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フラワー・トラベリン・バンド『SATORI』(1971)

アルバム情報

アーティスト: フラワー・トラベリン・バンド
リリース日: 1971/4/25
レーベル: Atlantic(アメリカ)、ワーナー・パイオニア(日本)
「50年の邦楽ベスト100」における順位は40位でした。

メンバーの感想

The End End

 最初にきわめて雑な感想を言うと、英語で歌われるだけでやっぱり“本場っぽさ”のようなものを感じさせられる側面はあるよなあと。日本人の目線でしかないけれども。
 “ロック未履修”を自称して憚らないほどロックを聴いていないので(それがこの企画のきっかけでもあるのだけど)、これがハードロックなのかサイケなのかプログレなのか、なんなのかさっぱりわからない。かっこいいとは思ったのだけど、はたしてこういうものを聴き広げていく気になる日がくるのだろうか、、、というのが正直な感想。
 ”ロック未履修”を自称して憚らないほどロックを聴いていないのにギター機材に関しては少しだけ明るいので、スタックアンプにファズボックスの歪みを合わせた、どことなく湿り気のあるブリティッシュなギターサウンドだということはわかった。相対的にはっぴいえんどのアメリカ志向がわかりやすくなった気もする。

桜子

 すみません内田裕也ってこんなカッコいい事してた人なんですか!?!?!?ヤバすぎる!!偉人!!!私が知らなすぎなのかもですが、この時代にこれをやった事、もっと後世に知られるべきだと思いました。
 先週からの流れが変わるような曲調で、激しく、鋭く、重々しいのに、それが暗さじゃ無くて渋いカッコよさへと作用してるところが好きです。

俊介

 スマホという大変便利な機器のおかげで、インスタントな刺激にしか反応しないアンテナを身につけてしまった自負があるので、5曲で40分弱という偉大なる威圧感に慄いて再生ボタンを押せないこと過去数回。腹を決めて初めて聴いてみたもの、やっぱり分かりづらいというのが本音です。これでもかというくらいキャッチーなリフと現代の音圧に慣れた自分的にはイマイチピンと来なかった。でも、フォーク最盛期の当時にこんなハードなサウンドスケープを、しかも極東でって考えると名盤に選出されるのも納得。
 ギターフレーズのすごいエキゾチックな感じ、強いていうなら演歌(自分の中の音の引き出しが乏しいのでこれくらいしかいえない、、)みたいな雰囲気に英詩のシャウトが乗っかってるこの独特な雰囲気は、ロック黎明期の日本のシーンの中でも極めて異色。
 日本語ロック論争では一応、はっぴいえんどの勝ち(そもそもそんな判定は存在しない)みたいな風潮だけども、アメリカ産のロックを日本人なりに解釈して演奏するっていう点で考えれば「SATORI」も一つの別解なのかな。

湘南ギャル

 誤解を恐れずに言うと、完成されたダサさ。これは決してdisではない。当たり前だが、世の中には白黒付けられないものがたくさんある。なんのアンケートでも「どちらとも言えない」という選択肢が人気を博す。でも、100人くらいにこのアルバムを聞かせて、なんらかの感想を求めたとしよう。「カッコいい!」も「ダサい!」も出てくるだろうが、「カッコ良くもダサくもない」と言う人は皆無なんじゃないか。「自分たちは何がしたいのか」という問いも難しいが、それを具現化して音にするのはもっと難しい。その作業に誠実に向き合った結果が、この潔いサウンドなんだろう。このストイックさ、カッコいいな。聞き始めた時とはまるで反対の感想に落ち着いてしまった。

しろみけさん

 土産物のよう。最先端だった英国のカンタベリー〜ハードロックの意匠を、そのサウンドから言葉に至るまで、全てを輸入しようと画策した内田裕也。バンドはブラック・サバスやクリムゾンのカバーで構成された1st『Anywhere』をリリースし、北米へと飛んだ後、それらの要素と東洋チックなフレーズを織り交ぜた本作を生み出した。
 興味深いことに、これは日本にいる我々からすれば「欧米の意匠を取り入れた、バンドの北米遠征の賜物」のようにも聞こえるし、逆に欧米では「東洋の要素がミクスチャーされた、アトランティック・レコードによる珍重な土産物」として受容されている。70年代初頭にこの倒錯を発生させたという一点において、このバンドは偉大そのものであると言える。私見だが、このミクスチャーは後の人間椅子の海外での成功にも繋がっていると個人的には睨んでいる。

