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鈴木慶一とムーンライダース『火の玉ボーイ』(1976)

アルバム情報

アーティスト: 鈴木慶一とムーンライダース
リリース日: 1976/1/25
レーベル: エレクトラ / ワーナー・パイオニア
「50年の邦楽ベスト100」における順位は18位でした。

メンバーの感想

The End End

 これも『BAND WAGON』と同じくリマスターなんじゃないか?と感じたけど、どうなんだろう。CDとレコードどっちの音を配信しているかは流石にどちらも買わないとわからないか…
 これはビーチボーイズをしっかり聴く前に敢えて言って残しておこうと思うのだけど、はちみつぱいもこれも、"ぼくの思うビーチボーイズ"って感じがする。だから大瀧の顔が浮かんでしまう。いや、ビーチボーイズ全然知らないんですけど。
 『泰安洋行』と比較するなら、全体的にツルっとしたサウンドに思う。おそらくエコーの有無やかけ方の差なんじゃないだろうか。ウォールオブサウンド的でもあるけど、フレンチポップスも感じるエコーでした。

桜子

 楽しくて、大人っぽい。
 垢抜けてて、いなたさを感じない。
 管楽器とかストリングスが、オシャレな雰囲気の楽曲に絡んできて、ラグジュアリーな要素を演出してるように思います。私的には大瀧詠一っぽさを感じる。

湘南ギャル

 聴いててずっと楽しい。いろんなジャンルや要素の上を軽やかに反復横跳びしている感じ。あれ面白そう!これもやりたい!あれも使ってみたい!って、わきゃわきゃしながら作ってたんじゃないかと思う。そのパッションを全曲から感じるから、曲の質感さえ違えどアルバムとしての統一感が失われていない。音楽は楽しいからやるの!と、心の中のホリエモンも大頷き。

しろみけさん

 掴みどころが多い。楽曲の一つ一つが別の恋人に宛てられた手紙のようであり、鈴木慶一の声色も同じように表情を変えている。「スカンピン」の丸いアンニュイな声、「火の玉ボーイ」のこぶしが利いたシャウト、「午後のレディ」のシャンソン風味、「魅惑の港」の清涼感溢れるコーラス。掴みどころがない声という形容はままあるものの、その表情の多彩さは逆に掴みどころが多すぎて補足できない魅力があるなと感じた。

談合坂

 豪華。良い石が使われているビルの内装とか、硬く閉まる高級車のドアみたいに、根本がしっかりしているからこそ感じられる感触のような。それと、すべての演奏者が平等にくっきりと前景に在るような印象がある。しっかりお腹を空かせてから聴きに来るのがいいと思う。

 大瀧詠一との同時代性。洗練された西洋的なコード進行と都会的なものにまだ浮き足立っちゃう少しの情けなさ。和製ポップミュージックとしか言いようがないようなそれ。この「苦しいけれど苦しみが幸せに向かいそうな幸福感」っていうのは日本がまだ元気だった時代の音楽だと感じる。

みせざき

 昔の日本の下町の無邪気な家庭的な雰囲気を感じさせますが、それでも全体的に古臭くもないサウンドで、エバーグリーンな魅力のある作品だなと思いました。恋に破れたという言葉が一曲目と二曲目の両方に出てきて、両方ともどちらかというと悲壮感を感じさせますが、二曲ともまた全然違った様子で、ボーカルも二面性をもった表現なのもまた面白かったです。「午後のレディ」のボーカルもまた別のしっとりさを感じさせる声で、鈴木慶一のボーカルの表現力の多様さも作品全体で感じられるなと思いました。

和田はるくに

 はちみつぱい時代のアルバムと被りもあるが、比較してみると座って聴くところから立って聞くアルバムになったような気がする。もしくはドライブでもしながら、くっちゃべりながら聞きたい。
 かと言ってよくある、お菓子が小さくなって再リリースされたときの「食べやすいサイズ!親しみやすくなって再登場!」的な意味合いではない。
 スカンピンみたいな、はちみつぱい時代みたいな苦しさが伝わってくる曲もあるが、以後の彼らのキャリアに見られるような、目線がぐっと上がった、映画的な曲、歌詞が増えてくる。カフェみたいな雑踏に合いそうな、BGMになったような気がする。ここからだ、思わず引き込まれるような気迫を彼らが放ち始めるのは。

渡田

 明るい曲ばかりではないけれど、どの曲も孤独感を感じなかった。
 それぞれの楽器が主張してくる構成や、あるいは歌詞をよく聴くと、文章の主体が自分「達」であることがそう思わせたのかもしれない。
 不思議なのはそれぞれの曲のジャンルが異なるのにアルバムとしては統一感を覚えたこと。それだけボーカルの声が印象的だったからか。

次回予告

次回は、RCサクセション『シングル・マン』を扱います。

#或る歴史或る耳
#音楽
#アルバムレビュー
#鈴木慶一とムーンライダース


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