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岡村靖幸『家庭教師』(1990)

アルバム情報

アーティスト: 岡村靖幸
リリース日: 1990/11/16
レーベル: EPIC/SONY(日本)
「50年の邦楽ベスト100」における順位は11位でした。

メンバーの感想

The End End

 ところどころ歌のリズムが前につんのめっているのだけど、同じ箇所で楽器もつんのめっている場面がある。(「カルアミルク」なんかのバラードに顕著)歌っている人が全部演奏して録っているからこそ生まれる揺らぎに感じられてとても面白かった。
 ところで、自分の女の子への興味の質や程度について悩んだことのある男の子ってたくさんいると思うんですよ。(男の子に限定される話じゃないと思うけど、自分の話に結び付けたい故のことなので、ご容赦ください)“俺がこんなにスケベでナルシスティックなロマンチストだなんて、絶対人に言えない…”みたいな。それを“俺もそうだぜ!!!”って言ってくれるのが、岡村ちゃんだと思う。今思うと、高校生の頃よく聴いていたのは、こういう気持ちを持っていても良いんだ、という救いだったからなんだろうな。

桜子

 90年代最高!大好き!自分のルーツ!このポップネス、ずっと大好きだと思う。
 小さい頃に車で聴いた時は、変な声だと思って好きになれなかったけど、今では大好きです!情熱的でセクシー!
 誰もが名曲だと感じてしまうような旋律の美しい曲も、ジャンル名では縛れないような曲もそれぞれのクオリティを両立しているところに憧れる。でも、つまるところ、と言われると”ポップ”で括りたくなってしまう得体の知れない魅力があります。
 ”あの娘ぼくが〜”を聴くと、生まれてきて、音楽を好きで良かった、と感じてしまうくらい大好きです。

俊介

 ミネアポリスからもってきた素敵な音色をもってすれば、歌詞の醜悪さも綺麗さっぱり清算できることを知った。
 どんなにつまらない歌詞を書いても、素敵なサウンドをうまく借りれば、その醜さを薄めてなんとかこういう風に、後世まで評価の対象になるような傑作にまで持ってこれるのかという衝撃もあるし、これほどに、Princeの音色を再現できるくらい、サウンド面の構築にかまけたら、そりゃ歌詞は多少おざなりになるでしょうという気持ちにもなれる素敵なアルバムだ。

湘南ギャル

 音作りの精巧さと個性的な歌い方が、彼特有の独創的なスタイルを形作っている。でも、ボーカルの旋律はあまりに素直だし、歌詞だってメロドラマで使い古されていそうな陳腐さがある。そのチグハグさに対してどこかで彼自身がツッコミをしてくれるんじゃないかと期待してしまうけど、それは徒労に終わる。一枚通して聞いてみても、どこまでが本気なのかがずっとわからない感覚がある。
 私は古今東西に存在するあらゆるキモさが大好きなので、岡村靖幸をうまく感じることができないのがとても悔しい。カルアミルクをわざわざキャルアミルクと発音する感じとか、わざわざキモさを用意してきたように見えてしまう。ただ、家庭教師の最後の方にある語りの「2人でこうやって革命を起こそうよ」ってところはとても良かった。事の最中に掛ける言葉としてまず思いつかない。一億万点の気持ち悪さで最高です。

しろみけさん

 僕の母は幼少期からピアノを習っていて、後にピアノの専門学校へと通い、今ではクラシックピアノの教師をしている。そんな母が高校生の頃、周りから「気持ち悪い」と言われながらも聞いていたのが、プリンスと岡村靖幸だったらしい。北陸の田舎、豪雪地帯の生まれだ。「六本木で会おうよ」とか言われても、ピンとこないだろうに。
 思い返してみれば、プリンスと岡村靖幸を、母が車中のBGMで自発的にかけたことは一度もなかった。僕が浪人生の時に『家庭教師』でぶっ飛ばされて、車のbluetoothとiPhoneを勝手に繋いで流し始めた時、母はのけぞりながら大爆笑した。そこで初めて、僕は母の隠されていた趣味を知った。
 「あの時はみんな気持ち悪がってたけど、みんな隠れて聞いてたんだよ!絶対そうだよ!」とか、そういうことを言っていた気がする。すごくわかる。それはごくプライベートな体験で、かつ日本中で巻き起こっていた現象なんだろう。『家庭教師』を聞いてる間は、自分の部屋にいる岡村靖幸以外のことを忘れられる。なんかクネクネ動いててニヤニヤしてるけど、なんか心地いい。

