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ゆらゆら帝国『空洞です』(2007)

アルバム情報

アーティスト: ゆらゆら帝国
リリース日: 2007/10/10
レーベル: SONY(日本)
「50年の邦楽ベスト100」における順位は4位でした。

メンバーの感想

The End End

 だーいすき。だーいすきです。かなり頻繁にお世話になってます。
 私の作った曲を聴いたインターネットの知り合いが“やり過ぎなさをやり過ぎている”と言ってくれたことがあるのだけど、『空洞です』はその極地の一つじゃないか。“明るくもあるし暗くもある”音楽を作ることは、とても穏やかで過激だ。
 私はゆらゆら帝国が『空洞です』に至るまでの歩みを知っているわけではないし、この音像がどこからきたものかもよく知らないので、当時これを聴いた人たちがどう思って何を言っていたのかがとても気になる。時代とかシーンとかから逸脱したスタンダードとしての評価が固まって以降のこの作品しか知らないから、余計に。

桜子

 揺れるトレモロのギターの音、独特なうねりを生み出すベース、それらが波打って反復するから夢うつつな気分になる。
 身体より言葉が先行しているような歌詞が連れて行ってくれる世界を知れます。

俊介

 小学六年生の春、2014年7月10日のサカナlocks山口保幸監督との対談会にて触れられていた、「夜行性の生き物3匹」を聴いて以来人生がおかしくなり、小学校の卒業文集で林間学校について書いた際には「学校へいってきます」の一節をそのまま書き写し担任から大目玉を食らったこともあった。当時全盛期だったmusic fmという古今東西の音楽をアーカイブした違法音楽アプリを駆使し、同年代よりもいち早く法に触れたガキになりつつ、インディーズ時代の作品も聴いてみたり思い出は多々。
 思い出と裏腹に、改めて「空洞です」を聴いてみても強い印象を特に抱くわけでもないし、なんなら他のアルバムより少し影が薄いんではないかとすら思う。
 他のアルバムと比較して持ち上げられる度に、自分の「分からないコンプレックス」が頭をもたげるが、もはやなにも気にしない。タイトルが「空洞です」だし。あの飄々として、すべてをさらけ出したニヒリズムのミニマリズムは簡単に分かりたくない。
 ゆらゆら帝国おめでとう、四畳一間で聴く、いつもの曲、僕にとって新鮮味がないことが、成功の証だと思う。

湘南ギャル

 Apple純正のイヤホンを卒業した時、自分のお気に入りを改めて聞き直した。一番衝撃を受けたのはこのアルバムだった。拍を刻む音たちは確かに揺れていて、その残像がはっきり見えた。
 あまりにこの作品が好きなので、本当はこれ以上何も書きたくない。感想が言葉になった瞬間、それは持ち運ぶことが可能なひとつの固体になる。この作品への思いは、自分の体内で大気のように漂わせておきたいのだ。とはいえ、この企画に自分の意思で参加した以上、その態度は逃げでしかない。
 サックスの話なら、割とやりやすいかもしれない。クラシックでないジャンルでサックスが目立ちたい時、手っ取り早い方法は、張ったバキバキのデカい音で速弾き(速吹き?)をしハイトーンを出すことだ。華やかだし、わかりやすい。でも、このアルバムのサックスは、そういった楽をしない。声色やイントネーションを変えるくらいの気軽さで表情をコロコロと変え、様々な表情を見せる。実際は、滑らかに音の質感をコントロールするのは簡単なことじゃないし、小さい音を響かせるのは大きい音を響かせる何倍も難しい。動きのないフレーズは音の良し悪しを浮き彫りにし、低い音は高い音以上に体力を持っていかれる。でも、そんなことを考える隙を与えない自然さで、簡単そうに事をこなす。楽器と身体が一体化してるとしか思えない演奏をする人がたまにいるけれど、このアルバムのサックス奏者もその一人だ。勉強のためにずっと聴いていたいが、このアルバムのすべてが私の胸を締め付けるので、苦しくて叶わない。

