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はっぴいえんど『はっぴいえんど』(1970)

アルバム情報

アーティスト: はっぴいえんど
リリース日: 1970/8/5
レーベル: URC(日本)
「50年の邦楽ベスト100」における順位は47位でした。

メンバーの感想

The End End

 ロックの洗礼を受けたギター・キッズだけでも、フォークシンガーだけでも、この作品は作れないだろうと思う。普遍的なポップネスへの愛情、そして”録音芸術としてのアルバム”への目線をビシビシ感じるし、サウンドも”ハイファイさ”という点でだけ言えば全く古くなく、あらゆる面で現代においても新鮮な楽しみを提供してくれる。
 個人的にはギリギリでモタついてない、というくらいに後ろにいるリズム隊のノリが本当に好きで…などと観光気分で楽しんでいると、ラストナンバーの「ねえ、君はほんとに幸せなの?」というセリフに、お前のことだよ、といきなり腕を掴まれたような気分になる。はっぴいえんどという存在も、そこで鳴らされているサウンドも、歌われている言葉も、恐らくは永遠に、日本で音楽を趣味にしている我々を傍観者にはさせてくれないのだろうと改めて思い知った。私たちはまだ、部分的にでも彼らの作った世界を生きている。

桜子

 あのーーーー!!!マジでカッコ良すぎる!!!ずっと大好きです!貫禄がある!それなのに!いつ聴いても新鮮にカッコ良い!新しい!それが凄いと思う!!!!!
 このアルバムが歴史に残るアルバムになったのは昔の音楽なのに、ノスタルジックな魅力で聴かせる下心が感じられないのがひとつの理由だと考える。私がなぜそう感じたのかは分からないし、 日本語ロックバンド黎明期にそんな事考えて作るわけなく、なるべくしてそうなったとは思うのですが。

俊介

 個人的に「風街ろまん」よりもシリアスな印象を持っていて、若干だけど録音も荒削りな感じ。
 作詞を担当する松本隆が少年時代を過ごした、1964年オリンピック開催に伴う再開発によって姿を消した古き良き東京の原風景を音楽に仮託して表現するのがバンドとしてのコンセプトなら、完成度の点では後作に一歩譲るかも。(違ったらすいません)
 「風街ろまん」よりも抽象的な歌詞が多くて、自分の中の原風景のイメージと繋がる感じはなかった。
 でも、「風街ろまん」にはない(意図的に切り捨てた?)、じっとりした空気と、主体も客体も徹底して俯瞰的に描き出す、無機質な松本氏の詞の世界観が邂逅した、不思議な感覚はこの作品でしか味わえない。
 また、作中唯一、細野晴臣が作詞した「飛べない空」は、日本語詞をロックに乗せることに対するある種の覚悟と挑戦の念がビシビシ伝わって、次作の布石のようにも感じた。
 良い意味でも悪い意味でも「風街ろまん」と比べてしまう。

湘南ギャル

 風街ろまんとHAPPY ENDはちょくちょく聴いていたけど、この平仮名はっぴいえんどはお恥ずかしながら初聞き。
 これまではっぴいえんどに持っていた印象は①三月くらいの晴れた風の日に歩きながら聴きたいような、明るい予感のあるメロディ②あまりに完成されすぎていて、オーパーツか?と思う③なんか全員実家が太そう、という3つ。
 でも、平仮名はっぴいえんどを聴いてだいぶイメージが変わった。このアルバムはずっと切羽詰まってて、ピリピリしてて、切実だ。まあファーストアルバムのそれらしさ、と言ってしまえばありきたりな感想なのかもしれないけど。
 はっぴいえんどを聴くときはいつも、教養とか権威みたいな単語がどっかで脳裏にチラついていたけれど、今回はカッケーー!!って騒いでるうちに聴き終えていた。こいつらは宇宙人なんかじゃなくて自分と同じ人間なんだってことを、前よりは信じられそうな気がする。

