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クレイジーケンバンド『パンチ!パンチ!パンチ!』(1998)

アルバム情報

アーティスト: クレイジーケンバンド
リリース日: 1998/6/25
レーベル: DOUBLE JOY RECORDS(日本)
「50年の邦楽ベスト100」における順位は68位でした。

メンバーの感想

The End End

 サザンよりも言ってること自体は生々しいのに、なぜかこっちの方が上品に聴こえる。“果てた”で鼓の音が鳴るところ、電車の中で笑ってしまった…
 “歌謡曲”が色濃い作品をサザンとこれ+αしか入れられていない、というところにミューマガの文脈や視点というものがあるのかも。軽んじていたり見落しているのではなく、見過ごさざるを得ない何かがあるのでしょう。そこに“伝統的な日本の心”がこもっていると見做すことが妥当でないことはいくつかの本を読んで知っているけど、それでも歌謡曲が数少ない“日本に固有の”大衆音楽のスタイルであることは確かだと思うので。
 何よりも芸の達者さと歌の魅力で聴かせきることのできる地力が素晴らしい。あと、随所で吠えてるファズギターが最高です。

桜子

 ダサい〜(カッコ悪いという意味ではありません)と思った!ダサいというか、リファレンスに忠実にパロディをやっているように思える!
 だから少しコミカルに思えるというか。
 あとは少ししゃがれた声が、色気あって羨ましい。

俊介

 バックトラックから詞までロマンに振り切れてて、始まりから終わりまでダサくていなたい。でもCKBはこうじゃないといけない、こうじゃなければランキングにも選出されなかっただろう。んでもって歌が上手い。
 おそらく、地上波で乳房がみれた最後の番組であろう2009年の「湯けむりスナイパー」のEDに横山剣がフィーチャリングで参加してて、そこでもやけに歌が上手かったが記憶あるなぁ。
 そして、番組を通してはじめて乳房をみてくすぐられたリビドー、彼の声を聴くとパブロフの犬よろしく、いまでもなんかクラってかんじするよ。

湘南ギャル

 カッコつける勇気のある人は、いつだってカッコ良い。◯◯&his friends方式の名が付いていてかつ長続きしているバンドは、フロントが持つ引力が相当強いんだろうと思う。クレイジーケンバンドもご多分に漏れず。横山剣がずっとギラついている。こんな歌上手いのにエロい女の話しかしてなくて最高。サザン聴いた時も思ったけど、歌詞を見てても嫌な感じにはならない。両者とも、その時その瞬間はその女を世界で一番愛してたんだろうなって感じがする。誠実にすら見える。イーネッ!
 YouTubeでライブ映像などを漁っていたらあまりに平成すぎるMVを見つけ、嬉しくなってしまったので最後に貼る。私が思い出す平成の質感はいつもこんな感じ。RIP SLYMEの熱帯夜とかね。

しろみけさん

 にしても変なスネア。なんだかHR/HMっぽいというか、ここだけすごい綺麗なデモ音源みたい。
 というのはさておき、ブルースを筆頭にファンク、ツイスト、インド、カントリーと雑食的に取り込んでいくのはここまでなかったニューリズムの文脈っぽい。でもチグハグさはないというか、ギリギリJ-Popの枠で収まる程度のバラエティになってる。声優ポップスとか、(今はもうなくなったけど)とりあえず売れてる俳優とかモデルとかがCD出すノリとか、そういう時に色んなジャンルをとにかく入れ込みまくるのが自分の中のJ-Popらしさ。そういうのに敵いながらも、ムード歌謡をヤンキー風味に仕立て上げたような歌詞(と、本人の風貌)がキャラクターをしっかり立ててて、トンチキじゃなくなってるのが巧い。

PS. あと「右手のあいつ」下品すぎ❗️😡毎回、その度に思い出しちゃうから❗️😥

談合坂

 音がめちゃくちゃかっこいいのがズルい。エロとクルマが大好きな横浜のおじさんとイケてるミュージシャンって両立していていいんだろうか。表の顔と裏の顔みたいにそれぞれの性格が見え隠れするわけではなくて、こういう風に常に両方存在しているのってなかなかないかもなと思う。何事も中途半端にならずに突き抜けるのって大事なのだろうなと。

 思い返すとスーパー戦隊の挿入歌にはソウルやファンクをデフォルメして解釈するような作品が多かった気がする。デカレンジャーのエンディングとか。そういった曲はクレイジーケンバンドから連なる流れにあったのだな、とこのアルバムを聞いて逆説的に分かった。ただ下品な歌詞は日本語で聞くと聞くに堪えなくなるな、とは思ってしまった、、、。

みせざき

 シンプルに凄く良い声だと思いました。模範的と言えるような存在感もあり、パンチもあり綺麗な声だと思いました。ファンク、ソウルを感じさせる楽曲からブルースを感じさせるものまで適応力も見事に発揮されている為、聴く上で楽しさも多かったです。最近尖った作品が多かったのでこういう作品で気休めするのもアリですね(?)

和田醉象

 地元のライブハウス(横浜BLITZ)の最終公演に出ていた事しか知らなかった。
 ファンが居るアーティストって色気があって、それが音楽性以外の魅力に繋がっていくと了解しているんだけど、これは結構苦手な類のものだ。
サウンドやメンバーのコーラスは結構町田康がやってた『汝、我が民に非ズ』に似てて、そこら辺は結構楽しく聞けた。(汝〜にはなかったサーフ要素とかもあって結構楽しい)
 ただ看板のケンのボーカルや歌詞が結構受け付けない。あれだな、色々語るおっさんが苦手なんだな。(近田春夫のオッサン臭はあまり感じなかったけど)
 好みと紙一重ということで。

渡田

 ジャズ、歌謡曲、バラード…曲ごとに全く違う雰囲気が楽しい。ただ、色々なジャンルの音楽の影響を受けている、取り入れている音楽というより、実際にそのジャンルの音楽をやってみようとしている感じ、あくまで自分達の方から各ジャンルに歩み寄っている感じがした。それでも一貫したバンドの個性を感じるのは、輪郭のはっきりした歌声があるからだと思う。
 こういう他のジャンルに対して開かれた音楽は、90年代では珍しいと感じた。この企画で聴いた90年代の音楽は、以前の時代と比べて作り手のセンスが非常に強く表れたものが多かった(フィッシュマンズやブランキー•ジェット•シティ、ボアダムス、コーネリアス…)。他ジャンルからの影響があっても、それを独特に解釈して取り入れているような音楽が多かったが、このアルバムはそうじゃない。しっかり他ジャンル、ひいては他者との行き来可能な繋がりを感じる。
 例えば、フィッシュマンズやコーネリアスを聴いている時の感覚が非日常的な映画を観た時のものだとすれば、クレイジーケンバンドを聴いている時の感覚はカッコいいテレビドラマを観ている感じ。
 このアルバム単体で聴いていたらもっとシンプルな感想になっただろうけれど、フィッシュマンズやコーネリアスが取り上げられた時代の最中にこのアルバムがあることにはまた別の意味を感じる。

次回予告

次回は、キリンジ『ペーパードライヴァーズミュージック』を扱います。

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