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戸川純『玉姫様』(1984)

アルバム情報

アーティスト: 戸川純
リリース日: 1984/1/25
レーベル: ¥EN(日本)
「50年の邦楽ベスト100」における順位は82位でした。

メンバーの感想

The End End

 近く聴いた、そして坂本龍一が手がけたPhewと比較するなら、細野プロデュースのこちらの方がよりシンガーとしての地力によって立つ作品だという印象。様々な声色と熱量を使い分けて歌詞とメロディの持つ力を最大限に発揮させている、或いはシンガーの力をよく引き出したプロダクションである。
 どうひっくり返ったって自分には入り込んで理解できないものってたくさんあるのだけど、男性にとって女性の月経って生きてきて初めにそれを思い知らされることのひとつじゃないですか。「玉姫様」を語る言葉は今の私には無いな…と思ってしまうこともサボってるのかもしれないけど、とにかく根本的に“他者”の作品だと感じた。

桜子

 まさかのテーマが虫!
 自分の事を"肉塊"と呼んでみたり、不気味な感じがする怖い曲も、戸川純が歌うとそこに純粋さみたいなものも着いてくるのが画期的だなぁと感じました。
 変な事は沢山してるけど、カノンに"虫の女"についての詩を付けてることが1番変だと思った!笑
それがカッコいい!

俊介

 まず、クラシック、民族音楽、テクノポップetc、多種多様なジャンルの混在を、歌声一つでまとめあげる戸川純に感服。
 昔聴いてた頃は、怖いものみたさであのおどろおどろしい感触が胸に迫ってくるのを楽しんでたけど、今聴くと奇っ怪な歌い方とかサウンドスケープ、歌詞にある種の優しさとか慈愛の裏返しを感じるようになった。
 めちゃくちゃ不器用でめちゃくちゃ優しい人がつくる音楽の最終到達点は戸川純かも。
その刺激的な歌詞とダークな音像に反してすごく普遍的な愛のアルバムだと思います。

湘南ギャル

 これを書く前に、先に原稿出してた人の感想やネットに転がるレビューを読んでいた。男性が書いたものしか見つけられなかったけど、「僕は当事者じゃないのでわかりませんが、生理って大変そうっすね〜 なんか強烈!」という感想が多かった。なるほど。なんていうか、うるせーーーー!!!こっちだって好きで当事者してるわけじゃないわ!いや別につらさをわかれっつー話じゃないんだけど!どういう態度を取られたらムカつかないのか自分でもわからないけど!ぼけぼけ!おたんこなす!!お前の母ちゃんデベソらしーよ!!
 このままだと、わたくしが乱心の玉姫になってしまうので、そろそろ感想に移ろう。戸川純はなにやら不思議ちゃんらしい、という事前情報だけはあった。たしかに、曲ごとに雰囲気が違うだけでなく、曲の中でもひらひらと表情を変える。だからといって、彼女を不思議だとは感じなかった。別に、歌われてるなにかに強く共感したわけではない。というか、全然共感できないことだらけだ。失恋しても殺されたくはないし、自分は虫の女だなあと思ったこともない。でも、彼女の歌には、聴衆を彼女と同じ世界に引き込む力がある。この人はこの時、本当にこう思ったんだろう、と説得させられる。例えば、隣にインド人が10年住んでるから、今更インドに行くのはなあ、という論理は、別に成り立ってはいない。でも、曲の流れでその言葉を聴くと、たしかにそうかも〜!と納得するのだ。不思議ちゃん、という事前のイメージとは真逆の、強い説得力を感じるアルバムだった。

しろみけさん

 究極の当事者性による卓越した芸というか、多分自分はこれをヒップホップを聞く脳で聞いている。パブリック・エネミーのチャック・Dがヒップホップのスタイルを「ラップはブラック・ピープルのCNNだ」という言葉で表したのに倣えば、戸川純の選択したフォーマットがパンクロックだっただけで、同様の内容を今音楽に落とし込むとするならば、それは同じサウンドで展開されていないと思う。しかも、当事者じゃなくてもついつい聞いちゃう。そういうあけすけなポップさも含めて、すごいヒップホップらしい。