しろみけさん

 ガナってる。声もギターもドラムのノリも、オープニングの“春よ来い”からガナってる。日本語でロックをやってみるのは、いわば旧来の価値観の外へガナることだったのかもしれない。均整からの逸脱を狙いすました4人の青年たちによる、用意周到な挑戦の様子がここには克明に記録されている。
 この挑戦が大きな成功を収めたことは、もはや言うまでもない。4人の挑戦は日本のポピュラー音楽における正史として扱われ、その仕事は無意識のうちに後世へと影響を与えすぎている。歴史の始まりは、案外誰かのガナりだったりするのかもしれない。

談合坂

 歴史的な位置付けを何も頭に入れずに聴いていると、’アメリカ’というオーセンティシティの根深さを感じる。日本語ロック/ポップスが溢れる今日しか経験していない身ではこの作品の「強さ」を正確に感じ取れていないかも、と感じるのは悔しくも嬉しくもあり。

 1曲目「春よ来い」の終盤、エイトビートにリズムが切り替わり「春よ来い」という叫びとペンタトニックスケールをギターがなぞったあの瞬間に「日本のロック」は始まった。ひどく個人的な歌がビートルズやボブディラン、the Band、Buffalo Springfieldが作り上げたロックのマナーの上で鳴って録音された瞬間が切り取られている。はっぴいえんどの評価はそのメンバーが後に日本のポップスに多大なる影響を与えたことにも起因するのだろうが、やはりバンド形態で起きるプリミティブな情動をこれ以上ない形で残したからこその評価であることは間違いない。「敵タナトスを想起せよ!」でここまでバタバタとドラムが躍動してたんだ、みたいなシンプルな気づきが毎回あるのも不思議です。

毎句八東

 私にとって、衝動を歌詞に隠し、まとまった音楽を確立していたイメージのはっぴいえんど。しかし1枚目の今作は、鈴木茂のファズの効いたブルージーなギターに魂を託しつつ、実験的なビートルズのふりをしつつ、性急なブルースを演りつつ、、曲調、そして内容からも若者特有の尖りを感じさせる一作。
 自身の選んだ旅路に沿ってそのままに生きようとする反面、悲しさ、苛立ちなど負の感情を内包した歌詞も目立つ。ただ、我を持ち前を向こうとしている心意気はアルバムで一貫したものを感じる。このアティテュードは、一聴すると無機質だが、やがて少し拍子抜けた声色が自然に感じる彼らのコーラスワークにも現れているような。

みせざき

 「春よ来い」なんかはたまに聞いたりしてました。「風街ろまん」よりも全体的によりアグレッシブな雰囲気で、鈴木さんのギターもすごく光ってますね。冒頭のファジーなギターでかましてくる感じもほんと最高です。「あやか市の動物園」などのリフなんかもすごいいい音出してて、いらいらの独特なファズトーンも好きですね。また全体的に変化に富んだ楽曲群が多くて曲ごとの雰囲気の差がうまく切り分けられている感じがしました。

和田はるくに

 大滝詠一とか細野晴臣の昔の話なんか読んでいると、つくづくロックンロールってのは中産階級以上の人間の娯楽だよな、という感想をもつこともあったが、このアルバムには他のライターも書いているように、ピリピリ感がある。音楽で名を残したい男たちの排水の陣だ。それから、そこまで覚悟決めてるならお正月のことは歌にはしないだろう。これも昭和的な価値観だ。次作の風街ろまんには、それを乗り越えた、いつまでも続く普遍性があり、その違いが面白い。やはりこのアルバムはブイブイ決めてんね。

渡田

「しんしんしん」がとても好き。
聴いているだけで情景が思い浮かんでくるという点で、風街ロマンと通じる気がしました。
 頼りない我が身や世の中を嘆く歌詞が多い割に、曲自体が軽快だからか、その後ろ向きな歌詞も決して深刻な叫びではなく、能天気なものに聴こえる。だらしない自分を自虐したり、社会に対して文句を言ったりしながら、心の奥ではいつかは何とかなるとだろうと思っている頭の良い大学生を見てるような気分。彼らの場合その後本当に何とかなってしまうし。こういったところからは昔の大衆小説に出てくるような、飄々として、楽観的で、それでいてロマンチストな主人公に覚える痛快さがある
 またアルバム後半では、他の曲と異なり皮肉を感じさせない正直な歌詞の曲が聴けるのも気分が良かった。

次回予告

次回は、はっぴいえんど『風街ろまん』を扱います。

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