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ブランキー・ジェット・シティ『Bang!』(1992)

アルバム情報

アーティスト: ブランキー・ジェット・シティ
リリース日: 1992/1/22
レーベル: 東芝EMI(日本)
「50年の邦楽ベスト100」における順位は88位でした。

メンバーの感想

The End End

 カッコいいということは、ダサいことも含んでいると思う。歌詞も歌唱もこれ以上ないくらいカッコつけてて逆に野暮ったいくらいなのだけど、でも、だからこそ最高にカッコいい…めちゃくちゃなこと言ってるけど、わかるよね?
 それと、グレッチはやっぱりベンジーのギターですよね。みんなこのジャキジャキに憧れて買うんだと思っている。
 リズム隊も、ドライブ感を持ちつつ堅実で、決して無茶な走り方はしない。スウィングしたリズムのハマり方が半端じゃないし、キメの殺傷能力が高いと、好みとかを超えたところで、問答無用でカッコいいと思わされてしまう。

桜子

 これはとてもロマンチックだ〜!映画的です。
カッコいい平たい車が暗闇を駆け抜けていくシーンが頭に浮かぶ。
 澄まし顔で、見かけはクールだけど、持ち合わせている気持ちは爆発していて、その温度も伝わる感じ!今車校行っているので早く免許取ってこれで夜のドライブがしたい!

俊介

 シンプルなロックかと思って聴いたらすごい入り組んでた。
 キザで乱暴な男の歌かと思ってたら、すごいマッチョな男の苦悩だった。ヘミングウェイみたいな感じです。大きい男が悩んでるところって同性からみても素敵だよね。
 Youtubeのshortに流れてきた、彼女の為にディズニー来た男が喫煙所でタバコ鬼吸いするコントをみてブランキー思い出した。
 ブランキーは若い人より、おじさんにハマる印象があるんだけど、それは時代が変わったとかじゃなくて、ミッドライフ・クライシスの渦中にいないと気づけないエッセンスみたいなのがブランキーには多分に含まれてる感じがある。
 将来もし、「自分の妻の為に趣味のコレクション捨てるとき」みたいなシチュエーション来たら(来るのか?)Bang!は絶対響く。そういうのは高校生の頃までの自分にとってはすごい惨めでつまらないことだったんだけど、最近はまあそれはそれで良いみたいな実感が。

湘南ギャル

 この企画で聴いてきた作品の中で、行間の存在を一番感じる。とはいえ、行間が広大というのは、私が邦楽というものに抱いていたイメージと合致する。これまで扱った作品は、歌詞を読めば情景が浮かんだり、歌い手の感情が手に取るようにわかったり、そういったものが多かったように思う。もしくは、全く意味を持たせないようにしていたり。ブランキージェットシティはそのいずれでもないように感じる。聴いていて景色が全く浮かばないということではない。ところどころ彼らは姿を現してくれる。でも、掴もうとしている間に去ってしまう。残念なことに、私は行間に対する視力が0.01くらいしかない。人並みに行間を解せるようになったら、また帰ってこようと思う。

しろみけさん

 リズム歌謡?浅井健一と照井利幸と中村達也はそれぞれ知っていたが、ブランキーを聞くのは初めてだった。3人の出立ちと後の活動からドライブ感のあるパンキッシュな演奏を想定していたが、そんなことはなかった。「ヘッドライトのわくのとれかたがいかしてる車」の歌に沿っているのはフラメンコっぽいリフだし、間奏のフレーズは70’sのタイのファンクみたい。「クリスマスと黒いブーツ」のリフもグループサウンズを想起させる低音弦のフレーズで、聞けば聞くほど(もしかしてこの人たち、リズム歌謡やろうとしてる?)っていう妄想が膨らむ。詳しく観察すればどの曲にもリズム歌謡らしき要素があって、とても邦楽らしいなと思った。

談合坂

 時代感覚がはっきりしていないのであまりしっかりしたことは言えないけど、リアルタイムでライブというよりはメディアがあることで感じられる魅力があるように感じた。同じ映像でも目で見る景色じゃなくてカメラで撮影した映画にこそ存在する視覚的な良さがあるみたいな、ある程度の‘設定’がかなりいい味を出していると思う。音楽ジャンル的なスタイルとは裏腹にかなり厳密に作られている印象。

