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レイ・ハラカミ『[lust]』(2005)

アルバム情報

アーティスト: レイ・ハラカミ
リリース日: 2005/5/25
レーベル: Sublime(日本)
「50年の邦楽ベスト100」における順位は50位でした。

メンバーの感想

The End End

 レイ・ハラカミは、もはやリスナーとして聴くことができません…日々エレクトロニック・ミュージックを作って過ごしている人間として、どうしても憧れや感心が先に立ってしまう。気がつくとすぐ、このアルバムから自分の中に何を持って帰れるかばかり考えている。めちゃくちゃ偉そうなことを言うけど、細かな遊びや、ちょっとしたアイデアたちが、他人のものとは思えないんだもの。ダンスミュージックであることをギリギリのところで保ちながら、ギリギリのところで手放してもいるその姿勢もそう。
 冨田勲『月の光』を聴いた時に近い気持ちというか。背筋がスッと伸びるし、半端なもの作ってちゃいけないなと思う。頑張ります。

桜子

 良くも悪くも、自分が普段好んで聴く音楽は作り手の主観が透けて見えちゃうというか、聴いて欲しいところが分かりやすすぎてしまうから、それをとても狭い世界のように思えてしまうのだけれど、これは広い画用紙に描いたレイハラカミの絵を、上空から好きなように観れる感じがあって、気持ち良かったです。こちらが選ぶ余地があるから、広い視界を持って聴けた。

俊介

 過去作よりも更によりいなたい方向に洗練されてて遂に唯一無二の作品に。
 ジャケットがありえんかっこいい。日本ぽい景色や風土に馴染むエレクトロってそのジャンルの特性上なかなかない気がするけどlustの楽曲群とジャケ写がこれ以上ないくらいマッチしてていい音楽作る人の優れたシナプスがビジュアル面でも垣間見えた。

湘南ギャル

 自室の角に縮こまって天井を見ている。そのとき私は、外界からの刺激を一切受け付けない。自分の脳と好きなだけ話す。部屋の扉の外には、何も残っていない気がする。私が安らぎを感じるのはそういった瞬間だ。そして自分にとってレイハラカミの音楽は、こういった類いの安らぎに一番近い他者だ。自室の中でしか存在しない部分の自分に、ここまで寄り添ってくれる創作物を、私は他に知らない。

しろみけさん

 高速で刻まれるハイハットや巧みなエコーが、楽曲そのものの呼吸を担う孔のように開閉を繰り返し、奏者と楽器の身体が重なり合う様子が見てとれる。それは「joy」や「grief & loss」に顕著なように、ひたすらにループするチャンネルに時間の制限と身体的な上限を告げるようにハイハットやエコーが用いられている印象さえ受けた。ループの中で身体は生を知らない、だから分節が設けられる、けれどそれは時間の制限と(身体ゆえの)死をも仄めかし、身体は季節になって去っていく。少しだけ切なくなる。

談合坂

 今回私がレビューのためにこのアルバムを聴き返したのはJR中央線の車内だった。中央線には非常に長い直線区間があって、その間はヨーもロールも感じることなくただ緩急をつけて横に流れていく景色を眺めることができるのだが、このアルバムってこのシチュエーションのために作られたのか?と思うくらいにそこから得られる感覚が一致していてとても面白かった。最初から最後までずっとJ-POP感をまとっているように感じられるのは、それがダンスフロアや観客席というよりも普通の地面にごく自然に立ち並ぶ人工物のような、より抽象的な場にある’生活’の音楽だから…みたいな……?

 このアルバムを聞き始めてから数年が経つ。改めて言語化することが難しい。この下書きもめっちゃ書き直している。そして何回も聞き直した上で、人間味しかない音楽だなと思った。電子音楽=人間味がない、と言うつもりは無いし、むしろ新たなテクノロジーへ向かう人間の欲望の顕れでもある訳だけど、「[lust]」はフォークギターで演奏しているような、人の体温が直に届くようなアルバムだ。ディレイの効果を出すためにMIDIデータ一つ一つを細かく打ち込んだといったエピソードから分かる手の込み具合もこのイメージを強めているのかもしれない。同時に「[lust]」を聴くと寂れた街への愛着や携帯が無くとも勝手の集まった放課後とか、そういうどうしようもない機微が頭に浮かぶ。シンセのフワーとした音と共にフワーっとした記憶がパッと浮かんで消えていく。結局CDのポップにあるような「心地よくも懐かしい」って言葉に行き着くのだった。「終わりの季節」のカバーもこの''フォークギターを爪弾いているような親密さ''というイメージを強めているし、だからこそ「終わりの季節」のカバーもこのアルバムに必要不可欠だったのだろう。

みせざき

 前回の作品よりよりアンビエントチックだが、その中にもポップな雰囲気もある為、意外にも聴きやすい印象がありました。またリズミカルでEDMチックな雰囲気のビートもノリやすくて聴いていて面白かったです。まるでジャケットの古家のような分かりやすく聴きやすく、そして深く心にも残るような音楽に感じました。

和田醉象

 ひどいことがあって、とても泣いていても、この世に絶望できてしまっても、このアルバムがあれば僕は大丈夫だと思う。
 小さい頃、とても気に入っていた毛布があるんだけど、それに似た感情をこのアルバムにも抱いている。(その毛布は親に捨てられてしまったから、同じ道を辿らないことを願うが。)
同じ様な感情を抱いているアルバムは、多分あと平沢進の「救済の技法」くらいだろうか。無敵感というか、そちらにはちかづけない、憧れや尊敬という言葉に置き変えられる気持ちを持っている。
 red curbもそうだったけど、パンニングや音量の割り振りが絶妙で、とても優しい音なんだけどものすごい迫力のある文章を読んだり、朗読師の抑揚のある話を聞いているような臨場感がある。今試しに最近よく聞く音楽をさらってみたんだけどここまで音量のメリハリを徹底したものはなかった。眼の前で聞いているような臨場感がこのアルバムを名盤たらしめている気もする。

渡田

 その瞬間楽器から出た音ではなく、音の残響がメロディを作っていることに驚かされた。もちろん、他の音楽でも残響は重要な要素の一つだと思うが、このアルバムでは、この音の痕跡が主役として扱われているようにさえ感じる。この特徴はそのまま、このアルバムの、音楽の繊細さと自由さといった印象に繋がっていると思う。
 こんなにも穏やかで聴き取りやすい高音域の音は初めてで、残響による音の印象の違いや、残響の中でこその音の生かし方というものにも気付かされた。

次回予告

次回は、コーネリアス『SUNSUOUS』を扱います。

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