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PANTA & HAL『マラッカ』(1979)
アルバム情報
アーティスト: PANTA & HAL
リリース日: 1979/3/25
レーベル: フライングドッグ(日本)
「50年の邦楽ベスト100」における順位は53位でした。
メンバーの感想
The End End
『頭脳警察セカンド』を聴いておいてよかった…少なくともわたしは、そのおかげで何倍もこれに感激できる。
頭脳警察の活動はアルバムの録音が全てではなく、おそらく新しさや魅力は他のところにたくさんあるのだろうことは前提として、『頭脳警察セカンド』という作品は何にもなれていなかったように思う。それがこんな形をとるようになるんだから凄い、単純に自分の好みだというだけかもしれないが。
サウンドがどうなろうが、愚直な歌詞と愚直な歌唱、これすなわちロックじゃないですか…?“洗練されてしまった”と嘆く意見があったら理解はするけど、それでもこの作品の堅実さは表現としての説得力に与していると思う。
桜子
こんなのサイコーじゃん!!!!!!語弊があるけど、こういった歌謡曲特有の『ダサさ』、私は大好きなんです。
コッテコッテで良い。コッテコッテが良い。アダルティーな艶っぽさは幾らか感じるのに、ダサく感じるのすごい!!!
湘南ギャル
楽器隊のフレーズも、ボーカルの歌い方や歌詞も、それぞれを聴くだけだと、新奇性は感じない。でも、その組み合わせ方が面白い。かっちりとしていて少しカッコつけている、歌謡曲のような歌い方。ファンキーで遊び心のある楽器隊。一見すると噛み合わせが悪そうな二つの特性だ。でも実際は、聴きやすいのに引っかかりどころもあるアルバムになっている。バランス感覚よすぎ!音楽界のやじろべえかい!
しろみけさん
生ハムメロン。中南米のリズムを導入して…という文句に引きづられそうになったけど、冒頭の「マラッカ」は全然歌謡曲だった。パーカッションやフラメンコギターにサンバホイッスル、クラーベのリズムで進行するピアノなど、「らしさ」には溢れている。ただそれは「らしさ」で、歌の節回しだったりドラムのフレーズは従来の(というより、同時代の)歌謡曲と何ら変わらない。
談合坂
堅実に、綺麗にまとまっているためか非常にすっと耳に入ってくるのだけど、今の私がそのように聴いてしまうのがなんだか情けないような悔しいような…… ボーカルはじめ、彼らのパフォーマンスと私が決して同じ空間にいられないようなもどかしさというか、なにか薄い仕切りがあるように感じるのは双方ともそこに録音媒体を通してしまうせいもあるのだろうか。
葱
わかんなかった...。おそらくメロディーラインとリズムの割り方とSEの散りばめ方が好みではないのだろう。ドラムが永続的にビートを刻まず時々止まっちゃうのも乗り切れない要因だったかな...。頭脳警察もそうだったけど、彼とは分かり合えないのかもしれない。
みせざき
演歌のようなしっとりしたボーカルとバンドのロックテイスト、それにサンバのようなアメリカンな雰囲気がしっかりまとまりきった、聞き応えがあった。頭脳警察からまさかここまで音楽的な成熟さを体現できるのには驚いた。確かに歌謡曲に収まり切らないロックなソリッドさは感じることが出来た、が自分の真正面に好きなロックではないと少し感じてしまった。
和田はるくに
頭脳警察のイメージで言えば、お硬いフォークロックを想像し、楽しみに聞こうとしたがかなりフュージョンというか、サンバというか、ファンク。かなり緻密に計算されたアレンジで面食らった。
あんまり好みじゃないんで、なにか背景がないかと調べながら聞いてると「オイルロードを通って東京までやってくるタンカーの海路を描いている」とのこと。なるほど「つれなのふれや」で錨がどうとか歌っているのはそういうわけか。そう考えると歌詞同士の相関が見えてきて、不思議と作風に対する説得力というか、肉付けが生まれてくる。
だが、1979年のアルバムなのにパンクの影がないのが少し奇妙だ。PANTAほどの人間ならすぐ影響を受けそうなのに。実際次作「1980X」は聞いたことがあるが、そっちは期待通りのサウンドだった。
渡田
勢い重視の頭脳警察の頃とはだいぶ雰囲気が違う。
技術度外視の激しい音楽から、異国の音楽要素を取り入れた耽美的なロックへの転身は、感覚としてはイギリスで起きたパンクロックからポストパンクやニューウェーブへの移行にも当てはまる気がした。
また、このアルバムはポストパンクの中でも特にPIL、スージー•アンド•ザ•バンシーズ、ザ•フォール、マガジン等、緊張感のある曲調と妖しい艶めかしさが特徴的なバンド達との共通点を感じた。
こういうパンクロッカーの転身は、大人になりかけの若者にとって、とても大きな希望になり得ると思う。
刹那的で激しい生き方への憧れは、それがあるからこそ色々なことに挑戦してみようとも思うのだけれど、あまりに思い込みが強いと、その後の人生の大部分が退屈極まりないものにも思えてしまうが、
このアルバムのPANTAからは、刹那的な生き方のその後には、知的な皮肉屋として、あるいは深い含蓄に裏付けられたユーモアを持つ大人として、あるいはまた別の方法で、それまでのパンクミュージックとは異なる魅せ方があることを教えられる。
シド•ヴィシャスやイアン•カーティスように 、一瞬の輝きを放った人達は確かにかっこいいのだけれど、そういう人生だけに価値のある訳ではないことを、改めて教えてもらった。
次回予告
次回は、遠藤賢司『東京ワッショイ』を扱います。
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