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フィッシュマンズ『空中キャンプ』(1996)

アルバム情報

アーティスト: フィッシュマンズ
リリース日: 1996/2/1
レーベル: ポリドール(日本)
「50年の邦楽ベスト100」における順位は6位でした。

メンバーの感想

The End End

 レゲエが…とか、ダブが…とかいう話ではなく、とても細かな質感づくりやバランスのとり方において、この音像を他に知らない。近年の海外リスナーによる”発見”からしても、おそらくは本当に他のどこにも無いんだろう。同じ演奏でいくらでもリラックスしたアルバムに聴かせることができそうなのに、鼓動を速めるヒリヒリした空気で端から端まで満たされているあたりも、ポスプロのアルバムだなあと感じる。でもうっかりしているとただただ気の利いた、リラックスしたムードの音楽として聴くこともできてしまいそうで、それらを分けずに同時に閉じこめているところがたまらなく愛おしい。
 「新しい人」がとても好き。この曲には誰も区別せず、置いてけぼりにせず、聴いた人を平等にひとりぼっちにしてくれる魔法がかかっている。それは軋轢からも愛情からも解放された演奏と自分しか存在していない世界に連れていってくれる、あるいは目の前にある世界をそういう形に変えてくれる魔法だ。

桜子

 誰でも分かる言葉で、誰もが抱いた事のある感情を歌っている。
 それでも大人っぽさや非凡さを感じるのは、やっぱりどこかに暗さや翳りを感じるからだと思う。
 そしてエフェクトの付け方がカッコいい。ソングライティングだけじゃなくて、トラックメイクにも隙がない。今でも色褪せない。

俊介
 
 カーオーディオでかけると家族に止められるアルバム第1位。
 確かに歌詞が車のスピード感に追いついていない。ちょーど徒歩くらいのスピード感だと思う。帰り道でよく聴きます。
 佐藤伸治がかく詞は部屋を通り抜けてく風からの視点のようで書き手の実態があんま無い。
 自身に関する描写はあんまなくて周りのことばっか書くから、都会の孤独な感じ、人と一緒にいる時の方が余計孤独になる感じにビシッとハマってる。総じて最高(*^。^*)

湘南ギャル

 そらでほとんど歌えるくらいにたくさん聴いてきたアルバムだが、最近ではめっきり聴かなくなった。一番聞いていたのは二十歳前後だったか。あの頃の自分は、未来を、ともすれば明日すら大事にしたことがなかった。なんでもできる気がしたし、なんでもしたけれど、何をしても満たされなかった。ずっと不安だった。目を覚ましていても、ほとんど夢の中にいた。今の自分は、その頃よりずっと泥臭い日々を歩んでいる。少しずつ地に足がつき始め、破滅を思い浮かべることはなくなった。穏やかで健やかな暮らしの、なんと素晴らしいことか。心からそう思っている。だからもうこの作品に、本気で入れ込むことはないんだろう。もはや、今の私では入れ込むことができない。これが自ら望んで得た、喜ばしい結果であるのは確かだ。でも、それが確かであるのと同じくらい、自分の一部をどこかに忘れてきてしまったような喪失感をおぼえるのだ。

しろみけさん

 享楽っぽくて享楽的じゃない、なんか胸がサワサワする…と思いながら聞いてたら「幸せ者」の“この世の不幸は全ての不安/この世の不幸は感情操作と嘘笑いで”という箇所で胸が飛び散りそうになった。綺麗な白浜のビーチをずんずん歩いて行ったら波の溜まる場所で骸骨と出会ってしまったような感覚というか、「当たり前だけど、そういうのもあるんだよな」って陽気な心が芯の方から瞬間冷凍される瞬間。そう、フィッシュマンズのチルは、底冷えするような、ギリギリ笑ってくつろげないチルアウトだと思う。本当に、佐藤伸治みたいな人がこの世に存在していたなんて信じられない。

