われます。ウィリーの加入している保険では医療費が十分に下りないと判断されれば、病院は手術を行ってくれないのです。家族からドナーを探すように勧められたのは、単に血縁に適合者が多いだけでなく、ドナーに高額な謝礼を払う必要が無い事も関係していると考えられます。
こうした医療保険制度の問題で先進国でありながら十分に医療を受けられない問題は様々な映画で取り上げられています。興味のある方には「シッコ SiCKO」をおすすめします。

point3:年寄りを敬うのは社会の義務だ

ヘス―スが銀行強盗の犯人だと気づくためのキーワードになるセリフです。
むしろヘスースがジョーに気づかせるためにわざわざ放ったセリフと捉える方が自然ですね。ヘスースは最初からジョーが銀行で話した相手だと知っていて協力していたわけです。
3人がヘスースの所に初めて行ったシーンを思い出してください。
「初めて会ったのにどう信用すればいい」と言っていた割には、マリファナを吸わせて犬を抱かせてジョーのスピーチを聞いたらあっさりと協力してくれます。最初からジョーが家を取り上げられる境遇に同情していたのです。
さて、この「年寄りを敬うのは社会の義務だ」というセリフがこの作品の主題とも言えそうな雰囲気ですが、私としてはそれほど意味は無いと思いました。3人のジーサンズですが、作中一度も年寄りを敬えとは言わないです。むしろ孫に親友と慕われたり、行きつけのダイナーでは店主と気さくに話したり、何より3人の関係性からこの話のテーマは友情であることは言うまでもありません。

point4:象徴としてのパイ

3人の行きつけのダイナーでの定番は不味いコーヒーと日替わりのパイ。ウィリーが誕生日に願ったのは家族と過ごす時間と好きなだけパイを食べれること。3人にとってパイというのは貧しいながらも続くありふれた生活の中での幸せの象徴です。
銀行強盗に成功しても、奪うのは年金分だけにしよう。差額分は配ってしまおうと決めていた3人。その言葉通りお年寄り仲間にも多額のお金を渡すのですが、パイの入っている箱の底に隠すという仕掛けなわけです。日本だったら間違いなく饅頭の底に隠すので、アメリカで言うパイっていうのは日本でいう饅頭みたいな位置づけなんでしょう。
ここで重要なのがなぜパイの底に隠したかということですが、3人が銀行強盗で奪ったのは現金ではなく、その資金を元手に開いた結婚式や、手術で得た健康や、子犬と孫と過ごす時間といったささやかな幸せでした。
そもそも3人がよく行動を共にするお年寄りグループは、4ドル ビュッフェに通うメンバーですから、3人同様あまり裕福とは言えないお年寄りが寄り集まってできたコミュニティーと考えられます。そんなグループの皆にお裾分けしたかったのは決して現金ではなくて、パイが象徴するささやかな幸せだったわけです。

point5:狼たちの午後 

決行前夜に3人は映画を見ています。調べてみるとこちら「狼たちの午後」という古い映画のようです。若い二人組が銀行強盗に押し入るも、周りを包囲されて籠城戦に。最後には相方が死んでしまうという話です。だから「ラストシーンは見たくない」「誰も傷つかないよな?」と溢していたわけです。

point6:マリファナはどこから来た?

ヘスースに取り入るための材料に使ったマリファナですが、十中八九その出所は義理の息子(孫娘ブルックリンの父)マーフィーの店から持ってきたものです。決行日の朝にはマーフィーとジョーが朝ご飯を作り、共にブルックリンを学校まで送ります。当然ジョーは、自分が捕まれば父親代わりとしての役目を果たせなくなると悟り、マーフィーを連れ戻したわけです。マーフィーはというと、これからは心を入れ替えて父親として生きることを誓います。違法スレスレのマリファナの売人という仕事から足を洗う決意をしたので、大量のマリファナをジーサンズに譲渡したと考えています。

point7:3人が扮したシナトラ軍団とは?

