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佐野元春『VISITORS』(1984)

アルバム情報

アーティスト: 佐野元春
リリース日: 1984/5/21
レーベル: EPIC(日本)
「50年の邦楽ベスト100」における順位は28位でした。

メンバーの感想

The End End

 この企画では初めて80年代だ!!ってなった。この音、今までの人たちは出してなかった。PCM音源の到来?フェアライトとか、シンクラヴィアとか、そういった類の音がする…例えば細野の『S-F-X』を聴くと、何のことを言ってるのか分かるはず。(私は細野晴臣の歴史しか知らないので、事あるごとに細野と結びつけてしまうのは許してください。笑)1/0、あるいはグリッドというルールでポップスが作られる時代が来たね…
 「これは正しい?それとも正しくはない?」という歌詞が、良いなあと思った。全体的に"でも、せめてさ…"という気持ちを感じて、たまらない。
 あとは、「TONIGHT」とかのこの感じ、ここまでの企画を通ってこなかったらダサいとしか思えなかったかもな。こういうの聴けるようになって嬉しい!

桜子

 勝手に正統派の歌ものの人、みたいなイメージを抱いていたので、言葉数詰めて割とヒップホップみたいな事してる曲を聴いて、この時代でそういう事やってたんだ、と驚きました!
 そしてストレンジポップなアルバムだなあと思いました。明るくて聴きやすいポップスの範囲内にいるんだけど、ちゃんと捻って作っててカッコいい。

俊介

 今聴くといなたいけど、当時はめちゃくちゃ革新的だったのか!とネットのレビューを聴いてて思う。
 ヒップホップ自体が黎明期だった時代に、ここまでラップのメソッドとJPOPを掛け合わせるセンスに脱帽、、!

湘南ギャル

 この企画が無かったら、佐野元春を聴かずに人生を終えていたかもしれない。危ないところだった。誤解を生みそうな書き方になるけど、このヘンテコさは癖になる。チャカカーンとか、ダイアナロスとか、ザ!80年代!みたいなサウンドが結構苦手なのに、なんでこのアルバムは好きになれたんだろう。それを考えた時に、やっぱりヘンテコさってのが肝になる気がしている。
 Apple Musicの説明には「独自の言語感覚によるラップを見せた」とある。独自の言語感覚に異論はない。だって、誰が「たとえば/チャーミン/グな会/話だとか/メイクアッ/プをした/恋なら/欲しくな/い」で節を区切る?メイクアップの”プ”を1拍目に持ってくるな。そもそも発音しなくても行ける音だろ。マジで最高。
 でも、「ラップを見せた」の方には素直に頷けない。ほとんどの曲には、コーラスともまた違う、メインのハモリみたいな人がいる。ということは、歌詞にどういう音程を付けるかってのが、明確に定められているはず。今でこそメロディが明確なヒップホップも多いけど、このアルバムが生まれたのは84年だ。
 じゃあスタンダードにJ-POPなのか?と言われると、それもまた頷きかねる。きっと、これについては説明するより聞いてもらった方が早い。この明らかにヘンテコなイントネーションに、戸惑いを隠せないはずだ。一回聞いてすぐに歌えるような親しみやすさなら、ここには存在しない。 そう。これは、ヒップホップでもJ-POPでもない。”MOTOHARU”をご存知か?

しろみけさん

 口にせざるを得ない人。渡米した自分を『VISITORS』と形容したり、NYで流れてた音楽を即座に取り込んだり、自らを歴史化することに躊躇がない。人によっては卑しく、粋じゃないように見えるかもしれない。ただ、自らのもがく姿を「スターの苦悩」としてパッケージングしてしまうショービズ精神の中にだって、諧謔に阿らない美しさがあるはずだろう。Wit a Attitudeの人として、歴史から逃げない人。歴史との距離をここまで詰めれる人も中々いない。

談合坂

 なんだか回りくどいけど、それでいてくっきりした(日本の)ポップスに仕上がっているのが気持ちいい。行儀の良いポップの形を留めたままでここまでビートの音楽をやってるのはこれまで聴いてきた中でも初めてなんじゃないか。
 小さいころ、2000年代前半くらいに見ていた太陽の輝きって今とは少し違うものだったように記憶しているけど、このアルバムを聴いていてそれがふと蘇ってきた。かなり私の知っている感覚に近付いてきている。

 洒落てるな、という言葉がパッと浮かんだ。1曲目からエレピや金管楽器のさりげなさが楽曲に確かな説得力を与えていて、抜かりないアーティストだという印象を持った。その抜かりなさはどこかアーティストと楽曲の距離感を生んでいて、その距離感は「VISITORS」という自身を客体化したタイトルにも繋がっているのではないか。全編を通してマイケル・ジャクソンとTMネットワークを繋げるように楽曲が展開していて、80年代サウンドを象徴する1枚としてカウントしたい。

みせざき

 ただの歌謡曲に終わらない、という強い意志を感じました。触発となったニューヨークのサウンドというのは自分には直接的には分からないですが、明るさ、と言っても軽快なメロディ、ビートの中にもファンキーさ、異質さがあり、まさにプリンスのようだと思いました。ソウルフルなビートの曲にも合う佐野元春の声、というのが体現されていました。

和田はるくに

 これまで聞いてきた中で一番の守備範囲外。
 率直な感想を言うと、声重ねたり、歌詞に結構気を使っている印象の割に結構言葉が聞き取りづらい。歌いやすく覚えやすいメロディーラインなのにそこが違和感。
 逆にそこが聞きやすさに繋がってきている気がする。歌わせることを強制していないというか。知らず知らずのうちに何度も聞いてしまって、マイベストに入れてしまう人が多いのでは?

渡田

 溜めのないサビ、落ち着いた声色でとても聴きやすいポップソング。
 少し不思議なのは、改めてこの音楽をジャンル分けしようとするとどうにもしっくり来ないこと。アルバムとして完成しているように思ったけれど、これがどの時代の、どの地域の音楽から影響を受けているのかよく分からない。ポップであるとは思うのだけれど…この企画で聴いてきたポップといえば大瀧詠一や山下達郎らによるシティポップだったから、少なくともそれらとは異質のものだと思う。
 その主張の激しくない声と曲調でありながら、陽気にまとまっていて、そういう節操ある溌剌さが、このアルバムを上品に仕上げていると感じた。

次回予告

次回は、戸川純『玉姫様』を扱います。

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