見出し画像

金延幸子『み空』(1972)

アルバム情報

アーティスト: 金延幸子
リリース日: 1972/9/1
レーベル: URC (日本)
「50年の邦楽ベスト100」における順位は33位でした。

メンバーの感想

The End End

 まず細野晴臣のプロデュース作である点について述べると、「風街ろまん」と「HOSONO HOUSE」を繋ぐ作品だと感じた。「風街ろまん」で到達したドライな音作りと、ロック以前のアメリカンポップスへの関心の両方を感じることができて楽しい。さらにプロダクションも見事だと思う。白眉は「おまえのほしいのは何」。ボーカルのピークを過剰にコンプで潰して歪ませることで、歌唱や歌詞の持つ窮屈なムードを際立たせている。
そして何より、曲が、演奏が、歌唱が良い。金延のアコースティックギターは非常に技巧的だし、メロディの持つリズムと歌詞の持つリズムが見事に溶け合っている。やるせなさと明るさが同居した歌詞、歌詞のないフェイク部分、とにかくこの発声を聴いていること自体が快感だ。個人的には4~7曲目が本当に好き。

桜子

 日常に溶け込むようなフォークソングアルバム。カラッと晴れてるような空気があって聴きやすかったです。何回も聴けば好きになれるんだろうけど、シンプルが故にパッと聴いた人にはフックが感じられにくいかなあと思いました。

俊介

 フォーク黎明期の作品の中でもかなり特異な作品な気がする。一応核にはフォークがあるけど、カントリーやブルース、ロック、果ては民族音楽の匂いまで。歌詞もかなり抽象的で、タイトル通り「空」を感じる。天国に近い音楽。
 個人的に「青い魚」が好きで、コード、メロディ、アレンジ、歌詞全てにおいて普遍性がある。今の曲って言われても信じてしまう。
 各々の角度で時代を切り分けたような、時流に即した作品が多い当時のフォークの世界で、ここまで時代感を削ぎ落として普遍的な作品にしてしまった「み空」。恐ろしいです。

湘南ギャル

 シンプルな料理こそシェフの腕が出るとか、白米がマズい店は何作ってもダメとか、言うよな。み空を聴きながらそんなことを考えていた。このアルバムは白米がめちゃくちゃ旨い店に違いない。楽器の数も少なくて、飾り気もなく、大きな仕掛けもない。でも、気が付くと引き込まれていて、いい気持ちのまま聴き終わっている。とっても馴染みがいい。あまりに馴染みがいいあまり、すんなりと喉を通ってしまい、うまく感想が書けない。とにかく、おいしい水とか米とか、そういった類の良さだ。それはそうと、何を食ったらこんな綺麗な声が出るんだろうな。

しろみけさん

 差し出したい。例えばアルトゥール・ヴェロカイが90年代のレア・グルーヴ界隈に発見されたように、同じ日本なら80年代のシティポップが続々と海外のバイヤーの手に渡っているように、このレコードもぜひ差し出したい。提出先は現行のUSインディー・ロックシーン、とりわけboygeniusの3人には優先的に聴取してもらいたい。
 当時からしても、その浮遊感のあるコードワーク(ギター弾きなら本作の運指の気持ちやすさが容易に想像できるであろう)が唯一無二であったことは想像に難くない。しかしジョニ・ミッチェルへの再評価が過去に類を見ないほど高まっている2023年現在において、本作の無邪気なまでのオーパーツ然とした佇まいには最大限の賛辞とレビューがなされてしかるべきである。

談合坂

 この感覚、既に私の中にあるな…と感じたのですが、平成アニメソング(と、いうよりもそれが大好きな令和のインターネット)と同じ耳で聴いていました。擦り切れたカラー映像ではなく、デジタルネイティブ世代とされる私たちでも鮮やかに記憶しているようなアナログの発色を見ていたような気がする。

私が彼女のことを初めて知ったのはロックバンド・GRAPEVINEが「青い魚」をカバーしていたことがきっかけだった。決してバンドとしてキャリアを長く積んでいるわけでは無いのに、ジメッとしたトーンで情念たっぷりに歌い上げる様は彼らの代名詞であるアルバム「lifetime」の中でもとびきり異端な印象を残していた。ただ、女性によるフォークミュージックの金字塔である本作にはそんな情念が一切取り払われている。清濁を全て飲み込んだうえでこの世から乖離した歌声が響く本作は、「千と千尋の神隠し」における「こちら」と「あちら」の境目にあるただ広く広がる草原のような空気を纏っている。

毎句八屯

 風通しのいい音楽。それに尽きる。
 アコースティック。それだけじゃない。キャロル・キングより細く通る声。ゆらゆら、のんびり、気の向くまま。歌詞を聞いても心がゆっくりできる音楽。いや、ゆっくりせざるを得ない音楽。雨模様でも。トゥル。ゆっくりと言えども、少しずつ動いている。だから6曲目みたいな歌もある。一番動いている。
 風は穏やかだけど時には性急で、そんな音楽。気つけば一年が経つ。そんな気がする。

みせざき

「腕が大地に届く」のような、空、広い世界に焦点を当てた歌詞が良く出てくるが、普通ならいい大人が、などと思ってしまいそうな歌詞でも、この透き通るような声だとどこかすっと受け入れることが出来る感じがしました。あとコードもルート音を基調にしながら高音弦を移動させるようなどこか一般的ではない不思議な響きをするものが多い印象を受けた。マイナーコードとメジャーコードを上手く使い分けている印象を受けました。「はやぶさと私」は、7分以上あり、はやぶさになぞらえながら途中でリズムを変化させながら別れか失恋と思われる感情を乗せて移行させる展開が印象的でした。

和田はるくに

 現代のボサノバっぽいアルバムのはしりみたいな感じ。「あなたから遠くへ」後半で入ってくるエレピの音など、まさにそんな感じ。近年アメリカで評価され、金延は現地で『み空』ツアーを行ったそうだが、エバーグリーンさがあるというか。このアルバムを初めて知った5年ほど前も、ジャケになぜか魅了されて、それだけでアナログを買いそうになったことがある。このアルバムの引き込む力の元凶はなんだ。
 「はやぶさと私」のイントロでちょっとテンポがクッと上がるところ、おっ、と思ってしまう。

渡田

 メロディも歌詞もシンプルだったが、聴いていて頭がフル回転する。
と言うのも、曲を構成する細かな諸要素の技量の高さと、曲の全体像のシンプルさがあまりに不釣り合いで、その余地を埋めようと頭が躍起になったのだと思う。
 ただ受け身に聴いているだけだと曲が完成しない気がした。聞いてる側が曲に情景を付け足したり、自身の持ってるどこかの思い出と繋げたりしてこそ完成する音楽なんじゃないだろうか。
 例えば歌詞について取り上げれば、これだけ言えば後は受取手の頭の中に勝手にイメージが浮かぶ最小限の語彙で済ませている感じ。
 本で言うと川端康成を読んだ時の感覚が近かったか。

次回予告

次回は、大瀧詠一『大瀧詠一』を扱います。

#或る歴史或る耳
#音楽
#アルバムレビュー
#金延幸子


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?