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遠藤賢司『東京ワッショイ』(1979)

アルバム情報

アーティスト: 遠藤賢司
リリース日: 1979/1/21
レーベル: ベルウッド(日本)
「50年の邦楽ベスト100」における順位は77位でした。

メンバーの感想

The End End

 猫も杓子もBPM150以上で4つ打ちしていた時代があったり、猫も杓子もトラップビートの上で歌っていた時代があったように、猫も杓子もシンセを使う時代だったんだろうか。
 『満足できるかな』しか聴いていないので、このシンセサウンドが『東京ワッショイ』前後の遠藤賢司にとってどのような意味を持つのかは分からないけれど、どうあれこの作品で使いたくて仕方なくなっちゃうような刺激を受けたんだろうな…というのが伝わってくる。自分の作る曲にこれを混ぜたらどうなっちゃうんだろう?という素直な興奮が。その素直さが楽曲と分かちがたく結びついていて、とびきり愛らしいフォルムになっている作品だと感じる。

桜子

 エンケンってこういうのもやるんかーい!何でもやる人カッコいい!哀愁の東京タワーの歌の譜割りとか良い意味で不自然でカッコ良かったですね。
 こういった変な曲があったり、王道ロックンロールみたいな曲が同居しているアルバムで面白かったです。

湘南ギャル

 他に聞いたことがある遠藤賢司の作品は、『満足できるかな』だけだったので振れ幅の大きさに驚く。たった8年でこうなるか?と、最初は思っていたけど、東京ワッショイをギター1本で演奏しているライブ版を聴いたら、だいぶ印象が変わった。そのライブは、トリ前が満足できるかなで、トリが東京ワッショイだったんだけれど、同じアルバムから出てきたんか?ってくらい地続き。遠藤賢司的には、たまには表現する媒体変えてみるか〜くらいの気持ちで作ったのが、東京ワッショイというアルバムだったのかもしれない。

しろみけさん

 ツイスト山車。「東京ワッショイ」や「天国への音楽」など、さりげなくシャッフルのリズムが採用されている。″どんちゃん騒ぎ″という言葉がよく似合う、日本らしいお祭りムードのトラックが並ぶ中で、あえてツイストを選択するセンスが面白い。戦後の不良のダンスミュージックとして、あまり長い時期では無いけれどポピュラーだったツイストを、雄々しく山車を担ぎ出す伝統的な祭りの風景に混ぜ込むのは、人を食ったような大胆さだと感じる。

談合坂

 東京を表した音楽に触れることはたくさんあるけど、この「東京」は案外聴いたことがなかったかもしれない。
 突然ヤマハCPのソロが入ってグッと引き込まれてしまったのですが(ヤマハCPの音が非常に好きなので)、シンセの音使いにせよ歌詞にせよ、「現代」を生きていることがかなり明確に表されていて良いなと思います。

 1曲目から東京、東京、天国を挟んで東京、東京。「東京」という名前は煌びやかさの裏にある侘しさや孤独をそのテーマに含んでいると認識しているが、本作はそういった要素を含みつつバンドサウンドを超えて楽器を用い、テンション高く東京の胡散臭さまで描いている。フォークシンガーの想像が体を得た奇妙な作品。

みせざき

 マラッカに続きまたも大激変シリーズで面白かった〜。ちゃんと時系列で追えて良かったです。荒削りな遠藤賢司な良さが上手くニューウェーブと融合を果たしているような、そうした印象。「満足できるかな」には無い素朴な叫び、迷いがシンセサウンドの音色、波によって新たに浮き彫りになった形で面白かった。ちょっと荒削りなギターもボウイのScary Monstersでのロバートフリップのギタープレイみたいな感じで良かったです。
 芸人の永野の「頑張れないやつを救うのがロックだ」という言葉がずっと好きだったが、「不滅の男」の歌詞はまさにそういうロックの姿勢の代弁者のようで、気取りもせず、少しチャラけながらこうした言葉を言える人こそやはりカッコいいし、ロックを感じました。やはりニューウェーブはパンクロッカーから引き継がれていくものなんですね。

和田はるくに

 前聴いたカレーライスとは全然違うサウンド。パンク的なビートもそうだし、ニューウェーブ的なシンセサウンドも満載だ。ジャケットのやかましさがまんま現れているし、このやかましさのことだが、当時の東京の勢いは本当にすごかったんだろう。マラッカでも引き合いに出されていたような気がするが、それほど東京という都市はアルバムかけて批評されるほどの価値があり、考察したくなる対象だったというのが現代的な感覚からすると意外だ。

渡田

 都会をテーマにしたアルバムは、大貫妙子やYMO、ユーミン等、今までもいくつか聴いたが、今回はそれらとはかなり雰囲気が異なる。
 上に挙げたアルバムでは、都会のイメージとして、情報ややることが飽和した気怠さや、あるいは洗練された虚しさを感じることが多かったが、今回のアルバムで感じたのはむしろ素朴な熱気の方だった。
 不思議なのはこのアルバムがリリースされたのが、先のアムバム等より後の時代であること。
このアルバムから想像できる東京のイメージは、熱気にあふれる街のイメージだけど、東京がそうであったのはこのアルバムの発表の70年代後半からすれば、数十年前あたりのことじゃないのか。

次回予告

次回は、RCサクセション『ラプソディー』を扱います。

#或る歴史或る耳
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#アルバムレビュー
#遠藤賢司


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