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竹内まりや『VARIETY』(1984)

アルバム情報

アーティスト: 竹内まりや
リリース日: 1984/4/25
レーベル: MOON(日本)
「50年の邦楽ベスト100」における順位は97位でした。

メンバーの感想

The End End

 あ、相容れない…「ふたりはステディ」の歌詞で流石にひっくり返ってしまった、この夫婦、ちょっと陽キャすぎる、、、
 山下達郎のソロ作品と比べるのが適切かは分からないけど、リバーブの質感が違う。透き通ってどこまでも抜けていく感じじゃなくて、少しくぐもった質感。楽器の音もパキパキしてないし、重心が下がって聴こえる。
 後半はスッキリした楽曲も増えてくるものの全体的に結構野暮ったいムードのバラードが多くて、「プラスティック・ラブ」はむしろこの中じゃ異分子だなあとも感じた。全く存じ上げないが、この人のアルバム、もっと良いものがあるのでは…?

桜子

 華があるなぁと思う。佇まいに余裕があり品もある。
 私が生まれてきてから体感した事のない、景気の良さがパッケージされていて、シティポップとは、あの頃への憧れのような、夢を見させてくれる幻想だなあと思ったり。

俊介

 シティポップリバイバルの全盛期直前、プラスティックラブを1度聴いたのみで、それ以降聞き返すことがなかった!
 久々にきいてみると、音が広くて華やかで、ナイアガラサウンズよろしくのゴージャスな音像には、当時感じてたクローズドで質素な感覚は全くなかった。
 シティポップが再評価される前、自分と同じ若い世代に認知されてなかった時期に聴いたから、夜、古い名盤をひとり部屋の中で聴いたときのように、自分と外が隔絶された孤独みたいなのを当時は感じて、そこにすごいクローズドな印象を感じたのかと思う。
 でも、作品に改めて日が当たった今現在に聴いてみると、そこに翳りはなくて素晴らしく華やか。
 自分と、ムーブメントと、音楽の距離感によって聴こえ方がかわるのに気づいたのもこの作品からだし、時代からの評価と時間の振るいにかけられてなお残り続ける名盤の魅力を再確認!

湘南ギャル

 まともに原曲を聴かぬまま、君は天然色を食わず嫌いしていたように、プラスチックラブのことも苦手だった。大滝詠一とは和解できたことだし、竹内まりやだって、ちゃんと聴けば好きになれるはずだ。なんか世界から評価されてるらしいし。結論から言うと、甘い目論みだった。ただnot for meなだけなんだろう。本気で恋愛してる曲も、本気でカッコつけてる曲も、私は好きだ。でも竹内、お前本気で恋しとるか?悲恋をしちゃって切ないアタクシ🥺について話したいだけちゃうか?失恋にアルコールは入ってないぞ! こんなこと言ってもきっと、竹内まりやは美しい涙を流し、静かにこちらを見つめるだけだろう。わかったわかった、私が悪者です。大変申し訳ございませんでした。

しろみけさん

 ロックンロール観の合流。明快な頭打ちのドラムパターンの「もう一度」だったり、ハードロック調の「アンフィシアターの夜」だったり、シンプルなロックチューンが並んでいる。「プラスチック・ラブ」みたいなのを求めてレコードを買うと、少し肩透かしを食らうかもしれない。プロデューサーを務めた山下達郎はロックンロールへの憧憬を折に触れて言っているのだが、それが最も分かりやすい形で現れたアルバムだと思う。というより、大衆の感じるロックと山下達郎の考えるロックの最大公約数が『VARIETY』なのかもしれない。竹内まりやが比較的素直なコードワークを使いがちだからこそロックンロールっぽさが前景化した、とも考えられる。

談合坂

 テレビやラジオにしろ、家族が借りてきたベストアルバムにしろ、竹内まりやの曲は小さい頃から何かと耳にすることが多かったのを思い出す。「マージ―ビートで唄わせて」をよく聴いていたような……?とにかく、何も分からないなりになんとなく’好きなJ-POP’として触れていた。今改めて聴いてみるとやっぱり仕上げがポップだな〜と思う。なぜかその頃は「プラスティック・ラブ」には’出会って’いなくて、再会?したのは高校生の頃、例のサムネイルだった。
 そんなことをいろいろ思い起こしながらアルバムを聴いていると、自分の聴き方のほうがMDコンポで聴いていた頃とはずいぶん変わってきたんだなと感じる。私は今、プラスティック・ラブが素直に好きなので……

 こないだ新宿歌舞伎タワーという新設の商業施設に訪れた。行けば分かるのだけどクールジャパンやネオトーキョーみたいな概念を薄っぺらく固めたような施設で、それはそれは醜悪な体験だった。そして飲食ゾーンの中心にはDJセットが置かれていて、ディスクジョッキーが竹内まりやの「プラスティック・ラブ」が流れていた。楽曲に罪はないが、日本語と英単語を混ぜる瀟洒さはかなりささくれ立つというか、イヤだなと思った。

みせざき

 まさにシティポップの模範例と言えるような、全ての要素が綺麗に折り重なって作り上げられた楽曲が並んでいました。英語の発音ですらミス一つ無いかのような完璧なものだし、ポップスとして全てが完成されています。中にはブルースやロック調の楽曲もあるが、あくまでシティポップの枠にはみ出さないレベルでパッケージされている印象。山下達郎もそうだが、ここまで付け入る隙が無いような音楽は逆に近寄り難く感じてしまう。ここまで張った声で理想的な恋愛を歌われるともはや萎縮してしまう、、

和田はるくに

 こういうアルバムとの出会いをこの企画に期待していたのかもしれない。
 俺が干からびた大地というならば、これはそんな無慈悲な太陽から身を挺して恵んでくれる雨雲だ。こんなにじっくり作品を聴き、向き合ったのものも久しぶりかもしれない
 オールディーズのポップスみたいな輝かしさもありつつ、ヤマタツ的サウンドスケープ、タイトル通りかなりバラエティ富んだ選曲(とは言えアルバムとしての統一感は損なわれていない)でずっと聞いていても飽きない。
 どうしても「プラスティック・ラブ」ばかりが取沙汰される昨今かもしれない(キラーチェーンという観点で見れば特別だからなのかもしれない)けど、そればかりと付き合うのはつかれるし、アルバムトータルでずっと居たくなる自室のような心地よさを感じた。

渡田

 作り手に対して、共感よりも憧れを抱くアルバム。
 傷心の歌詞がオフビートで流れているにも関わらず、深刻さはなく、きらびやかな雰囲気が全編に渡っていた。
 それも、そのやや後ろ向きな歌詞の背後のメロディが丁寧に編曲されていたからだと思う。凝られた楽器の配置は、心が追い詰められた状態で発揮させられるものにはとても思えず、既に自分のスタイルを自覚している人が、自信を持ってその実力を発揮しているような、上品で余裕あるまとまりがあった。
 歌詞の悲しみへの共感はなく、きらびやかな街で複雑な経験をすることへの憧れを抱かせた。

次回予告

次回は、ザ・ブルーハーツ『THE BLUE HEARTS』を扱います。

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