談合坂

 何がどうしてこうなっているのか追いつけていないけど、とにかく平成は到来したらしい。
 ギミックに溢れていて楽しい。初めは特定のワザで特定のスタイルをやっているのかと思ったけど、聴き進めるほどにそのスタイルをつくる手数の豊かさに気付かされる。これがプロデュースの上手さということか。

 「どうなっちゃってんだよ?」こっちが聴きたい。青春の自意識と若さから来る自己愛でぐちゃぐちゃになってる人間による自画像であり、その人間を俯瞰で監視カメラで捉えたような記録でもある。錯乱している。その様は岡村ちゃん自身が影響元として名前を挙げるプリンスと重なる。そして全てを引き受けた上で放たれる「青春って1、2、3ジャンプ!」という言葉の清々しさとメロディーの抜けの良さ!

みせざき

 確かにプリンスの雰囲気が、一曲目の効果音の使い方から如実に感じられた。声にもわざとしゃくれさせたり雰囲気まで本当にプリンス好きなんだと愛情を強く感じました。
でも一番強く感じたのは心意気と大胆さだった。全てのパート、サウンドにこう表現したいという過度なまでの表現力を強く感じました。きっとこうした性的倒錯とプリンスへの愛の融合を人生かけて体現させようとしたアーティスト、そしてこの作品なのだろう。

和田はるくに

 このアルバムを聴いてる人はみんな、このアルバムに対して思い出を持っていると思う。それは友達とカラオケに行ったことだったり、喫茶店やマックでくっちゃべったり、夜遅い電車で友達と帰ったりしたことである(しょーもない記憶であればあるほどよい)。どの曲を聞いても自分の生きてきた記憶だったり、もしくはない記憶まで捏造されて思い浮かぶ瞬間が多々ある。もうびっくりするぐらいのフィット感。
 岡村さんの曲には若さのゆらめきというか、淫熱というか、イライラあるいはムラムラしてる気持ちまで込みで表現されている。今まさにクソ暑い時期だが、こんな感じで、まさに蒸れた体育館で、やったこともないバスケをしている記憶が思い浮かび上がってしまうのだ。具体的な光景を思い浮かび上がらせる力においては他のアーティスト、他のアルバムをゆうに超えていると思われる。これがアーティストとして信頼されているゆえんではないか。(外国の方が聞いたらどう思うのか少し気になる)
 にしても9曲43分とまとまっている。これまでの企画で2枚組アルバム(CD規格)は取り上げられていなかったと思うが、直尺の作品で評価されている日本のアルバムってどうなんだろう、無いのか。どれもこれもなんというかまとまっている。

渡田

 怪しげなパレードのような魅惑の音を各所に使っていながら、サビに向けての盛り上がりは素直で聴きやすくアイドル音楽のようでもある。こういった二面性が印象的。これがどちらかだけだったら正直そこまで魅力を感じなかったと思う。
 緊張感のあるメロディや呪術じみた怪しいエフェクターの音、民族音楽のようなドラムの音などがまず鋭く意識に切り込んできて、それがサビに入ると同時に心の中で大きく膨らんでくる感覚がある。ホール内にいるようなエコーがかかった音作りもこの感覚を刺激してくる。
 ひどく気取った声色や歌詞のせいで、このアルバムの大人びた印象はどこかわざとらしい。むしろこの音楽の本質は子供っぽいところじゃないだろうか。必要以上に飾り立ててる点と素直な思いが混ざり合っていて、まるで高校生のような青々とした自尊心すら感じる。

次回予告

次回は、サンディー『MERCY』を扱います。

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