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大瀧詠一『大瀧詠一』(1972)

アルバム情報

アーティスト: 大瀧詠一
リリース日: 1972/11/25
レーベル: ベルウッド (日本)
「50年の邦楽ベスト100」における順位は72位でした。

メンバーの感想

The End End

 1曲目を聴いて「未来の子守歌」だ、と思ってしまった、思う順番が逆なのか、両方が同じものをリファレンスとしているのかは不勉強で分からないけれど。アレンジ・演奏のパワーが圧倒的で、特に「びんぼう」のアンサンブルが凄まじすぎて口が開いてしまう。すべてのパートが絡み合うことではじめて見えるリズムの存在って最高…
 はっぴいえんどの楽曲を聴いていても思ったのだが、楽曲ごとに最適なペルソナを纏わせた声で歌えることが(少なくともこの時期までの、としておく)大瀧の大きな魅力ではないか。シンガーである以前にプロデューサーでリスナーなんだ、と感じた。また、飾り気はあまりないが遊び心はたっぷりある歌詞もこの作品のムードに大きく寄与していると思う。12曲で30分未満という、気軽に聴き通せる潔いサイズの作品なので、ちょっとした時間にぜひ。

桜子

 一曲目の”おもい”から自己紹介のような、大瀧詠一といえばのコーラス。
華やかで煌びやかな和製POPSの基礎があると感じました。
 EACH TIMEやロンバケはリヴァーブがかなり効いているのに、このアルバムはそうでも無いところが興味深かったです。

俊介

 音像がとにかく面白い。密度が濃い。アルバムジャケットからアメリカの摩天楼よろしくアーバンな雰囲気を予感していたけど、実際はしっとりしててじめっとしてて、すごい日本的。メロディとかミックスについては、はっぴいえんどに近い。でもはっぴいえんどのときにはなかった女性のコーラスが入っててかなりいい違和感。
 いわゆるのシティポップと、はっぴいえんどが合体しったような、あの時代のエアポケットの中に産み落とされた怪作。
一番好きなのは「指切り」です。元は、シュガーベイブ時代の曲だったはずだけど、カラッとした空気からはうって変わって、先述した通りのじめっとしたエロティックなナンバーに。後年のシティポップとはまた異なったアーバンな雰囲気めちゃくちゃいいす。

湘南ギャル

 この企画初の、高いところで音が鳴っているアルバムかもしれない。ポピュラー音楽の近づいてくる足音がする。洒落ていて、それでいて賢い若者たちが、腰を揺らして踊っている。しゃらくさいぜ。ジャケットの雰囲気も、今まで出てきたアルバムとは大分違うようだ。なんだ、ちょいとスカしすぎてないかい?なんて、ヤジを飛ばしたくなる。とはいえ、好きな曲もある。4曲目の、びんぼうという曲。曲中の頻出ワードである”びんぼう”という単語は、意味を持つ言葉でもあり、リズムを作るパーカッションでもある。定義に縛られる人生なんてもうやめだい!と、貧乏という単語が分厚い辞書から飛び出してきて、踊っている。このアルバムの周りは、踊ってる奴らでいっぱいみたいだ。

しろみけさん

 背筋が伸びる。例えば静寂がもったいなくなった時にとりあえず流しておいたAMラジオから「指切り」が流れてきても感動できるように、どれだけボーッと聞いてても心のどこかと繋がってしまう直情的な魅力がある。
 それでもし興味を持ったならば、ぜひ本作について検索してみてほしい。本作のWikipediaでも構わない。大瀧詠一がどれほどの意匠を一音に凝らし、一切の妥協なく音盤に接しているか、きっとすぐにわかるはずだ。それは大瀧本人が語る時もあれば、数多の敬虔なナイアガラーたちが代弁する時もある。偏執的でお茶目な巨星の残したいくつかのマスターピース、その中でもハングリーな姿が垣間見れる一作だ。

談合坂

 Apple Musicがこのアルバムのカテゴリとして記している「J-Pop」の言葉がすごくしっくりくると思った。決して典型的にそうだという感じではないけど、アルバムとしてのまとめ方だとかにCD感を覚えるのは私だけでしょうか。

 麗しい多重コーラスで幕を開ける本作には「夏」「バケーション」「車」「高速道路」「ビーチ」といった私が彼に抱いていたイメージが殆ど存在しないことに気づく。デスクトップに向かって孤独と向き合いながら曲を作り上げる、現在の音楽家に近い音楽の求道者としての姿勢が強く印象に残る。「びんぼう」「五月雨」で見られるファンクネスはジェームズブラウンやプリンスのような、孤独の発露というか、今夜は諦めて踊るしかない、みたいな寂しげなニュアンスが音や声に表れている。ここから彼は都会の空虚な華やかさを表現する。その原点としてのアーティスト性が存分に表れた名作ではないでしょうか!!!

毎句八屯

 大瀧詠一の日常を能天気な曲調でオブラートに包む感じが好きだ。
 4,5,6曲目は特に大滝詠一しているような。軽快にやや鬱々としたことを言う。案の定作詞、作曲、編曲のクレジットは大瀧詠一(ウララカのみ編曲が多羅尾伴内名義。4,5曲目に比べ歌謡チックな曲だから商業性を孕んだこっちの名義なんだろうか)。
 ひもじい中でもユーモアとアイデアも忘れずに、と言われてる気がする。

みせざき

 しっとりした印象で、大瀧さんの歌自体もスローテンポな雰囲気にマッチしているためとてもマッチしている印象を受けました。イメージとして風街ロマンのInterludeというか、ふざけた感じの部分を作品として拡張させたような印象を受けました。コーラスも、ビーチボーイズのような掛け合いがあったり、ウララカなど、日本語ならではの遊び方をしている印象も受けました。指切りの古いR&B的な雰囲気を感じさせる曲もすごい好きです。

和田はるくに

 ビーチボーイズ趣味(?)のコーラスから始まる。ロンバケの頃のナイアガラ〜な感じを想像しているとずっこける。はっぴいえんど直結な作風だ。個人的にはっぴいえんどは大滝派なので、ちょうど美味しいところだけが入ってる感じでサクサク楽しめる。「ウララカ」など、「この曲絶対元ネタがあるんだろうなあ」という思いにふけりながら、そこにうまく日本語がハマっている心地よさがたまらない。コストコがどこかでめちゃくちゃに買い物して、帰りにうまく荷物が車に詰めたとき並の快感である。

渡田

不安や寂しさを誤魔化しているような歌詞の曲と正直な気持ちの発露のような歌詞の曲が混ざっていた印象。
 ファンクぽい曲、ダンスミュージックぽい曲が前者で、バラードぽいのが後者の傾向?あの曲はこっちでこれはこっちだとはっきり分けるのもナンセンスかもしれない。
 正直な吐露のような曲には強く惹きつけられ、いくつかお気に入りもできた。
 そう言った正直な気持ちを歌った曲では、声に僅かに力強さあるような気がする。本当に気のせいレベルの力強さなのかもしれないけれど、それが却って精一杯の力強さかと思うと、より愛おしかった。

次回予告

次回は、よしだたくろう『元気です。』を扱います。

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