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はっぴいえんど『風街ろまん』(1971)

アルバム情報

アーティスト: はっぴいえんど
リリース日: 1971/11/20
レーベル: URC(日本)
「50年の邦楽ベスト100」における順位は1位でした。

メンバーの感想

The End End

 前作で既に”ロックのリズムに日本語を乗せる”ことには成功していたわけだけれど、このアルバムでは”失われていく自分たちの原風景、かつての東京の景色を「風街」という架空の街に仮託して描く”というストーリーを見つけたことで、フォーク的な自分語りを飛び出した”はっぴいえんどの語り方”を手に入れているな、と感じた。
 ギターの歪ませ方やドラムの音作り/録音の変化に加えて、アコギのストロークの割合が減って指弾きが増えていることが、このアルバムのカラッと乾いていて反射せずどこまでも広がっていくような音像に寄与していると思う。高校時代は、「あした天気になあれ」の0分08秒でRチャンネルに入ってくるミュートギターにかかっているコンプのかかり具合が好きすぎて、その部分だけ何度も何度もリピートしていたものです…「風街」を知らなくても、みんなの懐かしい景色に寄り添ってくれるアルバム。

桜子

 はっぴいえんどと比較したら丸くて、聴きやすく、歌いやすいアルバム。歌声も暖かくて優し い。 ”夏なんです”から感じる”邦”の要素が唯一無二で、奥ゆかしい美しさとゆったりとした空気感が好き。 ”風をあつめて”を聴いていると、見た事もない1971年の海沿いの街が頭の中に浮かんで来る。 ちょっとした旅行みたいな気持ちになれて気持ち良い。忙しい時間とは離脱し、身体に波風が通り抜けて、リラックスできる。いつもありがとう!!!!!!!

俊介

 めちゃくちゃ好き!初めて聴いたはっぴいえんどの作品はこの「風街ろまん」なので、いまだにはっぴいえんどといえばこれ!というイメージが強い。前述した通り、前作からいろいろな面での変化を経ていて、バンドのコンセプトから考えると、本作がはっぴいえんどとしての最高到達点だとも思う。
 前作同様、松本氏の無機質さを纏った歌詞は健在だけども、前作と異なっていると感じるのは、詞の中により具体性が付加されたという部分。実在する場所や地区の名前が出てくるわけではないにしろ、自分の感情の機微を記述することと引き換えに、視覚から想起される情景描写が増えたおかげで、リスナーそれぞれが架空の原風景を思い描くのがより容易になった気がする。
 特に「夏なんです」「花いちもんめ」は、当時、小学生だった自分でも脳内で、歴史の図鑑なり便覧なりで眺めていた、復興期と成長期の間の東京の風景と結びつけることができるくらい現然性があった。
 バッファロースプリングフィールドやモビーグレープみたいなアメリカの音楽の中に、この牧歌的な当時の日本の景色をみつけだしたのは本当に偉業だなー。

湘南ギャル

 初めて聴いた時から、すごすぎる‼️としか言えなかったし、何がどうすごいかはきっと今まで100億人くらいが説明していたから、言う必要もなかった。今回もその役目は人に譲って、好きな曲の話でもする。
 夏なんですって曲が好きだ。夏が近づいてくると、ついついFunk Wav Vol.1なんかを聴いて踊っちゃうけど、いざ夏真っ盛りになってみよう。暑くて怠くて、とても踊るどころじゃない。夏以外の季節って、夏は明るくて開放的で楽しくてサイコーだ、って思う。でもいざ夏になると、それはギンギンギラギラの太陽で、ホーシーツクツクの蝉の声で、モンモンモコモコの入道雲で、ただそれだけだ。とにかく退屈だけど、なぜか嫌いになれない。この曲は、本物みたいな鮮やかを持って夏の質感を蘇らせる。そして音が途絶えた途端に、跡形もなく去る。

しろみけさん

 手つきが見える。英米のロックに対する自分達の態度をどう決定するのかが、日本語ロック論争におけるテーマだった。その論争に終止符を打った本作の傑出している点を挙げればキリがないが、輸入されたばかりのロックの意匠を自家薬籠中の物としながら、ソングライターとしての記名性を強固に表現していることの末恐ろしさはいくら強調しても足りない。
 「変わりゆく街へのノスタルジー」というコンセプトは、このアルバムのみならず、数十年先の日本語のロックの可能性まで串刺しにしてしまった。日本におけるロックが「できるかどうか」の論争から「それで何を歌うのか」という表現上の手つきの問題へとシフトしたことを、このアルバムは声高に宣言している。