談合坂

 それを80年代と言って良いのかよくわからないけど、何らかの時代が確立されることで生まれてくる作品という感じがする。一曲一曲のアプローチに迷いがない。
 一方で、アルバムを通してという点に関していえば、この企画を通してまずは一切の予習なしにアルバムを聴いてみるということをしているなかで自分の意識を着地させるまでにいちばん時間がかかった作品でもありました。

 シュール、と言ってしまえばそれまでだがメロディーと音節がぴったりとハマっているので気持ち良く、良い違和感が全編を支配している。ビョーク「POST」におけるSEと歌唱のみで作られた数曲と宝塚演劇が混ざったような「隣の印度人」など、強烈という言葉が似合う。

みせざき

 奇妙さの中にも説得力を感じされられるのはこの声が起因しているのだろう。ニューウェーブの時代を追従したようなサウンドだが、パンクシンガーのようなオーラも感じる。まだこの作品の素晴らしさを完全に理解するまでには至っていないが、聴き込めば聴き込むほどこの不思議な魅力に取り憑かれていくのだと思う。

和田はるくに

 高校のときに聞いて以来、80年代の日本のロックというとこれ、という先入観もあり、かなりこれを軸に色々な評価を下していたわけでもあるが、今聞くと思っているよりもかなりちゃんとコンセプト然している内容だった。
 アンデス民謡からカノン、ヤプーズの前身バンドハルメンズに至るまで様々な文脈から引用をしているが、依然として保たれるコンセプト性、世間が思う戸川色が濃い内容。休止中だったゲルニカの前身バンド8 1/2の曲も入っており、これまでの戸川のキャリアのある意味総決算、総戦力戦的な内容にもなっているようにも思うし、本作から発展してヤプーズが構築されていったから、キャリアの展望を切り開いた作品とも言える。
 細野プロデュースということもあるが、曲「玉姫様」のサウンドはそこはかとなくトロピカル三部作の先にある気がする。
 諦念プシガンガのあそこでは「い~おっさんだい、よ〜おっさんだい」と言われているらしい。

渡田

 本当に本当に複雑な感情がこもっているアルバムだと思う。このアルバムの奇妙さは、他の新しい技術やスタイルを取り入れた革新性から来るものとは全く異次元のものだった。
 舌足らずの子供が唸っているような歌い方や、無意味なお伽話のような歌詞に、シンプルなバンド楽器の音と古臭い電子音の組み合わせ等、明らかにそこに真意はない演出の数々のどこか一瞬に、潜むように、どうしようも素直にさらけ出すことができない、外に出したらすぐに壊れるようなきめ細かい真意がこもっている気がしてならない。
そういうところに気づくと、戸川純は決して我々とは違う世界の見方をしている不思議ちゃんじゃなくて、誰にでも共感し得るような、それこそ誰もが子供の頃に抱く心細さとかを歌っている気がする。
 あえて外れた歌声は、誰もが経験する人前で上手く声の出せないあの時の、孤独な緊張感の裏返しのようであるし、悪ふざけのような衣装とステージパフォーマンスは、人目を気にしすぎた結果、却ってそうなってしまったようにも見える。
意味不明な歌詞は、何かの比喩に思えてならない。
 曲を聴いていると、ふとそういう私達が共感できそうな繊細な一面に触れられるような一瞬がある。ステージの上で理解不能な衣装と歌詞でパフォーマンスする戸川純は現実離れしたアニメやマンガのキャラクターのように見えるけれど、そのステージの上で、たまに、ほんの一瞬だけ、戸川純の顔がただの小学生くらいの女の子のように見える時があるのはきっと自分だけじゃないと思う。
 しかし、そういった彼女の真意が表れる予感がした途端、純ちゃんはすぐにふざけた歌い方になって、結局はぐらかされてしまう。
 このアルバムの奇妙さは、誰にも心を見られたくない思いと、誰かに心を見てもらいたい思いとの、極めて矛盾した感情の板挟みの中で弾き出た突然変異の結果だと思う。
 とびきり奇妙な演出を以てして、それでも分かってくれる人がいるのかどうか、自分が本当にひとりぼっちの人間なのか、やっぱり分かってくれる人がいるのか、この音楽でそれを確かめているようだ。

次回予告

次回は、竹内まりや『VARIETY』を扱います。

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#アルバムレビュー
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