しろみけさん

 執拗なループは身体らしくなさを付与する。アシッドハウスなどにそれは顕著で、そこには死がなく、もちろん生の実感もなく、いつしかそれが死であるように感じられてくる。変化のない毎日が辛い、などはそのライトな例だ。さしずめ“肉体がない/だがまだ死んだわけではない“(「やさしい動物」)といったところか。
 では、ループの中で生きるとは?ここで前半の3曲などで聞かれる、タイトに打ち込まれるビートに連れられながらも、トレモロによって輪郭がふやけている坂本慎太郎のギターにそれを見出したい。その秩序を異分子の素振りで掻き乱すのではなく、あくまでループの構成要素として身を置きながら、ルーズにふやけている。タイトなリズムにルーズな精神性が乗っかるから、ここは居心地がいい。だから実は、『空洞です』のサックスは、好きになれない。もっと執拗にループを感じたい。繰り返されるフレーズの一つ一つでふやけつづけることだって、十分に生だろう。

談合坂

 ここしばらくは音源として聴くのに特化したアルバムが続いていた気がするけど、これは久々にライブパフォーマンスで聴く体験をしてみたいという感想が一番に出てくるアルバムだった。
 私は粒立ちの良い音が左チャンネルで鳴っていると嬉しくなるタイプの人間で、右チャンネルに鎮座するギターを終始もどかしく思いながら聴いていたのだけど、このいつまでも留まり続ける少し息苦しい感覚こそがこの音楽から味わうべきものなのかなとも思う。

 「やる気が起きない」「歌いたいことがない」「生きる意味がわからない」…こういう「○○ない」ことを歌う作品はいくつも思い付く。「空洞です」は「○○ない」という気持ちさえ「ない」という無我の極地に行き着いている。演奏も一切の力みが無い。ギターにしろベースにしろ繰り返しを多用し、装飾といえる物は無い。まるでブラックホールみたいにこちらの緊張も力みも怒りも何もかもを無下にしてしまう。「なんとなく夢を」では彼ら自信の目指す先としての「夢」を歌っているかと思いきや、あくまで3人称の歌である。こんなに記名性のある音をしているのに、その先で読み取れる何かが欠落している。そしてこの感想を「空洞です」に投げても筒の中を通り抜けてどっか行ってしまう。

みせざき

 一聴して分かるのは、ボーカルの個性がもたらす印象がとても強い。こんな声は他のどのバンドからも聴いたことの無い、レトロさと新しさが混合した印象だ。一つ一つのフレーズ自体は難しく無いが、強いエフェクトのかかりによって浮遊感がもたらされ、独特な空間が完成されていく印象がある。この独特の怠惰さ、そして庶民派なバンドとして、日本ロックバンドの完成形の一つなのだと感じた。

和田醉象

 『空洞』は空虚な気持ちを指すのか、それとも反語的な言い回しで「胸がいっぱい過ぎて、はち切れてあとに何も残らなかった」ことを指すのかはわからないけど、少なくともネガティブな要素ばかりは感じない。
 テクニック主義的な音楽ってたくさんあるけど、演奏面だけ秀でるだけではだめだと気付かされるアルバムでもあると思う。取り沙汰されるところで「空洞ですは録音がすごい」という評はよくあるけど、それだけでもなくて、音を削ぎ落としまくった結果、間や空白がより残った音たちを立てている。無いものまで曲に組み込んでそれの完成を狙うことってなかなかに難しいと思うけど、演奏から録音、アレンジに至るまで一体でこれを出力している事自体に感動する。
 あと懐かしくもなるアルバムだ。むずかしい言葉は何一つ使われていない代わりに、こちらでも「間」や「余白」がまた大きくなっててどうとでも解釈できるんだけど、そこに自分の気持ちを埋め込もうとしたらすごく幼い頃の記憶や経験を引っ張ってきたくなる。なんか絵本読んでる気分になるんだよな。ジャケも相まって、図書館にあった謎の、一回だけ読んだ絵本を取り上げたときみたいな。みんなそれをやるから、心を掴まれて、良い評価をあげたくなる。原体験的なんだ。

渡田

 ゆらゆら帝国は「3×3×3」のみ経験済み。それと比べて今回のアルバムは、ギターの音のシンプルさに驚いた。単音によるメロディが多くて、前評判で聞いていた「スカスカ」な音楽という評価が何を指しているかすぐに分かった。
 初期の曲で感じた殺人的な爆音はないけれど、緊張感はむしろこちらのアルバムの方が強く感じた。
 スカスカな音と力の抜けた歌声によって、初見の印象は穏やかなのだけれど…。
 歌詞をよく追っていくと何か気味の悪い内容で、それに気づくと、今まで間の抜けた音だと思っていた全てが、不気味で緊張感あふれるものに感じられるようになる。

次回予告

次回は、Perfume『GAME』を扱います。

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