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Bob Dylan『John Wesley Harding』(1967)

アルバム情報

アーティスト: Bob Dylan
リリース日: 1967/12/27
レーベル: Columbia(US)
「『歴代最高のアルバム』500選(2020年版)」における順位は337位でした。

メンバーの感想

The End End

 Rチャンネルに寄っているドラムの音がすごく生々しいというか、目の前で叩いているのを聴いている時にかなり近い。おそらくはドラムに立てるマイクがすごく少ないのだと思う。(「I Dreamed I Saw St.Augustine」ではスネアの反響だけが真ん中で鳴っていることから、完全に1本のマイクで録っているわけではない気がするが)
 ただ、全体を通しての感想としては"ボブ・ディラン味"だな〜、以上のものは湧かなかった。アンサンブルにおいて新たな取り組みがされているわけでもなく、歌詞をパッと聴いて理解する力がない以上一聴して楽しむのは少し難しいかも。

コーメイ

 コンパクトなアルバムであったように思われる。1曲がかなり長いこともなく、音楽もアコギとハーモニカを中心に、とっつきやすい楽曲で構成されていた。そのため、聴き始めてからあっという間に終わった印象を受けた。

桜子

 あと一体何回この企画でボブディランを聴くんだ!またハーモニカプープーの時間だ!
 これは、歌詞を楽しむ作品なのかなと思う。英歌詞をすぐには理解できない私には、とにかく退屈だ!心がゆったりできるところは好きだけれど!

しろみけさん

 ひねくれた青年が 『Blonde on Blonde』で誠実に辿り着いて(関係ないけど、2024年は誠実が流行ります)、じゃあその次どうすんの? って思ったところでこの一手。 いや、一手と言えるほどの大仰なものではない。この硬派な、シンプルなバンドとディランだけのスタイルへの回帰。なるほど、後は詩を自由に著述して、喋るだけなのだな。ブルースからロックまで、理想のキャンパスを見つける旅が一旦終わり、これから本格的なデッサンの期間に入ることが伺える。

談合坂

 "実家のような安心感"みたいな……なんとなく追う限りでもなんだか一歩引いた言葉遣いのような感じはするんだけど、それでもこのギターとハープはここにしかないよな、と思わせてくれるのは確かだと思う。ただその一方で、表現の安定感に対するナレーションっぽさへの引っかかりが相まって居場所が定まっていないような感覚も同時に存在している。彼を追っている当時の人々は何を思うのか、リアルタイムな言葉で聞くことができたら面白そう。

 序盤のエイトビートがやけに小気味良い。朗らかじゃん。少し休みをとってのアルバムだそうだが、確かに一皮剥けたというか、不眠症が治ったような、そんなあっさりと元気な様子が浮かぶ。シリアスで力の入った状態のアーティストというものの危うさにはそりゃ惹かれるけど、逆の位置にいるときの逞しさにも惹かれる。歌詞を読んだらちょっとシリアスで、一聴した感じとは様子が少し違いそうだけど、少なくとも帰りの電車でゆったり聴きたくなるのはこのアルバムだ。

みせざき

 最近、ボブディランというアーティストに対し、親近感やもっとのめり込める糸口が見出せる気がしてきた。やっぱりその一つが声だと思う。正直歌詞は寓意的でパッと聴いて意味が理解できるものでないが、というか何回聴いてもはっきりしないが、そうした歌詞を通して感じる確固とした"カッコ良さ"がある。
 本作は以前のエレキサウンドの傾向から一転してまたアコギ路線に戻っている為、またそうしたディランの良さを再確認できる気がした。以前のアコギ路線とは風格の違うカッコ良さを感じる。

六月

 あんま知らねえし聞いたこともねえアルバムだなと思っていたのだけれど、ビートルズやジミヘンやらまでが出てきている中で、だんだんトップランカーじゃなくなってきている(『Rough and Rowdy Ways』という偉大なる例外はさておきですね)アーティストがどのように進んでいくかという記録という意味でとても重要な作品ではないかと背筋を正した、この作品の前にバイク事故を起こしたそうで、そう言った出来事を抜きにしても、この人はすんでのところで芸術の死神に命を掠め取られることなく、上手に遁世僧のように生き抜いていく方向に進んだと思うのだけれど、今作は、その重要な分かれ道に差し掛かっていた時のアルバムのように思える。『Blonde on Blonde』まであった神がかり的憑き物が確実に抜けてきている雰囲気からもそれが伺えて、けれどもそれはSly Stoneのようにある時点でガクンとまるきり才能が枯渇したというわけではなく、出力の仕方を変えたみたいなことなんだと思う(なんかジャケット見比べてみたら顔つきも変わってません?髭生やしただけかな?話が古いけれど、ポール・マッカートニーや志村けんばりに死亡説流れててもおかしくないくらいに変わってると思うのだけれど)。

和田醉象

 彼ほどになると作品ごとに色々取り組み方を考えないといけないだろう。前は大胆にバンド演奏していたこともあったけど、ここではギターが主体で、ドラムとベースが申し分程度についてる。
 楽器類はどれも歌の従事者という感じで、聴かせるのは合間合間に来るハーモニカぐらいだ。歌詞がわからないとこのアルバムはどうしようもなく奥に入っていけない構想になっているのだ。
 でも歌への気持ちの入れようは以前よりわかりやすくなったと思う。『Drifter's Escape』の、今にも上ずってしまいそうな声の高鳴りは泣けた。やっぱり年代を経るごとに歌自体が上手くなってるよ。必要以上に楽器に頼ったりしないし、頼もしさを感じるし、それだけでBob Dylanだ。

渡田

 アコースティックギターとハーモニカの音からさフォークロックへの回帰とも取れそうだったけれど、『The Freewheelin’Bob Dylan』と聴き比べてみると、このアルバムの雰囲気はそれとは違うものだと思う。
 『The Freewheelin’Bob Dylan』の曲の歌詞の内容は、その後の変化の原点というか、派生する元になるようなものを感じられた。抽象的なのだけれど、強い芯を感じたのに対して、このアルバムかれはむしろ頼りなさを感じた。
 ギターの音、ハーモニカの音は時と音作りは同じなのだろうけれど、フレーズの変わり目が曖昧で、拠り所のない哀愁、ロードムービーのような当てのなさを感じる。

次回予告

次回は、Dr. John『Gris-Gris』を扱います。

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