談合坂

 ローファイな部分と輪郭がくっきりした部分が完全に分離していて、ともすれば破綻してしまいそうな緊張感がある。それは勝手な杞憂だというのは分かっているけど、自分にはないバランス感覚なので戸惑ってしまう。
 それと同時に、ギター一本・マイク一本みたいな古いブルースの音源を聴いているようでもあった。リズムの息遣いが底にあって、静けさと時々押し寄せる波があるような感じ。

 フィッシュマンズ解散後に結成されたクラリスのライブ演奏を以前、日比谷公園に出向いた際に偶然耳にした。それまでフィッシュマンズを「大学生の音楽好きが酒、タバコに続く物としてエモ消費しているバンド」くらいにしか思っていなかったが、ボトムを支えるベースと、質素に語り過ぎないで紡がれるドラムによるブラックミュージックのそれとも違うグルーブに身体を任せるうちにめちゃくちゃ気持ち良くなってしまった。それから聴くたびに和製ポーティスヘッドみたいで気持ちぇ…と思えるようになって良かった。「SUNNY BLUE」に関してはDJ SHADOWやヒップホップの名作といったサンプリング主体のダンスミュージックを生演奏やスタジオ・ワークで再構成したような聞き応えがある。

みせざき

 他のどの作品にも聴いたことの無いようなグルーブ感、決して技巧的では無くシンプルな旋律・パートが折り重なって出来上がるサウンドがとても心地よいです。また、とても丸く包み込むようだが同時に圧倒的存在感も示してくれるボーカルもまた素晴らしいです。こんな声で全てを諭してくれる素晴らしさ、美しさが本当に最高でした。自分の常時の範囲内にある音楽では無いかもしれないが、それでも最高の音楽、唯一無二の作品として素直に楽しむことのできる作品だと思います。

和田はるくに

 昔からフィッシュマンズに対して思っていることを言語化してみるならば、「曲が描く情景との距離」が一番挙げられる。結構世の中の音楽って近くにある物を描いたりすることに腐心しがちで、その「あるある」が親近感を覚えさせたり、身近すぎて思ってなかったことに気づかせてくれるきっかけになったりすると思うんです。
 初めてフィッシュマンズを聞いた時(空中キャンプを聞いた)はその類の感覚を感じ取れなくて、長いことフィッシュマンズを敬遠していた。
 彼らに関心を寄せたのは周りの人たちがこぞってフィッシュマンズを聞いていたのもそうだが、彼らのライブ作品を聞いた際に感じた肉体性に惹かれて夢中になった時期があった。だから今でも彼らのスタジオ版は苦手だったりする。
 今「空中キャンプ」を聞いても、自分との間に薄い膜のような物を感じるというか、曲自体を他の作品で聞いていてもとっつきにくさを感じる。確かなシーンというよりかは、一種の酩酊状態や夢の中の世界、映画で描かれるようなドラマチックな表現の類に感じてしまう。すごくフィッシュマンズを聞いたのがちょっと前ということもあり、その頃の思い出と重なって、すごくまた、遠くの風景に見える。手元をみているんじゃなくて、高いビルから双眼鏡で霞んだ遠くの景色をみているような。今日明日の出来事ではなく、すごく昔に感じるし、逆にいつくるとのわからない未来の話をされているような。

渡田

 メロディや音の出し方は穏やかで、静かな印象、ゆったりした印象の音楽だけれど、それと同時に意識を全てそこに向けざるを得ないような緊張感が確かにあった。
 どのパートもメロディを繰り返す際、次のフレーズに入るまでの間隔が長いせいで、毎回それぞれの音が歌声と共に消え入るような印象がある。矢継ぎ早にフレーズを繋いでいく音楽とは全く違った。
 こういった特徴のせいか、歌い出しの寸前の静かな一瞬には、佐藤伸治の声に意識を集中せずにはいられない。
 佐藤伸治の高音で、掠れていて、間延びした男声は、そういった特徴からは不思議なほどよく聞き取れて、まるで夢中になって小説を見る時、自分の頭の中だけに聞こえる読み上げ声のような、あるいは夢の中での話し声のような、掴みどころがないのにはっきりしている声だった。

次回予告

次回は、サニーデイ・サービス『東京』を扱います。

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#アルバムレビュー
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