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サンディー『MERCY』(1990)

アルバム情報

アーティスト: サンディー
リリース日: 1990/12/19
レーベル: Eastworld(日本)
「50年の邦楽ベスト100」における順位は90位でした。

メンバーの感想

The End End

 あら(^^)良いですね!
  “J-POP”感がすごい。また時代が変わったな…と思うけど、プロデュースの久保田麻琴ともども70年代からやってるベテランなんですよね。日本、中国、東南アジアからシルクロードまでやりたい放題なカリカチュア。これ以上やったら陳腐になっちゃうギリギリのところを突いてきているし、内側の目線と外側の目線を両方持っているな、と思う。
 以前ウズベキスタン料理を出すお店に行った時に、現地のポップスと思しき曲がかなり大きめの曲でかかっていた。それはエキゾなメロディと歌唱にニューオーダー的な意匠が混ざったもので、すごくトンチキで面白いと感じたのだけど、欧米の人がこれを聴いたら同じような感覚を抱くんじゃないだろうか。

桜子

 90's周辺USのR&Bから派生したノリの感じをこんな解像度高く、オリジナリティも合わせ待っている作品があった事知らなかった。
 マジでめちゃくちゃカッコいい。これからはこの企画でこういうノリの作品いっぱい聴けるのかなと考えると、楽しみ。

俊介

 サンディというアーティストも、ジャケットのデザインも、音楽の志向も、カバー曲のチョイスも、このアルバムがランキングに選出される所以もすべて謎だったけどひたすらに曲が良かった。
 あらゆるワールドミュージックを拝借したせいで、逆に無国籍性まで獲得してしまったかんじ。
 誰が誰のためにつくったのかよく分からないし、すべての動機が不明だけど、そこからうまれる奇妙さとか違和感がかなりいい感じ。
 この企画の中でもダントツでフェイバリット!

湘南ギャル

 日本的なエッセンスが盛りだくさんなのに、今まで出てきたアルバムの中で最も洋楽らしさがある。日本好きの外国ミュージシャンが作った新譜かと思った。どういう背景、文脈でこのアルバムが出てきて今に至るまで評価されているのか、私の持つ少ない知識では予想できない。それでもつい気になって振り返ってしまうような、グッドミュージックとしての純粋な魅力がある。初見殺しの逆を行っている。ステキです。

しろみけさん

 ケレン味がないというか、渋谷系がブイブイ言わしてた時代に、引用も元ネタもすっ飛ばしたナチュラルボーンの洋楽が来ちゃった。「Sakura」とか「Sukiyaki」なんかも、安直な日本らしさというより、日本好きなフランス人の歌手がカバーしてるみたい。渋谷系が外側の意匠を借りて内側をやっているとするならば、これは内側のポジションを踏まえた上で外側に佇んでいるようだ。

談合坂

 一周回って今これがキテるわけではなく、私が知らないうちに一周先に回られていた。あまりに呆気なく楽しい音楽がやってきたので(ガチでくらったな…)とかじゃなくコミカルにわぁ、というリアクションが出てしまった。私はこういうクールな遊びの感覚が好きなんだと再認識しました。
 アルバムを通して散りばめられた明快な引用の要素は日本的というより日本人的と言うほうが適しているようにも思う。基本はディスコ的な感覚に置かれているけど、そうじゃなくても楽しめるように仕立てているからこそ、この不思議な魅力が生まれているのではないか。

 雑多煮。ごった煮。同時にルーツが見えない。というか、見えるけど繋がらない。名曲「スキヤキ」のカバーやハウス×東京音頭みたいな曲もある。洗練されていない。でもそれってJ-POPじゃん?という。だからそんなに違和感が無い。「Don't keep giving」はユーロビート×フゥフゥという掛け声でまるでモーニング娘。の曲みたいだな、という感想を抱いたし、宇多田ヒカルの要素も椎名林檎の要素も浜崎あゆみの要素もある。そういう意味では色々先取りしていた作品なのかしら。

みせざき

 一曲目が特に凄くかっこいいと思いました。飛び跳ねるような軽快はダンスビートに歌謡さを感じさせるメロディーと、日本と欧米サウンドを上手く融合させたポップスに感じました。ただSakuraやSukiyakiなどは日本文化の紹介?なのかかなりベタな選曲に、異邦の視点からやってしまうというパラドックスには少し驚きました。昨日の座談会でこの方がハーフであることなど補足情報を知ると納得できる部分がありましたが、それでも少し違和感は残りました。

和田はるくに

 これだけ全然違くない?めちゃくちゃいいアルバムだけど、相撲やってるところにアメフト部が来たみたいな違和感。
 子供の頃、親のドライブ中にかかっていたボサノバアルバムみたいな「詳細は今や思い出せないけど、確実に心のなかに残っている曲」みたいな心地よさがある。
 久保田麻琴が関わっているからか、沖縄要素が強いが、それをきれいな取り除いても上質なポップスである。だが、それが今聞いてる流れの中にあることにものすごく違和感がある。
 あとなんで七人の小人?白雪姫?

渡田

 聴いていると少し現実離れした感覚、まるでフィクションの世界の中で売られているアルバムを聴いているような感覚になる。それだけ現実感を感じさせない特徴があった。
 英語の歌詞の曲は洋楽らしくなく、日本語の歌詞の曲は邦楽らしくない。ユーロビートらしい曲もあれば、シティポップらしい曲もある。共通していたのは、小気味よい電子音による近代的なイメージと、それに対して古い時代の女優を感じさせるような物静かながら少し気取った歌声。
 映画のブレードランナーの街のような、西洋らしさと東洋らしさをあえて極端に解釈した上で、それらを近未来を感じさせる技術と古い時代の趣きでまとめている感じ。曲の特徴にこうした様々な錯誤や矛盾があるせいで、現実世界に直結するような音楽に思えなかったのだと思う。
 このアルバムから想起できるのは、我々が住む世界とは少し別の、時代が倒錯した未来都市のイメージ。その別世界の中にある、我々にも少しだけ共感できる部分、似ている部分を覗き見ているような感覚になった。

次回予告

次回は、フリッパーズ・ギター『ヘッド博士の世界塔』を扱います。

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