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cero『Obscure Ride』(2015)

アルバム情報

アーティスト: cero
リリース日: 2015/5/27
レーベル: カクバリズム
「50年の邦楽ベスト100」における順位は35位でした。

メンバーの感想

The End End

 母に連れられて行ったceroとペトロールズと Original Loveのスリーマンが、16歳だった私の聴く音楽をガラッと変えてしまったんですよ。あの頃は、ceroとペトロールズとD.A.N.を好きな自分は最高にイカしてると思ってました(照)
 "リズム"あるいは"グルーヴ"というものを分からないなりに考えるようになったきっかけのアルバムかも。それまでもPerfumeやサカナクションやダフト・パンクを通じてリズムにプライオリティが置かれた音楽は聴いていたのだけど、グリッドでは表せない揺らぎやズレというものの存在を意識するようになったのは、確実にこれがきっかけ。
 そして、この中で起こっていることの正体を少しずつ分かるようになることで、自分の成長を確認して過ごしてきた気がする。演奏が上達したり耳コピが苦手じゃなくなったり、色々な楽器の構造や音作りの手法、コードやスケールを分からないなりに勉強したり…その度に、このアルバムが"聴こえる"ようになるのが嬉しかった。
 最新作『e o』もそうだけど、細部の凄さが分からなくても"なんだか心地良い"と思えることが、ceroに対する厚い支持の正体なのかもしれない。"一聴して良い"を担保しながら"噛めば噛むほど良い"への道筋をそれとなく示してくれているから、尻込みせずに聴き続けられたのだと思う。その点で、聴く音楽の種類だけでなく、聴取の態度においても、現在の私を作っている作品の一つです。本当にありがとうございます。

桜子

 すみませんなぜ私は今までこの作品を聴いてきませんでしたか⁉️⁉️⁉️‼️これは最高の作品です‼️
 歩きながらこれを聴いて、踊りながら帰るの最高すぎる‼️本当にベードラが(も)カッコ良すぎる!ベース、始めてみようかな...
 私にネオソウルを教えてくれたアルバムがこれになるかもしれない...!本当に大好きになってしまいました!

俊介

 日本語でソウル、ヒップホップをやる上でこれが最適解だとobscure rideが教えてくれる。
 土着した音楽の中に日本の風景を見出す力を感じる。はっぴいえんどみたいなかんじ。
 海外のリスナーが聞く時、果たしてこのアルバムにどんな景色みるんだ。

湘南ギャル

 ディズニーは好きですか?私は、テーマパークに行けばその時間は楽しい気持ちですごせるし、キャラクターたちは可愛らしいと感じます。プラス寄りかマイナス寄りかで言ったら断然プラスです。好きと言っても嘘にはならないでしょう。それでも、世間の人が言う”ディズニーが好き”は、私の”ディズニーが好き”を越えた遥か向こう側にあります。絶対的な評価ではプラス寄りに思えた私のディズニーへの好意ですが、相対的に見た途端、マイナスの域に差し掛かっているようにも見えます。人々が持つディズニーへの好意の平均値が高すぎるあまりに、「私はディズニーを嫌いだと思ったことはないけれど、客観的に見ると嫌いと言えるのではないか」という疑念が生まれます。
 ディズニーと同じ系統のもので言えば、私はスヌーピーが大好きです。キャラクターの名前はよく知っているし、ぬいぐるみやキーホルダーがいくつも部屋に並んでいます。絶対評価でも相対評価でも、私のスヌーピーへの好意が揺らぐことはないでしょう。もしキャラクターに費やせる時間やお金が無尽蔵に手に入った場合、私はそのすべてをスヌーピーに捧げるでしょう。
 長々と要領のない話をしてしまい、申し訳ありません。でも、私にとってのceroは、あまりにもディズニーと同じなんです。

しろみけさん

 これまでこの企画で聞くことがなかった、アグレッシブな黒い塊が前傾姿勢で迫ってくる。もっと角が取れていて、それこそシティポップと呼ばれるような音楽に成形することもできただろうけど、あえてネバネバでブツブツしたものへと向かっていった過程が、そのビートから伺える。徹頭徹尾、ドラムの音を聞かせるためのアルバムであるようだ。だからこそ、ゆったりと楽しめる曲よりも、「Elephant Ghost」や「Wayang Park Banquet」といったアッパーチューンが、このアルバムの美点を味わえるように感じた。その上に乗るボーカルが、歌唱とフローの中間で縦横無尽に跳ねる様も、どこかスリリングで楽しい。

談合坂

 異様な完成度の高さみたいな、優等生っぽさを感じるのも一面にはあるけれど、それでもこれはここにしかない音楽なのだという圧倒的な主張のもとで説得されてしまう。穏やかさに似た装いのなかでも、責め立てるようにビートを刻むドラムを中心に抑えきれないエネルギーを感じて身体が動くことを余儀なくされる。

 こういう言い方が正しいかは分からないが、「Obscure Ride」は意外と軽く聴けてしまう。7thを多用したカッティングやドラム以外の打楽器を多用したリズムセクションに身体を委ね、お酒片手にゆらゆら歩きクロノスタシスについて語り合うのも良いだろう。その中に例えばディアンジェロ的なグルーブ、細野晴臣が積み上げたエキゾチックさと日本語のバランス…といったceroの思想的/肉体的なルーツを忍ばせることで何10回もの聴取に耐え得る、深度のある作品として成立している。個人的にはコンセプチュアルな「My Lost City」や徹底して肉体がどう動くかにフォーカスした「Poly Life Multi Soul」の方が好きです。

みせざき

 冒頭が特にVoodooみたいで、ディアンジェロのような雰囲気のR&Bの中でも心地よい空間性を感じさせるサウンドだと思いました。ネオソウルぽさの中にもアクの強さはあまり感じず、自然体でいられるようなそんな気分にさせられるアルバムだと思いました。特に日本の夏景色のようなノスタルジックさをふと想起させられる、定期的に聴きたくなる一枚になりそうな気がします。

和田醉象

 演奏自体は名の通りobscure、ジャケットに載っているような年齢層の人がやらなさそうな、落ち着いたボサノバって感じなんだけどそこに歌というよりもノッているリリックが載る。好きになれない…
 ここには確かに自分の好きな肉体性や、落ち着く感じの余白、余裕があるんだけど、ボーカルの存在のせいでかなり落ち着かない。これが女性ボーカルだったら割りと問題ないんだけど。
 ここまで書いて、「Narcolepsy Driver」の歌詞をちゃんと見ながら「実は男1人分の空間しか余白がないからキツイのではないか」と思った。男が疲れて休みたいとか、遊びたいとか、有象無象の思いについて書かれており、かなり主観性が近く、なんかあまり入れ込んだり、解釈の余地があまりないのが個人的に苦しい、と感じたのではないかと。
 これに気づいて、割と自分が歌詞に意識をおいて聞いていたことに驚きつつ、こういう狭い歌詞をどうしたものかと考える…

渡田

 基本的なバンドの楽器に加えて、ホーンの音や穏やかでメロディアスなピアノの音、それらをパーカッションが細かく彩る様から、全体としてはR&Bやジャズの雰囲気を感じる。一方で、短い言葉を繋いでいくような歌詞、地声に近い歌い方などからはヒップホップやラップらしさを感じた。
 この企画でヒップホップ、ラップといったジャンルは何度か聴いてきたが、それらよりはずっと聴きやすい。様々なブラックミュージックの尖った部分が、ceroらしさとして丁寧に再解釈された結果、聴きやすい音楽になっているのかとも思う。

次回予告

次回は、星野源『YELLOW DANCER』を扱います。

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