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Etta James『At Last!』(1960)

アルバム情報

アーティスト: Etta James
リリース日: 1960/11/15
レーベル: Argo(US)
「『歴代最高のアルバム』500選(2020年版)」における順位は191位でした。

メンバーの感想

The End End

 とにかくホット。歌唱も音色もリズムも、力強さに溢れていて圧倒される……ドラムが前への推進力を(バラードですら少し)持ち続けていて歌やサックスやストリングスのエネルギーがさらに畳みかけてくる感じ、意図していなくても腰が揺れてしまう。完全に好みの問題だけれど、それが少し落ち着かなかった。

コーメイ

 恋、失恋、牧歌的な歌ありと、聴き手が共感しやすい内容になっていた。とくに、「All I Could Do Was Cry」は、好きだった人が他の女性と結婚してしまって悲嘆に暮れるといった、どこにでもある光景である。しかし、耳を通して心まで到達するようなEtta Jamesの声が、その歌詞世界の陳腐さを救っていた。常套手段だけれども、悲しさをはじめとするこれらの世界を追体験出来る声が、アルバム全体を覆っている。これをもって、当たり前の空間を聴き手が柔軟に解釈出来るようにしていた。
 そのようなアルバムであった。

桜子

 その歌声はハツラツとしていて、明るい印象を受けるから、何も隠しているものが無いように思えます。そのイメージから想像する人柄と、奥ゆかしいセクシーさを両立出来ているのが、なんとも不思議で、絶妙なバランス感だと感じました。

俊介

 「Tough Mary」をこんなに軽やかに歌い果てる女性がその後のキャリアの中で薬物中毒で苦しむことはあまり想像できないのだけれど、このアルバムがもしシラフの状態でレコーディングされたならこれは偉大なる名作。
 このイノセンス、カポーティとかマッカラーズが描くようなイノセンス。薬物に耽溺することは別に悪いことだとは全く思わないけど、自身を離れて自身をよりすごく遠くに連れていく、その特性がこのアルバムに適切に作用するとは思わない。
愛を歌って、あっけらかんと表明して、綺麗に消えてく、このアルバムの美は純粋無垢の中だけにある。そして、書き終えてすごく極論を言った気がする。

湘南ギャル

 どんなに音量を上げても遠くで鳴っている気がする。奥行きがバカでかい。大きなホールで大人数を従えながら歌うエタ・ジェームスが目に浮かんでくる。
 曲の盛り上がりと共に、彼女の声色が変わっていくのがいい。ポップめな曲も似合うけれど、ゆったりとした静かな曲での、始まった時と最高潮の時との幅の大きさが一番見ごたえがあるように思う。こんなに歌上手かったら楽しいだろうな〜〜。

しろみけさん

 一般にこういう、少し低いながらハリのあるフィメールボーカルは「イノセント」と形容されがちだ。ただ、この声はその要素も持ちつつ、殉教的な歌詞もあってか、伸びやかな強さを感じる。どこかカラッとしていて、それこそビリー・ホリデイが放っていたようなブルーなムードが減退している。ジャケットのように、彩度の高い世界でこそ映える声だ。

談合坂

 なんだか自分が2000年代からの音楽を先に通ってきているからか、かなり今っぽく聞こえる。完全に今のポップミュージックとして聴いてしまっていた。歴史の蓄積に伴う重苦しさを背負っていないような感じ。そんな明るさ、軽さのなかにも強い引力が生まれている。聴き継がれるという言葉にはこういう音楽が似合うのかもしれない。

 楽しいんだけどなんだか寂しい、みたいな心の内を歌っているように聴こえる。メジャー調にもマイナー調にも振り切らないけれど、最終的にマイナーのトーンが少し勝っている。「Tough Mary」のようなテンポの早いオールディーズ調の曲の方が彼女の声の特徴である「歌の最高到達点に到達するまでの早さ」を体感できる気がする。2023年にリリースされた作品を眺めてもフィメールR&Bシンガーは常に時代に求められているし、時代をリードした作品と共にその名前を歴史に刻みつけていることが分かるけれど、それは60年代からずっと連なるものだったんだと知れて良かった。

みせざき

 ブルース・シンガーに属されるのかもしれないが、とにかく明るく明瞭な声で、ポップシンガーに通ずるものを感じた。悲しさや嘆きのような感情までも希望に昇華させてしまうような、肯定的な力強さを感じた。私の好きなシンガー・ボーカリスト達に通ずる魅力とは異なるかもしれないが、きっと何処かでエタ・ジェームスの影響を受けているのだろう。

六月

 ここに来て初めて名前も聞いたことがない人が出てきたけど、聞いてみたらBillie Holidayよりも、怨念というか憑き物のようなのが落ちて、それでいて力強さや凄みも残っているから、すごく聞きやすく、小気味良い音楽鑑賞になった。
 現代に繋げやすいというか、この歌い方が現在のR&Bとか黒人のシンガーのDNAに組み込まれて、受け継がれているのだなあと感心した。あと演奏も、こんな1960年という早い時から自分のイメージするR&Bという音楽が雛形として出来上がってるんだなーとびっくりして、ここから60,70,80年代とどういうふうにその体を変異させていくのかが、より解像度を高くして知ることができると思うとすごく楽しみ。また、ブルースとR&Bって同じ祖先を持った兄弟みたいなものなんだなとも感じた。

和田醉象

 子供の頃、昔の音楽と聞いて真っ先に想像したような音像が繰り広げられている!妙にボーカルが抜けていて、リヴァーブが薄くかかっていて解像度が低い感じ。
 まずは、すごく大きくはないけど素敵なステージに立ち、この人が歌っている様子がモノクロで見える。そこから先は憶測だけど、日曜の朝の一時を優雅に過ごしている人の様子や、恋人に語りかける女の人の顔が見える。
 これまでのジャズ作品などと比べると楽器ごとの領域はとても曖昧で、それがかえって安心感を与えたり、より具体的な情景をリスナーに与えることに成功している。これこそがポップスがポップスたる所以ではないか。

渡田

 穏やかなピアノ、ドラムの音は60年代のアメリカのブルースのイメージそのもので、フレーズや繰り返しが曖昧なまま曲が展開していく感じ。一方で声ははっきりしたもの、時には乾いた印象の力強いシャウトもあり、70~80年代の女性ロックシンガーに繋がるものにも感じる。
 純粋なブルースとして聴くと馴染みなく思えても、70年代のロックと融合したブルース、例えばジャニスジョプリンの歌い方を思い出し共通項を探っていくと、分かりにくい古典にも思えたエタ•ジェームスの声にも途端に親しみを抱くことができた。

次回予告

次回は、Robert Johnson『King of Delta Blues Singers』を扱います。

#或る歴史或る耳
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