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ソウル・フラワー・ユニオン『エレクトロ・アジール・バップ』(1996)

アルバム情報

アーティスト: ソウル・フラワー・ユニオン
リリース日: 1996/10/21
レーベル: Ki/oon(日本)
「50年の邦楽ベスト100」における順位は59位でした。

メンバーの感想

The End End

 ごめんなさい!!全然好きじゃなかったです!!
 なんぼ世界の民謡を取り入れたサウンドでも、なんぼ素晴らしいメッセージが込められていても、生理的に好んで聴けない音をしていました!!SNS上の知人(?)が“政治的なイシューを扱った漫才において、それを実行したこと自体とそこに込められたメッセージと漫才としてのクオリティは分けて評価するべき”というようなことを以前言っていたのだけど、それに近いものを感じてしまったかも。良し悪しはともかくとして。好きじゃなかった。好きになれたらいいなとも思えなかった。
 まあ、だって、テレキャスターをマーシャルに突っ込んだ時にする音が出ているものな。そりゃあ私と趣味は合いませんよ。

桜子

 様々な国の情緒を、情熱と朗らかさで包んでいる。旅しているみたいな気持ちになる。聴いていると元気が出ます。
 こぶしの効いた歌声が、民謡の感じにマッチしてて、独特なソウルフルがカッコ良かった。

俊介

 これ好きな人は絶対好きやんと思いながらあんま好きになれないで聞き終えるという感じ。
シンプルに歌詞も曲調もなにも引っかからなかったのがすごい怖かったので一応ネットで検索かけたら評価がそこそこ二分されてた。
 思想的にも曲的にもハマる人にはハマるのかえ。
 多分、このアルバムを好きになれないのも自分のアンテナと音楽的見地が足りないだけなんで、この企画が終わった後楽しく聴けるようになればなとおもう。

湘南ギャル

 吹奏楽をしていた時、ジャポニズムを強調する作品と巡り合うことが異様に多かった。このアルバムを聴いていたら、脳味噌の一番端っこにある部分から、そういった作品の断片がヌルヌルと顔を出してきた。進軍ラッパエナジーの管楽器で波を表す感じとか、吹奏楽曲以外で聴いたことなかったかもしれない。バンドに管楽器が入る時のフレーズパターンというのはなかなか限られてくるものだが、このアルバムには本当にどこからとってきたのかわからない節回しがたくさんある。
 どこから来たのかわからないものといえば、このアルバムのジャケットもそうだ。誇張しすぎた日本ってテーマでザコシが作ったアートワークか?最近こそ、怪しい昭和レトロみたいなくくりでこういうテイストは生まれてきそうだけど、96年の時点でそれをやってのけたのはなかなか恐ろしい。

しろみけさん

 『エレクトロ・アジール・バップ』というタイトルで、なんだかんだあこのアルバムは完成してると思う。エレクトロとアジールとバップと、これらをボウルに放り込んだのを胃にドバドバ流し込んでも美味しく食べられるリスナーからすれば天国のような音楽だ。他の琉球音楽を下地にしたものと比べると、生息地を飛び越えたあらゆる窮状にある者たちに抵抗を呼びかけるディアスポラ文学のよう。

談合坂

 音楽的な探求に裏打ちされていることによる安定感と言えばいいだろうか。スタジオミュージシャンが作る子供向けのアニメソングみたいにかっちりしている。プレイヤーとしてやりたいことをやりながらキャッチ―にまとめることは忘れない。序盤は少し掴みどころを探りつつではあったけど、音楽という媒体で表現を行うことに対するこだわりが感じられるからそれに応えた聴き方ができた。

 「英米のロックと日本の祭事音楽の合体」みたいなコンセプトなのかしら。例えばナンバーガールの曲にも「和」を感じる瞬間はあるが、この作品ほど強調されていなかったし、この作品は「和」というより「演歌」だ。こぶしが効きすぎている。

みせざき

 すごく独特なノリが続いていて、沖縄民謡のようにも感じるが、また別な影響も感じられるほどどこに定住しているサウンドなのかちょっと自分で判断が付かなかった。このボーカルの声が好きかと言われるとそうでは無いが、このこぶしを付けた歌い方が独特のソウルさをもたらしていると感じた。

和田醉象

 ニューエスト・モデル時代からの中川敬が完全に消え去り、新たなサウンドが生まれた一枚であるんだけど、その変化の一枚目からここまでやれるのはやはり阪神大震災時の各地でのライブだろう。
 新ユニット「ソウル・フラワー・モノノケ・サミット」として、あえて自分たちの曲をやるのではなく、被災者たちに沿った民謡や曲をやることでフォークな感覚がバンドに染み付いた。そこにソングライティングバリバリの時期の中川敬による『ロストホームランド』の制作、その後のバンドへのフィードバックはバンドの作風を完璧に変えてしまうくらいのことは容易かったようだ。
 ニューエスト後期の、今にも客の誰かが死ぬんじゃないかという緊張感のあるライブが本当に好きなんだが、その一方で客がついてきていないという感覚もバンド側にあったみたいで、それがこの新作をもたらした原因の一つだと思う。
 ソウルフラワーユニオンになってからも『ワタツミヤマツミ』みたいなニューエストの遺産を反映した作品はあったが、『エレクトロアジールバップ』が実質的なファーストアルバムだ、と言っても差し支えないくらい、今後の彼らのディスコグラフィーはこの方向性へ舵を取っていく。ニューエスト時代の最後のアルバム「ユニバーサルインベーダー」と揃ってビートルズのサージェント・ペパーズを意識したジャケになってるからある意味対にも捉えられる形にもなっている。(ジャケの中を「人」から「人形」になっているところも対照的だ)
 しかし後追いながら、ニューエスト派の自分からしたら、いくら「満月の夕」「海行かば〜」が名曲でも、この切り替えようはついていけないと感じることもある。
 『スクリューボール・コメディ』位の時期ならもう別物として見れるが、わずかながらにニューエストの残像が見えてしまうのでこのアルバムはいちばん苦手なアルバムかも知れない。
 でも世の中にめちゃくちゃ受け入れられた作品でもあるから、そういう評価をされるのは嬉しいけど〜!ともなる。(面倒くさいオタク)
 中川敬がこのレビューを見ないことを祈る。

渡田

 曲調はお囃子調で、歌詞は垢抜けないくだけた日本語で、いかにも野暮ったい日本のロックを演出してくるけど、その隙間にふと、海外のカートゥーンアニメの効果音で使われていそうな独特の短音がフレーズを作り出してきて、結果アジアとも西洋圏とも取れない独特の多国籍感を覚えた(こういった不思議な民俗感は、曲の雰囲気は全然違うけれどポーグスとかエンヤを聴いた時の感覚にも似ているかもしれない)。
 民俗的な印象を受ける音楽なのは間違いないのだけれど、純粋な日本の民俗要素だけで作られた音楽とも思わない。どこかの島国の、和風とも洋風ともつかない人々の音楽と言われた方が納得できるような所在不明な民族感があった。

次回予告

次回は、BUDDHA BRAND『人間発電所~プロローグ』を扱います。

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#アルバムレビュー
#ソウル・フラワー・ユニオン


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