談合坂

 『はっぴいえんど』よりも’私たち’との連続性を強く感じる。偉大な作品であることを知っていても、それでも何も気構えることなく聴けてしまう安心感。とんでもなく偉そうな口を利くとすれば、緊張が解けているな~と。

 なんというか、あまりに語られすぎて今更何を書いても無駄な気がするので、このアルバムを初めて聴いた時の話をする。
 高校生の頃、江戸川沿いをランニングした時に初めて風街ろまんを通して聞いた。日本のロックを作り上げた、という事前情報だけを持っていて、構えて聞いていたのに、驚くほどしっくり来た。ずっと昔から聞いていたような、地元の風くらい馴染みのある音楽だった。多分、「ドラムとベースとギターが二本いて、グッドメロディを載せた音楽」の完成形だったのだろう。
 全ての知っている風景がそこにかつてあった景色を埋め尽くして成り立っているように、僕が聞いていた日本のバンドたちは知ってか知らずか「風街ろまん」が築いた空気をほんの少しでも受け取ってるのかもしれないな、などと考えていた気がします。

毎句八東

 前作に比べて少し純粋に前向きに、軽快になった印象の風街ろまん。それに加え前にも増して、並々ならぬインテリジェンスを感じるのは私だけだろうか。日本らしい曲調やレコーディングと思えない自然な表現も増えた分、天才・松本隆の類稀な言葉選びや型にはまらない歌詞のあて方によりスポットライトが当たる。また、鈴木茂のスライドギターをはじめ、より洗練された楽器隊のテクニックにより究極の聴き心地も兼ね備えた。これらこそ今作が今なおリスナーの絶えない理由であると断言できる。

みせざき

 自分は主に聴くのが洋楽であるのですが、はっぴいえんどに関してはたまに帰省したり田舎に行く時などに日本という風土の中でどこかノスタルジックな雰囲気に浸りたいタイミングでお世話になる作品でした。4ピースでシンプルなサウンドだからこそソングライティングの凄さが際立ち、リードギターのストラトの生成分を感じさせるようなシンプルな音作りも大好きです。「空色のくれよん」のようなピアノを使ったバラードから、「はいからはくち」のような陽気さ漂う曲まで、全体的にバランスよく施されたアルバムだなと感じます。演奏として全てのパートが嚙み合った一体感としてのバンドサウンドも本作の魅力だなと思いました。凄くエバーグリーンな魅力を兼ね備えた名作だと思います。

和田はるくに

 何度聞いても感想を言葉で表すのが簡単で難しいと思う。いや、この上なく簡単だし、日本人で音楽好きならどの世代の人間でも耳を通す普遍性がある。一部の曲は「さっきそこで録ってきた」感すらある。そもそも初めて聞いた時に、あまり古い気がしなかったのだ。それが私のはっぴいえんどへのファーストインプレッションである。面白い。

渡田

 初めてはっぴいえんど聴きました。
 聴いていると、この曲はどんな映画やアニメのエンディングにふさわしいだろうかとか、この曲の言っている風景はどんなタッチや色彩で描かれるべきだろうかとか…、つまり聴いていると、何らかの情景を考えずにいられなかった。
 こういうことは洋楽を聴いている時にはあまりなかったから、そういったところが「日本の」音楽としての一つの特徴だったんじゃないだろうか。
 また、その頭に呼び起こされる情景も曖昧なものではなくて、もっとしっかりとしたもの、具体的な景色だった。僕は確かに、自分がいつか過ごしてみたいと憧れる美しい街を想像できた。
 ぼんやり聴いているだけだと、綺麗な海辺の街や情緒ある下町とかを、夢の内容みたいにひどく抽象的に想像するに留まるのだけれど、歌詞に意識が行くと、そこに具体的なイメージを付け足されてくる。線路とか、街灯とか、窓とか、電線とかが次々と浮かんでくる。
 聴いていると、自分の頭の中に一つの綺麗な街が描かれて、聴くほどそれがどんどん具体的になっていく、現実味を増していく。何度だって味わいたいアルバムだった。

次回予告

次回は、遠藤賢司『満足できるかな』を扱います。

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