三人は銀行強盗の際にシナトラ軍団の3人に扮したマスクをかぶります。シナトラ軍団とは1950年代のアメリカのエンターテイナーグループで、彼らは俳優としても活躍していました。正式なグループ名はラットパックと言い、後に「オーシャンと十一人の仲間」にも出演した大昔の大スターということです。そんな大昔のスターに扮したことで、犯人は年寄りだと勘ぐられてしまうわけですね。
もう一つ注目すべき点は1987年に一度解散していたラットパックが再結成した話です。しかしメンバーたちは長年の夜型の生活や飲酒によってみんな健康を害している状態で、中には浪費が祟って破産寸前のメンバーもいたそう。過程は違えど、今の3人の状況に近い訳です。

point8:「ボケた老人」ミルトン

この映画で度々映されるのがミルトンという老人。認知症を映画の題材にするのは非常にリスキーだと思います。例えば「ファーザー」「明日の記憶」「しわ」のようにいろんな映画で取り上げられますが、どれも重いテーマとして嫌煙されがちです。このコメディ映画の登場人物としてミルトンを登場させて、愛すべきキャラクターとして描いたのはとても好感がもてました。

point9:少女がここに犯人はいないといった理由

銀行強盗の際にウィリーは幼い少女と孫娘を重ねて話し込んでしまいます。その際持病の発作が起こって苦しみ、少女にマスクを剝がされかけたり孫娘の写真がプリントされた時計まで見られてしまい大ピンチに陥るわけです。
そして警察側が用意した最後の切り札が、少女に犯人の証言をさせる事でした。しかし少女は、ここには犯人はいないと証言しました。それはなぜでしょう?
少女がウィリーの目を見て微笑んだ姿からしても、犯人の正体に気づいていたのは明らかです。警察側としても、少女がウィリーを選びやすいようにウィリーが一番最後になるように配置しています。(おそらく少女の記憶が曖昧であっても、一番最後に見て印象が残っているウィリーを選びやすいだろうという魂胆)
考えられるのは少女が恐ろしく察しが良かった可能性です。銀行で話し込んだ際、ウィリーは少女に「ただ家族と一緒に居たいだけ」と話しています。その後腕時計に映る孫娘を見て、自分がウィリーを犯人と証言すれば、ウィリーは家族と一緒に居られなくなる、というところまで読んでの優しさだったのでしょうか。
もう一つ考えられるのは、ウィリーの孫娘が裏で手を回していた可能性です。証言を終えた少女は、廊下でウィリーの孫娘とすれ違いますが、そこでお互いにアイコンタクトを送るような仕草を見せます。まるで、言われた通りうまくやったわよと言わんばかりのどや顔です。もともとウィリーが銀行で少女を気にかけたのも、少女が持っていた人形が孫娘の物にそっくりだった事が原因なので、二人が出会えば打ち解けるのは容易だと考えられます。そこでウィリーのピンチに気づいた孫娘が上手く取り持った可能性も考えられますが、私の考察ではこれ以上の証拠を見つけられませんでした。
なにかお気づきの方いらしたらコメントで教えてください。

point10:臓器を提供したのはジョーではなくアルバート

ほぼ余談になりますが、手術の代金も手に入れていざ腎臓移植を受けるウィリー。そのドナーになったのはアルバートでした。ジョーはウィリーの腎不全を知ったとき、言ってくれれば喜んで自分の腎臓をやるのにと話していましたが、それに対してウィリーは「お前のじゃ役に立たない」と返しています。重篤でないにせよ、ジョーも腎臓に問題を抱えていたのかもしれません。

主人公3人ともがオスカー俳優

主人公3人ともオスカー俳優というめちゃ豪華な映画な割にあまり有名ではないように感じます。アルバート役のアラン・アーキンは「アルゴ」、ジョー役のマイケル・ケインは「インセプション」をはじめとするクリストファー・ノーラン監督の作品、モーガン・フリーマンは「最高の人生の見つけ方」に代表されるように、おじいちゃんになってからも大活躍な名俳優3人です。ラスト結婚式の乾杯の音頭をジョーが執り行うシーンがありますが、「最高の人生の見つけ方」を見たことのある人なら絶対葬式の場面だとミスリードしたはずです。むしろそれを狙ったシーンだと思ってます。
脚本を担当したセオドア・メルフィは
「この現代において、私は自分の心血を注いで書き上げた主人公たちが、最後に死ぬか投獄されてしまう映画なんて見たくないのです。」
と話しています。

総評

お年寄りというキャラクターを存分に生かし、家族と友情を題材にして程よくコメディー要素もありました。この映画の良さはそれぞれの要素のバランスの良さだと思います。週末に友達とくつろぎながら見るのにぴったりな映画です。まさに作中の3人のように。

★3.0/5.0

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