談合坂

 浅いロック経験なりにこれがツェッペリンやクリームと同じ土俵にいるというのもわかるなと思いつつも、そのあたりのブリティッシュロックみたいな時代性を感じなくなる時間がたくさんあって楽しくなる。これ年代順に聴いてたんだっけと思い出した瞬間に浮かぶ笑顔。ブリティッシュロック聴き出した中学の頃に手を伸ばしてたら今頃めちゃくちゃめんどくさい奴になってたかも。

 花咲く世界へのトリップ。そして現実を超え悟りの境地へ。名は体を表すと言うが、ここまでバンド名と作品の名前が一致しているのも珍しいのではないか。いきなりツェッペリン節のハードロックなギターリフと咆哮が飛び出しアルバムが開始し、プログレッシブロックのような展開さえ伺える2曲目の後半ではファズギターでもって官能的で超越的な世界を作り上げる。クリームやジミ・ヘンドリックスと同じ地平に立っていると言っても一切の誇張は無い。3曲目でギターが歌い上げるメロディーは演歌のようなこぶしさえ感じさせ、それは今作が唯一無二な存在として世界中で聞かれている所以でもあるのだろう。

毎句八東

 聖飢魔II、筋肉少女帯、人間椅子、、、後世のアーティストに与えた影響も所々に感じさせる、「ジャパニーズ・ハードロックの金字塔」と言わんばかりの圧倒的破壊力。アルバムの曲順(英語詞で比較的分かりやすいロックをやっている一曲目から日本語詞のMAPまで)も海外から日本へハードロックを伝える道筋を示しているようにも見える。ボーカルのはちきれんばかりに轟くハイトーンボイス、オリエンタリズムを内包したリフが輝くリードギターなど全てのパートが個性を持ちつつも恐ろしいほどに共鳴し合い、いわゆる捨て曲が存在しないのも彼らが今も言い伝えられる理由の一つだろう。
 ツェッペリンに見られるようなイギリス由来のハードロックを踏襲しつつ、東洋人たらしめる魅力を強く持ち合わせた一枚。

みせざき

 雰囲気がキングクリムゾンのRedのようなダークなプログレの雰囲気だな、と思ったら本作71年だから先なんですね。この後のロックシーンにも影響度結構高いのでは、と感嘆しました。ギターの音はもろにこの頃のクラシックロックど真ん中という感じで、低音弦を基調としたリフはもろトニー・アイオミやジミー・ペイジを想起させるなと思いました。3曲目の気持ちいいまで弾きまくる感じも良いですね。ハモリもカッコ良かったです。またボーカルは英語詞ですが、発音にとても日本人ぽさが残されていて、それがまた一つの味のように感じました。ここまでハードでかつダークで呪術的な雰囲気のロックをこの時期に推し進めていたというのはすごいなと思います。

和田はるくに

 同年代のブラックサバスやツェッペリンのような奔放さ、ヘヴィネスさを感じる。前後のアルバムがフォークアルバムなだけあって、これだけでもかなり目立つ存在感だ。ただ、音は80年代のインディーズにも通じるような悪さもあって、これだけ有名なアルバムだが、聞く度珍盤を発見したような心持ちになるのは私だけだろうか。インプロが中心であり、大衆受けするキャッチーさは他のアルバムに比べるとないのだが、その分目の前で繰り広げられている感もあり、聞いていくうちに張り込んでいく感じは随一。タイトルが示す通り、同じテーマでPt.5までずっと続いていく感じもするので、大作主義的なものを勝手に感じて、プログレ的な音楽性も想像していたが、どちらかというとGrateful Deadである。ちがうか。

渡田

 聴いた瞬間は非常に困惑しました…
 サイケデリックな雰囲気、プログレッシブな雰囲気に気圧されて、普段精通していないこの手の音楽にどうコメントを残すか、だいぶ時間をかけて悩みました。
 まず意外だったのは、自分にとっては疎いジャンルの音楽だったけれど、聴き直しが意外にも億劫にならなかったこと。
 聴いているうちに思ったのは、曲全体は一見して怪しくて近づきにくい印象があるのだけれど、一方でリフが丁寧で耳にも馴染むということ。前衛的なサウンドも印象的なリフのおかげで歩み寄れた。
 激しいケレン味を感じさせる部分と聴きやすい部分の駆け引きを上手く収めている印象。実験音楽じみているけど、決して独りよがりではなく、あくまで聴いてもらうことを意識している点がアルバムの完成度につながっていると感じた。
 思ったほど人を選ぶアルバムというわけでもなさそう。

次回予告

次回は、高田渡『ごあいさつ』を扱います。

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