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村八分『ライブ』(1973)

アルバム情報

アーティスト: 村八分
リリース日: 1973/1/25
レーベル: エレック(日本)
「50年の邦楽ベスト100」における順位は34位でした。

メンバーの感想

The End End

 頭脳警察の時に湘南ギャルさんが書いていた「ライブ版だったらなあ…」の答え合わせみたいな作品だな、と感じた。これも、もう少し整った音でレコーディングされていたりなんかしたら乗れない気がする。
 合間のMCを見ても本当に普通には生きられなかった人なんだろうな、という感じで、演奏もとにかくヒリヒリしている。ヒリヒリしているんだけど不思議と気張っていない感じもあって、もしかしたらそれは言葉がこれ以上なく気持ちよくリズムに乗っているからかもしれない。
 ただ、その言葉が見事に乗っているリズム隊の演奏はあまり達者ではない。私自身の「村八分のコピーバンドが上手くてどうする!」と、ギター弾きなのにドラムとして駆り出された思い出がそれを象徴している。しかしギターは本当に上手…というか、右手でしっかりと鳴らされている音がして心地よい。この音が出るものが身近にあったら私もマーシャルのアンプが好きだっただろうな。

桜子

 やってる事はシンプルで私が考える、ザ・ロックンロール!って印象を受けました!笑
 ギターの音が青臭くて、自分の語彙じゃ説明できない因果だけど、それが親近感を沸かせるし、私の中にいる少年が
 うおーーーー!ってなる!ライブ盤だし!

俊介

 小学六年生の冬、歳の離れた兄貴に勧められて聴きました。
 車のステレオでかけてたら、隣の運転席の母親がすごい悲しい顔をしていた。(それ以降、村八分とあがた森魚、フィッシュマンズを車でかけるのは禁止された。)
 とにかく、怪しくてエロい。ある程度決まった形があるポップスでしか音楽を知らなかったので、「音楽ってこんなにいけないことしていいんだ」てすごくワクワクしてたことを思い出した。
 ローリングストーンズに影響受けていることはメンバーも明言しているものの、個人的にストーンズがしっくりこないのは、村八分のエロさがあんまないから。
 ザ・京都て感じの土着的で、じめっとした音楽と、挑発的なチャー坊の歌詞が大好き。
 純粋無垢で内気でシャイな男が、無理をしてでもステージの上では不敵な態度を装う姿勢が、これぞロックて感じで最高。
 初めて聴いてから9年、もう頭がおかしくなったまま戻れないでいる。

湘南ギャル

 時代を超えても色褪せない名盤、という褒め文句がこの世には存在する。時を経ても色褪せないのが名盤である、という考えもまた、世に広く支持されているようである。どちらかといえば私も、その考えを信じ、主張していた側であった。しかし私はどうひっくり返っても、平成に生まれ、スマホを片手に持ち、大きな苦労もせず育ってきた気の抜けた若者である。この企画で頭脳警察を聞いた時にも思ったのだけれど、村八分という存在をその当時の人々と同じ熱量で感じることって、絶対にできないんだろう。きっとこの先もその機会がない。それがとても悔しい。どんな深い予備知識があったって、どんな優れた語彙力があったって、当時ライブを観た人のたった一言の感想にもきっと勝てない。そういった種類のバンドも、この世にはある。

しろみけさん

 品がない。村八分の歌詞が放送禁止用語だらけなのはよく知られていることで、そのイメージばかりが先行してしまいがちだけど、チャック・ベリーの曲にそのまま日本語を乗せるならば、超口語的な言葉を関西弁のイントネーションで重ねていくのは当然の帰結だと思う。
 むしろ、ほぼリファレンス丸出しの楽曲を、こうも太いギターの音でもって朗々と弾きこなせる山口のギターの方が、よっぽど品に欠けている。ガタガタのリズム隊との対比でもって、オリジナルの音を時たま超える太さのギターに面喰らわされた。

談合坂

 これは他のアルバムと並べて語っていいのだろうか、ということを考えていた。盤面に収録するという都合上曲単位に区切られてはいるけれど、その場の空気の流れを含めた出来事の記録として、それも映像として目で感じるというよりは鼻にまとってくる湿度とか焦げ臭さを呼び起こしてくれるような体験でした。
 ギター本当にかっこいいですね……

 ロックである。地下で鳴っている音である。でも新奇さや今聞いてあっと驚くようなものは無い。単にでっかい音でギターが鳴っている。パンクである。叫んでいる。ジョンライドンだかジョーストラマーだかが浮かび上がる。でも、この作品は1973年にリリースされたという。NYパンクと同時代、ロンドンパンクより少し早く。この国にもパンクはあったらしい。

毎句八屯

 ひび割れたような荒々しいギター。
 精緻さよりも気迫が勝るドラム。
 細くも腹から声を出すドスの効いたボーカル。
 初めて聴いたアルバムではあったが、噂通りの狂いぶり。
 しかし既存のロックンロールのフォーマットは崩さず、予想より正統派だとという印象。定められたフィールドの中で最大限の自由を活かしている。
 中でもやはり歌詞は見逃せない。過激な言葉が耳を過ぎる最初のナンバー「あッ!!」は直接的でありつつも看過されている自身の苦悩に焦点があてられているように感じた。また、遠藤賢治にも通ずる感覚的で一部抽象的、アドリブチックな歌い回しも見受けられる。それは聞き手の想像に委ねるものもあるが共感しやすいのもまた一理。 
 その上で最低限の彼らの礼儀が前述したロックンロールという比較的分かりやすくも自分の荒んだ心情を投影してくれる音楽を選んでいるということだと思う。寄り添っていないようで寄り添っているのか。

みせざき

 聴いていてとにかく疾走感を強く感じました。歌詞はすごく叫びの部分が強調されているような、吐き捨てたような歌詞は、意味よりも語感の方が強く入ってくる、そうした印象を受けました。ミックジャガーを想起させるような存在感のあるボーカルだと感じました。バッキングの曲自体も、クラプトン、ジミヘン、ストーンズなどからの引用というか、明らかに元が分かりやすいのですが、それらも日本語ロックというフィルターを通してちゃんと表現されているな、と感じました。日本語ロックの手本ともとれるような作品だと感じました。

和田はるくに

 これを聞くと、初期のパンクは完全にブルースのフォーマットであることがわかる。「ねたのよい」などもう少し早回ししたら70年代のパンク名盤に入っている曲である。
 現代に生きている生物と古代の生物の、今まで見つかっていなかった中間種を見つけた気分でいつも聞くと妙な気分になる。この『ライブ』はほとんどゲリラ的に行われたらしいが、やじを飛ばす元気のある連中がたくさんいた当時の京都の学生の雰囲気を感じ取れる。
 ところで、バンド名はともかく、歌詞が過激で放送禁止になるなら歌詞非公開でも良かったのではないだろうか、と思っているのは私だけだろうか。
 でも結局ガチャガチャ鳴らしているのが一番気持ちいいんだよな。

渡田

 悪ふざけみたいな歌詞や歌い方、パフォーマンスのイメージが強かったが、意外とギターのリフは爽やかで分かりやすかったし、ドラムの盛り上がり方は人を選ばない格好良さに思えた。
 アンダーグラウンドな雰囲気は当然あるけれど、何から何まで無法地帯となっている訳ではなさそう。その攻撃的な個性とは別に、純粋なロックとしての魅力も含んでいるバンドということがよく分かる。

次回予告

次回は、はちみつぱい『センチメンタル通り』を扱います。

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#アルバムレビュー
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