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Byrds『Sweetheart of the Rodeo』(1968)

アルバム情報

アーティスト: The Byrds
リリース日: 1968/8/30
レーベル: Columbia(US)
「『歴代最高のアルバム』500選(2020年版)」における順位は274位でした。

メンバーの感想

The End End

 フォークとカントリーが兄弟のような、いや、元々一つの存在だったのだということを強く感じさせられるアルバムだという印象。『Mr. Tambourine Man』と比較すると、フォーク/カントリーは非常に似通った音楽でありながら、決定的に異なるものであるということがハッキリわかると思う。
 マッカーシズムの中で槍玉にあがった"フォーク"は、その原因となった左派的なアティテュードをむしろ背負うようにして発展を続けたわけだけど、そんな"現状を変える/超える"志向が当時のロックと結びついたことには非常に納得がいく。
 一方のカントリーは右派的なアティテュードに立脚しつつ、大衆に親しまれるにあたって"政治的に右派的である"こと以上に"現状を肯定する"ことと"明るい未来を無条件に信じる"こと、という形にそれを希釈して成立してきたもののように感じる。
 そう考えると、このアルバムにおいてカントリーとロックが合流したと言われているけれど、それって、ロックが権威性を帯びてきていることを示しているとも言えるかもしれない。
 "政治的な意図のためにある文化が祭り上げられる"という動きは、『万葉集』を"国民歌集"として掬い上げた明治政府の動きと酷似している。既に存在しているものを"実は我々はずっとこれに立脚して暮らしてきた伝統があるんですよ"という論理でフックアップする動きは他にも様々な国で見られると思うし、もっと抽象化すればはっぴいえんど史観なんかとも通ずる構造を持っていると思う。
 そんな中でフォーク/カントリーに特徴的なのは、"切り捨てられた側"であるところのフォークが敢えてそれを背負いこむことで生きながらえたことにあるのではないか。被せる表象/イメージの違いだけで、よく似た構造の音楽がこんなにも違って聴こえるのだと思うと非常に興味深く、掘り下げがいのあるトピックだと思う。

コーメイ

 穏やかな午後に聴きたくなるアルバムであった。カントリーで構成されていたのが、大きいと思われるけれども、温かいギターの音色や見守るような優しいドラムが、この感想に対して大きく作用していた。そのため、気分を落ち着かせたいときに、聴こうとなるアルバムであろう。

桜子

 ボーカルハーモニーが気持ち良くて、懐かしく暖かい気持ちになる曲が多いと思った。ペダルスティールの音も温もりがあるし、楽しくリラックスできるものが多いと感じた。
 素朴と言うには少し派手かな。そんな印象。

湘南ギャル

 1stの繊細で危なげな美しさ、4thの知らない場所に飛んでいってしまうような不気味さ、そういうものが大好きだった。だが、その後のbyrdsは、落ち着きや平穏に重点を置き始めたらしい。学生時代の友達と久しぶりに会ったら、NISAの話しかしてくれなくなったような悲しさ。あの頃は朝まで飲んでたのに、今の彼らは終電の3本前で帰ってしまう。どう考えてもそれが正しい生き方で、健康になれるのはわかってるんだけど、だとしても寂しくて仕方がない。

しろみけさん

 冒頭の「You Ain't Goin' Nowhere」はボブ・ディラン作。前作もそうだったけど、「歌う人によってここまでアクが抜けるのか!」という驚きがあった。そして、さすがにカントリーの金太郎飴すぎる。分け入つても分け入つても砂埃とスティールギター……。

p.s.アルバム本編は「Nothing Was Deliverd」で終わるけど、サブスクとかで聞けるそれ以降のボーナストラックの方が遥かに良かった。パコパコのギターから始まる「You Got a Reputation」なんてスライの原型みたいだし、「Pretty Polly」のインディアンな曲調にカントリーの楽器ぶつけるのとかアイデア◎

談合坂

 いろいろな音楽が参照される対象として定着しきった今の時代にこのカントリーを聞いても、私にはゆるキャン△しか浮かんでこない……当時からしても理想郷的な性質を帯びていたのではないかと想像するけど、これが原点として誕生したときのことを想像してみようとすると尚更難しい。でも、決して奇特なものを持ち出しているわけではないのに、音楽のスタイルだけではなく雰囲気まで一作で確立しているって考えるとすごい。

 カントリーロックの名盤だという。土着的な音楽をどこまで普遍的な地点まで押し上げるか、という意味でこのアルバムの功績が量れる。ボブディランのように個人の内省が脳裏に立ち現れるというよりも、アメリカのでっかい景色と乾いた風が頭に浮かぶ。そういう意味でやはり"カントリー"なのだろう。

みせざき

 バンドサウンドとして聴けるカントリーというので凄くとっつき易い印象を与える。ロックというよりはポップスとしてどの曲もしっかり完成されているイメージがある。
 ギターが良い、一つ一つのフレーズが出来すぎていると思うような緻密なフレーズで構成されている。
 確かに今までのバーズの趣向にこういう到達点が出来たのは恣意的に感じられながらも偶然性も感じさせられるものなのだと思う。

六月

 一気に作風変わりすぎでワロタ。しかも調べてみるといきなり新メンバーに入ったGram Parsonsがバンドを支配して作ったあと嵐が過ぎ去るようにバンドを辞めただとか、内容もほとんどカバー集みたいな塩梅(オリジナルが二曲ほどしかない)で、偶然"カントリー・ロック"というジャンルを作ってしまったから名盤とはされているものの、その実態は"怪盤"などと称されるような変な雰囲気が作品に漂っているように思う。
 The Bandと比較すると、こっちのアルバムの方がルーツである音が明確なのだけれど、でもあまりに衒いもなくその音楽をやってしまっているので、どうなのだろうとも思ってくる。前述したGram Parsonsの作曲した二曲、とりわけ「One Hundred Years from Now」とかはとてもいいなと思うんだけれども、それ以外はちょっとあまりにも匂いがキツすぎて、なんだかこの音楽から離れたい思いにかられてしまった。今現在のいわゆるカントリーやら白人たちによる保守的な文化の向かう理想郷としての"アメリカ"なるもの、その虚像の始まりを垣間見たような気分。

和田醉象

 驚いた。Byrdsのこういう一面を知らなかったから。まるでいつも通る道に知らない抜け道を見つけたみたいな感じ。
 さてその抜け道の先なんだけど、エレキカントリーという感じ。こういう音楽を聴いたことも評したこともないから捉えるのが難しいんだけど、酒場で語らっているだけなのに話が広がって、世界中昼夜旅しているような気分になる。歌詞もろくにわからないのに、険しい山や広大な海原、危ない湿地帯に汗臭いジャングルまで全てを見た。そんな気分。最後「Nothing Wad Delivered」でハワイアンになるのも面白かった。
 気になって初期アルバムを聴き返してみたけど、うーん全くの別バンド。音楽性が発展したとかじゃなくて鞍替えした感じがすごい。でもこのアルバムのほうが楽しそうにやってるなあ。

渡田

 聴いているとなんだか永久にこの曲が終わらないような感じがしてくる。
 歌われる内容は日常的だけれど、その背景に現れている舞台、自然のスケールは大きい。それがさながら対比になって、ますます広大さを感じさせる。カントリーとは広大な平野に根付いた文化なんだろう。

次回予告

次回は、Jimi Hendrix Experience『Electric Ladyland』を扱います。

#或る歴史或る耳
#音楽
#アルバムレビュー


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