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「中空の庭」の世界観を考察

4月21日にホロライブ所属天音かなたさんの3rdシングルとして配信された中空の庭という楽曲について書かせていただきます。
透き通るような高音の歌声を持つかなたそと、神秘的でどこか悲しげな世界観を楽曲に込めるやなぎなぎさんの作詞がぴったりマッチしていてとても印象的な楽曲でした。
今回はそんな中空の庭の歌詞に注目し、舞台となる世界や物語を考察しつつ歌詞を読み解いていこうと思います。
では、よろしくお願いします。

歌詞の考察

ここは中空の庭
空知らぬ雨で満ちゆく場所
世界がどんなに美しくても
絶えず悲しみは降る

空の遥かな高みに浮かぶのが今回の舞台「中空の庭」です。
中空とは字の通り、空の中ほど。という意味に加えてがらんどうな様を指す語でもあります。
雲よりもさらに高い空にぽつんと浮かび、周りには一面青い空以外になにも無い、そんな神秘的な世界です。
一見すれば平和で悲しみとは無縁に見える世界でも、どこかに悲しみや苦しみは存在し、それが雨のようなかたちで庭に降り注ぎます。
これは空が地上へ降らせる「雨」ではなく、世の人々の悲しみが降り注ぐために水滴の形をしています。この水滴は流れることなく、中空の庭を満たしていきます。

願う度に羽は濡れ
地上へと近づくの
重い羽閉じて
そっとからだを包む

その庭で1人、天使が祈りを捧げています。
尚も悲しみは降り注ぎ、羽を重く濡らします。
天使の羽や、庭全体が水に満たされていく為に、中空の庭はその重みに耐えられずに徐々に下降していきます。
その庭で天使は降る雨から自身の身を護るように、そっと重くなった羽で身体を包むのです。

ここは中空の庭
涙が雨に還る場所

地上に住まう人々は悲しみを涙として地へ落とします。その水滴は形を変えながら天空へと上り、天上の存在に至ります。
そして今度は天から、雨のように中空の庭へと降り注ぐのです。
この庭には降り注いだ悲しみを浄化し、単なる水へと変えて地上へ降らせる役割があります。
だからこそ降り注いだ悲しみはそのまま地上へ流れ落ちることなく、庭に留まるようにされています。
庭に唯一人居る天使は、この浄化システムを動かす役目を担っています。

時には温度を奪われて
時には汚れた羽を濯いで

悲しみが降りしきる中で天使は、自らの羽以外に雨を遮る術さえありません。
体温を奪い弱らせるのも、汚れた羽を濯いで癒やしを与えるのも、悲しみの雨です。
悲しみは庭で浄化されれば綺麗さっぱり無かったことになり、地上へと降りていきますが、
時には天使が祈りを捧げることで、悲しみをもう一度天へと還すことができます。

やがて知るの
こんなにも強く明日を望んでること
天泣が世界中に反射する

多くの悲しみに触れてきた天使は、地上の人々が悲しみ、苦しみながらも懸命に生きていることを知ってしまいます。
そして悲しみの中に人々の願いを見出します。
庭から空を見渡せばそこら中に悲しみの雨が降っていて、そこに陽光が当たってキラキラと輝いて見えます。まるで世界が泣いている様だと天使は感じたのでした。

願いごとが叶う度
堪らなく寂しいの
次の願いに会える保証なんてないから

天使の祈りによって再び天へと還された願いは、時間をかけゆっくりと、天上の人々によって叶えられました。
その様子を天使は庭から見上げていましたが、天使に残された時間は多くありませんでした。

願う度に羽は濡れ
地上へと近づくの
罪を抱え羽を閉じる

本来悲しみの殆どは浄化され地上へ降ろすものです。
降りしきる悲しみを全て願いとして天へ昇華させるには時間が掛かり過ぎました。
願うほどに庭は悲しみに満たされ、羽はますます重く濡れていきます。
天使としての役割を果たせなくなった少女は、徐々に地上へと堕ちていく庭で己の罪さえ抱えて羽を閉じるのでした。

いつか満ちる雨に溺れ
声が泡へと変わっても
映る水面は光が差して 私を照らす
ここは空にいちばん近い
雲の頂きだからね

いつか庭を満たす水は少女さえ沈めて、声は泡へと変わるでしょう。
しかし、未だ雲より高く中空に浮かぶ庭には陽光が差し込み少女を照らします。
光が届く限り少女は天へ祈りを捧げることを辞めないでしょう。

中空に込められた意味

本文で一度触れた通り、中空とはがらんどうで空っぽな様を表す語でもあります。
かつての天使は降る悲しみをただ浄化するだけの空っぽな存在だったにも関わらず、人々の願いに気づいてからは全ての願いを昇華しようとします。
結果として天使と庭は地上へと降下することとなり、天からの力も失うことになるはずです。
文字通り堕天使となります。

天泣

雲が無いのに雨が降ることを天泣や狐の嫁入り等と呼んで昔から特別に扱われました。
曲中では天から庭へ降る悲しみを天泣と指したと考えました。雲よりも高い位置に存在する庭に降る雨となれば、正しく天が泣いているように感じるでしょう。
一方で、普段は雲の上に位置する庭が雲の切れ間に差し掛かる所を想像して見てください。
浄化された雨は青い空から降り注ぎ、地上の私達から見ると天泣に見えるはずです。
次に天泣に遭遇したら、思わず上を見上げて
「ラ○ュタは本当にあったんだ!」
って言いたくなりません?

天使が居なくなったあとの世界

悲しみを浄化する庭と天使が地上へと堕ちると、その後の世界はどうなってしまうのでしょうか?
天使が人々の希望を叶えようとして願いを昇華し続け、結果世界が破綻してしまったのでは余りに本末転倒ですよね。
おそらくこの世界に存在する天使も「庭」も1つではなく無数に存在するのでしょう。たった1つ天使や「庭」が失われたところで全く支障がないほどに。
天使は自分が堕ちることで1つでも多くの願いが叶うのならばと考えたのかもしれません。

最後に。

今回は中空の庭の歌詞について考察を行いました。
なるべく無理のない解釈を心がけましたが、完全に憶測の閾を出ないことをご了承ください。
また、みなさんがどのように歌詞を解釈したのか、コメントしていただけると幸いです。

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