 理想的な、あまりに理想的なスリーピースバンドだ。しかし我関せずピックを打ち付けているベースも、時に秩序さえ無いように太鼓を叩くドラミングも、手癖のようなストロークのカッティングとレイドバック感のあるメロディーを往復するギターもプレイヤーとして異彩を放っている。その上で奇跡的に噛み合ってしまうのがBLANKEY JET CITYだったのだろう。その個性のぶつかり合い方は後にコメディチックに見えるほどに際立っている。どこまで行っても「絶望という名の地下鉄にアイラブユー」をクソかっこ良く仕上げることができたバンドなのだ。

みせざき

 すごくど直球なカッコ良さをそのまま表現してくれるバンドに感じました。特にギターのカッティング、歯切れの良さが際立つバンドだと思いました。ただドライさ?というか乾いたサウンドなのが従来のイメージしてたガレージバンドとは違った印象でした。ボーカルの声も少し尖って、鋭角な印象を感じました。そういう少しクールな雰囲気がアメリカンぽくて結構好きでした。

和田醉象

 浅井健一を聞いたり、その音楽を好きになるということは人の家に行ったり、その人に恋したりすることに近い。
 一曲残らずすべてがストーリーテリング仕立てで出来ている。まず情景の説明をして、その後自分の感じていることを教えてくれる。それもかなり主観寄りで、多分聞いたり妄想したことを織り交ぜて、一種の箱庭を作り上げている。
 その主観を用いた語り口があんまりに面白いんで、ついつい耳を傾けてしまう。まるで浅井くんちに行って一晩中他愛もない話を聞き続けている感じだ。浅井くんは面白いし、自分にないものを持っているから僕らは浅井くんちに行ってしまう。何を得られるか分からないひったくりをするのに、わざわざ高い油を使う連中など本当に不条理だ。
 そしてベンジーにハマると、おそらくその語り口から離れられなくなる。ベンジー本人を好きになる感覚に近いだろう。だって家に行っているんだから。
 ライブ盤を聞くと実際演奏のほうが凄まじいバンドということはわかるんだが、アルバムを聞くと浅井健一の喋りの方に耳が傾いてしまうのでこういう感想になる。ライラックってどんな花なんだろう。

渡田

 今までこの企画で登場した音楽、シティポップ、パンクロック…等様々聴いてきたが、それらとは明らかに印象が違う。それらとは異なるシーンから生まれてきたものに思えた。
 この曲の激しさや、現実離れした歌詞が、今まで聞いてきたものとは別種類のものだったからだと思う。
 各楽器がいつでも主役級の派手なフレーズを弾き、曲調もその場その場で転換し、気づけば元のフレーズに戻っている様は、セッション音楽のような雰囲気もある。何より特徴として感じたのは、激しい演奏ながらも音の輪郭がはっきりしていたことだった。ノイズじみた音や、音割れ寸前の激しいひずみなどはなく、どの音も鮮明に聞こえた。
 歌詞もまた独自性のあるものだった。今回のアルバムのような現実離れしたような内容の歌詞は今まで企画で聴いた曲にもあったけれど、それらは社会との比較、折り合いのつけ方を感じさせる内容や、余裕ある皮肉な比喩が多かった(サディスティック・ミカ・バンド、じゃがたら、戸川純など)。今回の歌詞は、そういった社会を背景に感じさせる暗喩というより、行き過ぎた個人の妄想といった方が相応しいと感じた。
 こういった激しいながらも神格の鮮明な曲調、明らかに作り話だけれど切実な内容の歌詞からは、とても現像度が高い、設定が練り込まれたファンタジーやSF作品のような印象を受ける。ともすれば世界観に置き去りにされてしまいそうだけれど、ひとたび受け入れるとその世界に夢中になれる音楽だった。

次回予告

次回は、ヤン冨田『MUSIC FOR ASTRO AGE』を扱います。

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